銀座から茅場町へと移転したビスポークテーラー・羊屋。採寸から仕上げまで全ての工程を一人で手がける職人・中野栄大(なかのしげひろ)さんに、着る人を美しく見せるスーツづくりのこだわりを聞いてきました。
ビジネスエリア・茅場町に移転。日差しが入り、明るくなった新店舗
2016年春に銀座から日本橋茅場町に移転した羊屋。1927年に施工されたクラシックな建物の3階にアトリエと接客・フィッティングスペースを兼ねた店舗を構えている。以前の店舗が落ち着いた「和」の雰囲気だったのに対して、随分と明るくなった。
店舗の壁にはたくさんの窓があるため、柔らかな自然光が差し込むのだ。自然光の下で生地の色や柄を比較・確認できるのはお客さんにとってもありがたい。
さて、羊屋はマスターカッターの中野栄大さんが一人で切り盛りしている。採寸から型紙製作、仮縫い、縫製、納品までのすべての工程を一人で行っているということだ。外部の職人に縫製を依頼することもないため、1ヶ月に製作できるスーツは3~4着と少ない。
「いいスーツだね」と言われたら負け。あくまでも引き立て役に徹するスーツを
羊屋はファクトリーメイドのパターンオーダー(Pattern order)を一切しない、ビスポーク専業のテーラーである。多くのテーラーがビスポークとパターンオーダーの両方を展開していることを考えれば、稀有なテーラーともいえる。
パターンオーダーはオーダーという名前が付いているが、型紙を作らなければ仮縫いもない。手縫いの工程数も少ない。体型補正はするがビスポークに比べればできる範囲も限られている。つまりビスポークスーツとはまったくの別物のスーツと考えていい。パターンオーダーは羊屋が目指しているスーツ作りとは違うのである。
「羊屋が追求しているのはスタイルではありません。お客様が羊屋で仕立てたスーツを着て、『周囲からいいスーツだね』と言われたら、作り手の負けだと思っています。むしろ、『なんか今日は素敵だね』と言われないと駄目だと思っています。つまりスーツが目立つのではなく、着る人を自然に素晴らしく見せるかが、究極のビスポークスーツだと思っています」と中野さん。
たとえば、パターンオーダーで、ナポリスタイルとかブリティッシュスタイル(ロンドンのサヴィル・ロウ風)といったモデル名で、わかりやすくスタイルを提案している場合がある。
オーダー経験の少ない人にとって完成品を把握しやすいという利点がある反面、そのスタイルがその人に一番似合うスーツとは限らないのだ。視覚的にわかりやすくするのは安易な方法だ。その対極に位置するテーラーが羊屋なのである。
「着る人を自然に素晴らしく見せる」というのはそう簡単なことではない。奇をてらわない究極の普通といったところか。
目立つ特徴を排除していく作業には、作り手の独りよがりな“我”なんてものは存在しない。お客さんと時間をかけてコミュニケーションをとりながら、話し方や顔の雰囲気、体型を見て、その人が一番自然に見えるスーツを作っていくわけだ。
もし、お客さんが個性的で派手なスーツを希望する場合は、着る場所や素材などを念入りに話し合って作るそうだが、実際そういう方は少ないとのこと。
というのも、羊屋のスーツ作りに信頼を寄せている顧客の多くは、お堅い職種の方ばかり。役職のある方や弁護士、銀行員、大学の教授などが多いという。そんな職種ということもあり、選ばれる生地はベーシックなグレーやネイビーが中心なのだ。替えジャケットのみチェック柄を選ばれるそうだ。
ストレスなし、目指すのは面で包み込むようなスーツの着用感。
具体的なスーツ作りのこだわりを伺ってみた。
「スーツを着たときに、面で包み込むような着用感を目指しています。どこか一点でも強く押されていると不快になりますから。首から肩、胸まわり、アームホールにはとくに気をつけています。芯地はお客様一人一人に最適な芯地を一点一点手作りで作っています。芯地などの副資材は直接メーカーに出向いて新製品をチェックすることもあります。芯地だけでなく、テーラーリングは日々ブラッシュアップしています」と中野さん。
基本的なベース芯(台芯)には数種類の毛芯を使用。胸のハリを出すための胸増芯にはバス芯を使っている。また、体と接する内側にはフェルトのようなドミット芯を入れることもあるそうだ。
季節に合わせて芯に使う糸も変えるという徹底ぶり。当然だが出来芯ではなくすべて手作りの芯地だ。たとえば同じ生地であっても芯地の作り方で着心地が変わってくるという。それだけ芯地作りは大切な工程なのだ。
また、手縫いが最適な箇所は手縫いで行っている。他のテーラーと比べたことはないが、手縫いの箇所が多いのは確かだ。手縫いにすることによりスーツに丸みやボリューム感が出て、見ためだけでなく着用感も違ってくる。他にも念入りなアイロンワークによって、より立体的に仕立てているのが特徴だ。
このスーツを誂えたお客さんは肩から上腕の筋肉が発達しているため、袖の幅が大きい。また背筋が発達しているため背中も広めにとっているのが特徴。サイドベンツは羊屋では標準仕様。素材はDRAPERS / FIVE STARS ブルー・シャークスキン 370gms。
外部委託も一切なし。全てを一人でこなすことで顧客の特徴を繊細にスーツ作りに活かす。
中野栄大さんは採寸から、型紙の製作、生地の裁断を行うカッターであり、縫製を行うテーラーでもある。また外部の職人に縫製を依頼していない。つまり全工程を一人でこなしている。
最大のメリットはお客さんの情報(補正などの情報)を伝える必要がないということ。すべて中野さんの頭の中で理解し解決しているため、型紙を引くときもお客さんのことを考えながら引いていく。縫製するときもお客さんの体型の癖を理解しているのだ。
情報は人から人へ伝わるときにズレが生じるもの。その点、羊屋は中野さん一人で完結できるのである。それゆえ出来上がったスーツの完成度は分業作業のテーラーより高いはずだ。
製作した型紙の管理も中野さんが行っている。
常連のお客さんであってもスーツの好みは変わっていくし、加齢により体型も変わっていく。それに合わせて型紙も少しずつ変更していく必要がある。以前作った型紙に加筆してブラッシュアップしていくのである。
長いお付き合いのお客さんになると何枚も型紙を作っている。体型の変化などから勉強することもたくさんあるそうだ。
何度か仕立てられているお客さんの型紙はその度に修正していく。たとえば体重は変わっていなくても、ウエスト周りや肩の筋肉が落ちてきたり、年齢によって体型は少しずつ変わっていくそうだ。また生地の厚みよっても型紙も変わってくる。赤色は新たに修正したところ。この型紙にお客さんの情報が詰まっているのである。
縁を感じる数字「27モデル」で新提案
羊屋はハウススタイルをもたないテーラーだが、店舗移転にともない「27モデル」というハウススタイル的なものを作った。
1927年に有名な録音を残した、ジャズのコルネット奏者“ビックス”バインダーベック(1903~1931年)が着用していたスーツに因んで、「27モデル」と命名したそうだ。また店舗が入っている建物が1927年に完成したこともこの数字にこだわった理由のひとつ。
初めてのお客さんが完成するスーツをイメージしにくいという理由から手掛けたのだが、けっして奇をてらったモデルではない。ビスポークのハウススタイルはあくまでも目安でしかない。ファクトリーメイドによる融通の利かないパターンオーダーのハウススタイルとは根本的に異なるのだ。
その特徴はセミピークドラペル、高めのウエストのシェイプとボタン、ナチュラルショルダーであること。フロントカットやポケットで直線を強調する一方、全体的には丸みをもたせたシルエットになっている。
あくまでも参考にしてください的なハウススタイルなので、一部のデザインのみを取り入れたりすることも多いそうだ。基本は「着る人を自然に素晴らしく見せる、究極のビスポークスーツ」であることに変わりはない。
ーおわりー
DORMEUIL (ドーメル)の定番生地として人気の高いAMADEUS(アマデウス)310gms。ほどよい光沢感と厚みがあり、仕立て映えするのが特長。Wool100%。310g
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テーラー羊屋
ヘッドテーラーを中野栄大(なかのしげひろ)さんが務める、ビスポークテーラー。ショップ名「羊屋」は、日本らしい店名にしたかったこともあり、ウール=羊毛から羊屋と命名。採寸から仕上げまで全てを中野さんが手がけるため、顧客の繊細な体型の特徴や癖を捉えて、スーツづくりに活かすことができる。
終わりに
羊屋で初めてスーツを仕立てたときのことをよく覚えている。まったく手を抜かないのは当たり前として、時間をかけた丁寧な仮縫いには正直驚いたし、納品のときに着用したスーツ姿は「おーっ、カッコいい~!」と感動したものだ。他にもジャケットやコートを仕立ててもらっているのでテーラーとしての実力もよくわかっている。新店舗になって雰囲気も明るくなり、自然光というメリットも手に入れた。真摯にスーツ作りに打ち込むテーラーとして、羊屋はおすすめしたい。