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ジョルジュ・ムスタキ『異国の人』
【2024年1月20日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
1月は「新春フレンチ・カルナヴァル」フランスの音楽を紹介しています。今回は“宗さん”こと、さとう宗幸さんも敬愛する ジョルジュ・ムスタキの『異国の人』です。1995年阪神淡路大震災の時、チャリティー・コンサートを開催して兵庫県に寄付をした、シンガー・ソングライターのジョルジュ・ムスタキ。
本名ジュゼッペ・ムスタキは1934年5月3日、エジプトで生まれました。ギリシャから亡命してきた父親がフランス語の書店を経営していたこともあり、フランス語の学校へ通い、勉強する普通の生徒でした。ところが、叔父の一人が音楽好きな道楽者で、その影響から音楽に興味を持ち、15才にして夜のキャバレーへも足を運ぶようになります。
高等中学に通い始めると、民族主義の壁に突き当たります。フランス人、ユダヤ人、ギリシャ人など多国籍な生徒たちの間でトラブルが絶えませんでした。そんな学校に嫌気がさし、17歳でパリに出て姉の嫁ぎ先へ転がり込みます。その主人というのが、ジャン・ピエール・ロズネーという詩人で、本屋を営んでいました。詩の本を多く扱ていた本屋には、若き詩人たちが出入りしており、刺激を受けたジョルジュも詩や歌に興味を持つようになります。やがてはギターをつま弾き、作詞・作曲をするようになり、52年に処女作「道の途中で」を書きあげました。
居候も長くは続けられず、エジプト新聞の通信員などをして暮らしましたが、華のパリで孤独を感じシャンソンに熱中するようになります。カフェやキャバレーで歌ううちに、ジョルジュ・ブラッサンスという歌い手に出会い、親交を深めるうちに、人脈が広がり様々なチャンスが巡ってきます。57年にはギタリストのアンリ・クローラから、エディット・ピアフを紹介されるとジョルジュの人生は大きく動き始めます。
二人はやがて恋仲となり、ジョルジュはピアフのために曲を書きました。それによって作家ジョルジュは名をあげ、イヴ・モンタンなどへも曲を提供するようになります。シンガーとしても69年の「異国の人」が大ヒットし、同タイトルのアルバムもリリースされ、以後大スターとして君臨、映画音楽など多方面で活躍します。シャンソンのみならず、ブラジル音楽やフォルクローレなど幅広い音楽性で親しまれましたが、2013年5月13日、79歳の若さで旅立って行きました。
ジョルジュ・ムスタキのアルバム『異国の人』
SIDE A
「異国の人」
「海が名刺をくれた」
「ギャスパール」
「旅」
「若い郵便屋」
「ナタリア」
SIDE B
「私の孤独」
「もう遅すぎる」
「愛情の地図」
「生きる時代」
「ジョセフ」
「サン・ジャックの街角」
ジョルジュ・ムスタキのアルバム『異国の人』いかがでしょうか?
ちなみに、さとう宗之さんの髭は、ジョルジュ・ムスタキの影響からなのだそうです。
https://www.imdb.com/name/nm0610128/
IMDb ジョルジュ・ムスタキ