エラリー・チャンとは?

エラリー・チャン(Ellery J Chun)は、ハワイに存在した洋品雑貨店「キング・スミス(King Smith)」の経営者。
1904年、ハワイ・ホノルルで宮本長太郎(みやもと ちょうたろう)によって創業したオーダーメイドシャツの店「ムサシヤ商店」が、1935年に初めてアロハシャツの新聞広告を出した。息子の宮本孝一郎(みやもと こういちろう)が跡を継いだ後、浴衣生地でアロハシャツを作ったことから、彼こそがオーダーアロハを作った初めての人物と伝えられている。一方で、誰が最初にアロハシャツを作ったのかは明らかになっていない。
1934年、中国系商人のエラリー・チャンが、ムサシヤに和柄や花柄の着物地でシャツを作らせ「アロハシャツ」という名を付けて売り出し、「アロハシャツ」の商標登録を行った。
観光客の増加に伴い、これまではオーダーで仕立てていたアロハシャツを、いつでも購入できるよう既製品を店に置いたことでも知られる。

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紳士服の黄金期、ラストを飾る1950年代を紐解く

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スーツの祖先に当たる「サックスーツ or ラウンジスーツ」が出現したのが19世紀後半のこと。田舎などで着用するカジュアルウェアという位置付けでした。20世紀に入ると急速にその地位を上げ、各時代を象徴するようなスーツのスタイルも生まれました。

本連載「紳士服タイムトラベル ー ヴィクトリア朝から1960sまで」ではスーツに焦点を当てながら、当時の服装を愛し、日常的に着用して生活している方々にお話を伺い、紳士服の歴史における代表的な時代を切り取ります。

いよいよ残り2回となりました本連載、今回は1950年代にタイムトラベルします。40年代の香りを色濃く残しながらも、独自のスタイルが確立された50年代。50年代が1番好みだという声も多く、私も個人的にそう思います。

さて、今回お話を伺うのは、フランス出身ロンドン在住のSam L Hegard(サム・L・へガール)さん。ロンドンにあったドレス系で有名なヴィンテージショップで長年店長を務め、現在はロンドンのテーラーでフィッターを担当。スーツに対する熱い情熱と膨大な知識をお持ちです。そんなサムさんに50年代のスーツの特徴や魅力を語って頂きます。

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【書き起こし】「日本のアートディーラー史: 60年代 70年代のギャラリー主体のあり方」東京画廊:山本豊津

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季節なんて関係ない。1000枚のアロハシャツを所有する料理人、森野熊八流アロハの嗜み方

夏、海、リゾートなどワクワクするイメージが浮かぶアロハシャツ。肌触りがよく風が抜けて涼しいので、夏のオフタイムはアロハで過ごすという人も多いだろう。

料理人、森野熊八さんもアロハシャツを愛する一人。一年中アロハシャツで過ごすようになってから約15年。気付けば所有するアロハシャツは1000枚に迫る。
愛好家とも呼べる熊八さんに、アロハシャツの魅力やコーディネート法などを伺った。