誰もが避ける最深のインク沼、「ブルーブラック」
前回の万年筆に続くものといえば、当然その良き相棒=インクを語らずにはいられない!
ここ数年、メーカーやブランドの内外を問わず、淡いピンク、蛍光イエロー、はてまた金粉入りなどなど、従来の常識を覆す色味のインクが続々と発売されている。さらには、そのようなものを使いたいがために万年筆「も」次々購入してしまう、つまりこれまでとは買う順番が逆のユーザー層まで出現し、万年筆の復権やユーザー層の拡大に結び付いている。
これはとても喜ばしいことなのだが、だからこそ従来から当たり前にあるインクの色味も、同様に愉しんでほしいなぁとも思ったりも……。例えば、かつて万年筆のインクでは最もポピュラーだった「ブルーブラック」。この色感が、各メーカーで昔も今も実に微妙に、しかし決定的に異なるからなのだ。
今回はその、まさに重箱の隅をつついたような違いの世界を、新旧の特徴の強いものを中心にご堪能いただきたい。
なお、「ブルーブラック」と呼ばれているインクは、現在では以下の3種類に大別できる。これからご紹介する各インクには、名称の後に以下の番号を記しておくので参考にしてほしい。ただし、③のものは今回は登場しない。
①「もともとの」ブルーブラック:書いた直後は青だが、経年で黒若しくはそれに近い色に変化するとともに紙に固着するのを通じ、耐水性を出すインクのこと。大雑把に原理を説明すると、青の染料以外にインクの中に「没食子酸(もしくはタンニン酸)」と「鉄イオン」を入れることで、筆記後に両者が酸化し黒みを帯びた一種の鉄塩が生じ、これが紙に固着する。一方で青の染料はやがて退色するので、一連の経過が「黒変」するように錯覚するため、この名が付いたといわれる。つまり「色味」ではなく「現象」からの命名。ボールペンが存在しなかった頃は公文書向けに多用されたが、扱い方を知らないとペン先や紙に若干ダメージを与え得るため、最近はめっきり少なくなっている。
②「染料で」濃紺色を出したもの:今日の「ブルーブラック」の主流であり、①から「没食子酸(タンニン酸)」と「鉄イオン」を除去し、扱い易さを優先したもの。こちらは「色味」からの命名で、①の経年後の色に似せたものが多い一方で、それとは明らかに異なる独自の色合いに変化するものも含まれる。また、概して①より耐水性に劣るものの、中にはそれとあまり大差ないものも存在する。
③「顔料で」濃紺色を出したもの:②の色出しを染料ではなく、顔料で行ったもの。こちらも「色味」からの命名で、①の代替となるべく、多くの②の欠点である耐水性・耐候性の向上を狙ったもの。ナノテクノロジーの応用で、顔料の粒子が細かくできるようになったことから近年登場している。扱いには②よりまだ若干注意が必要。
1. 原点にして理想形。1960年代のパーカー「スーパークインク ブルーブラック」
(これは①。現行品は②)
亡き父が愛用していたものであり、私にとってはこれが初めて知ったブルーブラックのインク。書き始めはパワーはあるけど決して黒過ぎはしない、わず僅かに赤みを帯びた若々しい紺。80年代までのBrooks Brothers(ブルックスブラザーズ)のブレザーのような(って、わかるかなぁ……)、かつてのアメリカを象徴するような若々しい色が、年月を経てじわじわとグレイみを帯びて落ち着いてゆくのを、今でも忘れられない。
現行品は色味も定着力もこれとは全く別物で、はっきり言ってグループ会社のウォーターマンのものと大差ないので(4をご参照方)、全く使う気になれない。当時はアメリカ以外にも英国・フランスそれに台湾やマレーシアなどでもライセンス生産していたので、在庫でまだどこかに眠っていると信じたい!
2. 気品を感じた2000年代までのモンブラン「ブルーブラック」
(これは①。現行品は②)
就職直後のボーナスで買った万年筆=ヘミングウェイに付いていたのを使い始めて以降、一時期は私の「勝負インク」だったのがこれ。
書いた直後は濃くてやや紫がかった、いわゆる茄子紺。これが数か月すると、それを維持しつつ緑みもわず僅かに帯びて黒っぽく変化する。数年前にまず色名(「ミッドナイトブルー」に変更)とボトルの形状が、そしてその直後に成分が②へと変わり、多くのファンが嘆きまくっていたのも記憶に新しい。
こちらが2000年代のインク。上の90年代のものと比べると色味の違いがわかる。
個人的には、若干緑みが増した現行品も結構好きな色みなのだが…… ちなみにモンブランでは近年、限定モデルの万年筆と合わせて出す限定インクで、秀逸な青系のものが多く、ついつい買ってしまう。ここの万年筆はさらに欲しいとはもう、思わないのだが……
3. ペリカンらしからぬ洗練(笑)。ペリカン「エーデルシュタイン タンザナイト」
(②)
万年筆やインクのメーカーで、実質的にプレミアム化の先陣を切ったのが、ドイツ語で「宝石」を意味するエーデルシュタインシリーズ。各色は宝石の名で呼ばれ、若干遅れて登場したこれは、あのティファニーが命名したものの名に因む。
スタートはかなり青紫っぽい色合いで「やばい、これブルーブラックじゃない……」と心配するのもつかの間、見る見るうちに深くて高貴な印象の濃紺に落ち着いてゆくのが、妙に楽しい。
実はペリカンには長年の超・大定番で成分的には①の「4001 ブルーブラック」も存在し、日本では併売されているが、それに比べると僅かに濃く、かつ僅かに紫みを帯びてフィニッシュする。また、それに比べ耐水性はさすがに若干劣るものの、全くないわけでもなく、普段使いならこれで十分な気がする。
4. これはティールグリーンです。ウォーターマン「ミステリアスブルー」
(②)
数年前に「ブルーブラック」から名称を変更したのも納得のインク。
書いた直後は力強い、とても魅力的な濃紺なのに、数日経つとかなり薄緑っぽくなることで以前から有名だったから。この激変が好みの人と嫌いな人とでハッキリ分かれ、しかも、今回ご紹介する中では耐水性に最も乏しく、水に濡れるとかなりの確率で筆跡がなくなる!
「ミステリアス」とは的を射た表現で、これではさすがに「ブルーブラック」は名乗れないよなぁ……。ただしその分、ペンには優しいインクであるのは間違いない。
実はウォーターマンは、老舗の万年筆メーカーの中でインクの①から②への移行をかなり早く行った存在。万年筆が筆記具の主役ではなくなってしまったことに対しての、現実的な対応をしたインクともいえる。
5. これはブルーだと思う。パイロット「ブルーブラック」
(②)
これも私個人の基準からすれば濃い目のブルーで、ブルーブラックではない気がする。これより暗いブルーのインクも世の中にはたくさん存在する。だた、そうだと割り切って使うと、なかなか便利なインクでもある。成分が②の割に耐水性が高く、雨濡れが心配な封筒や葉書きの宛名書きにも難なく使えてしまうからだ。
因みにパイロットのインク(彼らは「インキ」と表記する)は、実は本来の「ブルー」も耐水性が高い。流れ(フロー)が抜群に優れる(つまりインクの出がいい!)のも便利な点だ。つまりこれを入れても調子の出ないペンは要修理=一種の診断薬として使えるのである。そしてリーズナブルな価格も魅力的。かつては独特の「絵の具の匂い」も特徴だったが、最近のものはそれがなくなり、ちょっと寂しい気も……。
6. とにかく目に優しい。カランダッシュ「マグネティックブルー」
(②)
色鉛筆と油性ボールペンでは絶大な人気を誇るカランダッシュ。万年筆のインクも美しい色出しで従来から評価が高かったが、数年前のリニューアルで洗練度がさらに増した。
緑過ぎず赤過ぎない絶妙なバランスは、以前のもの(ブルーナイト)に比べ濃さが僅かに増したものの、他のメーカーのブルーブラック系に比べ若干グレイ掛っていて、これが実に目に優しい。
ちょうど1のパーカーのスーパークインクを若干薄くした印象だからなのか、個人的には現行の商品の中では最も好きなブルーブラックの一つだ。使っていて思わずホッとする。さらには、吸入時の利便性と美しさとを高度に両立させた瓶の形状にも目を奪われてしまう。
因みにパッケージに納めればきちんと水平になるのでご安心を。
7. ラグジュアリーブランドならではの迫力。ルイヴィトン「ブルーシビラン」
(②)
万年筆インクのプレミアム化を象徴するような形で近年鳴り物入りで登場した、あまりに有名なブランドのもの。シビランとはフランス語で「不可解な」とか「得体のしれない」の意味で、ダークトーンであることの暗喩なのだろう。
確かに今回ご紹介するものの中では最も黒味を帯び、また最も濃口の、要はパワーのある色味を有するインクであり、使っていて一瞬真っ黒と見分けがつかなくなる時があるほどだ。
おまけに最も高額で、これ一瓶で5のパイロットのノーマルサイズのものが13個半も買えてしまう! こういう商品をジャバジャバと使えるような身分になりたい……。ただ現実に立ち返ると、これに6000円近く出して一瓶買うのなら、もっと有益なお金の使い方がありそう(笑)。
容姿も個性的、なブルーブラックのインクボトルたち。
以上、ご覧いただいた写真でお分かりの通り、一口にブルーブラック系と言っても色味を中心に様々な特徴がある。そして、それをさらに引き立てるのがインクの入った瓶の形状であることも、ご理解いただけたのではないか。ここでは、その「瓶」も印象的な3種類のブルーブラックを簡単にご紹介する(品質的には全て②)。
A. インクブームに一役買ったのが、各地の有名文具店が主にセーラー万年筆とコラボして作り上げた通称「ご当地インク」であることは間違いない。そのエース格が浜松のブングボックスで、ここの「聖夜」はクリスマスシーズン限定のかなり黒みの濃いブルーブラックだ。ただし、残念ながら現行品は瓶の形状が異なる。
B. 明治時代から数多くの文士が贔屓にした老舗・丸善。ここの「アテナインキ」は一時姿を消したものの、リニューアルを重ね戦前から売られ続けるロングセラーだ。その現行品はご覧のとおり、往年のインク壺を髣髴とさせる瓶が特徴。ブルーブラックの色味は6のカランダッシュのものを僅かに緑っぽくした感じで、こちらも目に優しい。
C.数年前にリニューアルされたファーバーカステル伯爵コレクションの瓶は、アールデコ期のガラス細工を思い出させてくれる、非常に端正なデザインが特徴。ここの「ミッドナイトブルー」は、6と7の中間の色合いで、1のパーカーのスーパークインクにかなり近い。耐水性も比較的あるので、最近出番が多いインクの一つになっている。
飯野さんによるブルーブラックインクのカラー分布図
今回メインでご紹介した7つのインクの、筆記してからしばらくたった数日後の色合いの特徴を、分布図にまとめてみた。縦軸は色の薄さと濃さ、横軸は補色の要素を踏まえ、赤っぽいか緑っぽいかを表現している。ここで注目したいのは、色の濃さが必ずしも耐水性の良さには結びついていない点だろう。パイロットのもののように色味が薄くても耐水性に富んでるものとは対照的に、ウォーターマンのものは色そのものの濃さは中庸ながら全く耐水性がないものまで存在するからだ。個人的には、どうもバランスの取れた色合いのものが好みのようだ。
ーおわりー
文房具を一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
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終わりに
万年筆のインクでは当たり前過ぎて、正直面白みに欠けると言われがちなブルーブラック系。しかしこうして改めてチェックすると、メーカー・ブランドで表情が相当異なるのに驚かされました。さらには、目が「お年頃」になりつつある昨今は、ややグレイッシュなものを無意識に使いがちな点にも気づかされてしまい(笑)……