歴史の影に小石あり。降りかかるストレスを克服するための握り石  「観音笑窪」

歴史の影に小石あり。降りかかるストレスを克服するための握り石  「観音笑窪」_image

文・写真/山縣基与志

長く愛用できる自分にとっての一生モノは使ってこそ価値が出てくるもの。旅先でつけた傷が、経年変化してあせた色合いが、思い出を振り返る手助けをしてくれます。

この連載では、モノ雑誌の編集者として数多くの名品に触れてきた山縣基与志さんが「実際に使ってみて、本当に手元に置いておきたい」と感じた一品を紹介します。

第四回はカッターで有名なオルファが販売していた握り石「観音笑窪(かんのんえくぼ)」について。日々降りかかる緊張やストレスを振り払う、一つの解決策となるかもしれません。

MuuseoSquareイメージ

降りかかるストレスを克服するための「石」

企画のアイディアをひねり出している時、原稿を執筆している時、人と会ってインタビューやビジネスの打ち合わせをする時、講義や講演をする時などなど、さまざまなシーンで緊張とストレスにさらされている。

さらに現代では、コンピューターやスマホ、タブレットなどが身近となり、いつも情報の洪水の中にどっぷりと浸かった状態でオンもオフも暮らし、心が安まることはない。
 
この緊張とストレスはいまに始まったことではなく、古よりいつの時代にも、いかに精神の不安定さを解消するかが工夫されてきた。娯楽や趣味もその一つであろうし、瞑想や読書、運動などで心の葛藤を整え、より良い落ち着いた生活や人生を作り上げようと奮闘して来たのが、文化といえるのかもしれない。

私自身の人生を振り返っても、降りかかる緊張とストレスをいかに克服するかという繰り返しの中に人生観や価値観が確立していったように思う。

観音笑窪は2種類発売されていた。右の黒い方がアルミ製、左の緑がシンタードサファイヤセラミック製。

観音笑窪は2種類発売されていた。右の黒い方がアルミ製、左の緑がシンタードサファイヤセラミック製。

ところが努力によって克服できるストレスや緊張だけではない。日常生活の中での、ちょっとした言葉などで気分や感情が揺らぎ、心が乱れることがある。

そんな情緒の安定を保つために30年来、いつもポケットに入れて持ち歩いているのが、この「観音笑窪」という握り石だ。

カッターで有名なオルファの創業者である岡田良男氏が20数年に渡り試行錯誤して、30数年前に製品化し販売したものである。

現在のようにネットなどない時代。文房具店の銀座伊東屋の定期パトロール中にたまたま見つけ、持った瞬間に心地よさがわかり、以来いつでもどこでもポケットに忍ばせ、手のひらで転がしながら心に安らぎを与えてもらっている。

指先の安らぎは心の安らぎ

握り石の歴史は古く、ギリシャの精神文化隆盛の時代から、賢者の多くは、小石を握り、精神の安定と集中力を高めてきた。かのイギリスの宰相チャーチルも「ポケットの友達と相談している」といいながら、ポケットにひそませた愛用の小石を握り、気持ちを落ち着かせた上で、重要な判断を下したというエピソードは有名である。

裏面には「観音笑窪」と誇らしげに彫り込まれている。多大な御利益あり。

裏面には「観音笑窪」と誇らしげに彫り込まれている。多大な御利益あり。

「歴史の影に女あり」ならぬ「歴史の影に小石あり」といえるのかもしれない。たかが小さな握り石が、実は歴史を動かす重要な場面で、大きな意味を為してきたのかもしれないと想像するのも楽しい。

さて「観音笑窪」に話しを戻そう。上から見ると達磨のように下部が少し膨らみ、安定感がある。手にすっぽりと優しく心地良く納まる適度な大きさと重さ。各エッジは面取りされ、どこを触っても一切尖った感触はなく、柔らかい何とも言えない心地よさ。

親指の腹のアールに絶妙にはまる窪み。瞑目して親指を窪みに沿って動かすと得も言われぬ心の安らぎを味わえる。

親指の腹のアールに絶妙にはまる窪み。瞑目して親指を窪みに沿って動かすと得も言われぬ心の安らぎを味わえる。

そして「観音笑窪」の真骨頂は、親指のアールがピッタリとはまる窪みにある。この窪みに親指を落とし込み、じっと目を閉じる。するとあら不思議! 心の曇りがすぐにすっと晴れて、青空の下や自然の緑の中にいるような爽快感を味わうことができる。

運動や瞑想などでも爽快感を得ることはできるが、時間も体力も使う。ところが「観音笑窪」は一瞬にして頭がクリアになり、ストレスや緊張感もたちどころに逃げ出してしまう。

窪みに親指をあて、さらに前後にスリスリしたり、窪みの回りを円を描くように撫でるように動かすとさらに心地よさが増す。握っていると温まり、人肌の温度が心地よさを増幅してくれる。

30年使っても変わらない触り心地「観音笑窪」

アルミ製の観音笑窪。30数工程の手作業により作り込まれ、プレスなどの機械加工にはない温かさを感じる。

アルミ製の観音笑窪。30数工程の手作業により作り込まれ、プレスなどの機械加工にはない温かさを感じる。

「観音笑窪」は素材による違いで2種類販売されていた。写真の黒いものは純アルミニウムの塊から30数工程の手作業により、ひとつ一つ熟練した職人が入念に仕上げている。重さは50グラム。電解仕上げによる漆黒である。

30年使い続け、落としたりぶつけたりした傷はあるが、毎日撫で回しているのに、表面が剥げた形跡はほとんどなく、心地よい感触も全く変わらない。恐るべき仕上がりの良さと耐久性である。

ダイヤモンドに近い硬度を誇るシンタードサファイアセラミックを磨き上げて作られている。アルミ製よりも20グラム重い。

ダイヤモンドに近い硬度を誇るシンタードサファイアセラミックを磨き上げて作られている。アルミ製よりも20グラム重い。

緑色の「観音笑窪」はシンタードサファイアセラミックを磨き上げて作られている。ダイヤモンド以外では、かすり傷さえつけられない程の硬度があり、表面の光沢や感触は半永久的に変化しない。

事実30年以上使ったいまでも、傷一つなく、新品時の状態を保っている。比重が大きいので、黒の「観音笑窪」よりもわずかに小さいのだが、重さは20グラム増し、70グラムと少し、ずっしりと感じる。緑色だけではなく、ワインレッドとアイボリーも用意されていた。

素材の違いによって感触も微妙に異なる。その日の気分や季節によっても使い分けている。

素材の違いによって感触も微妙に異なる。その日の気分や季節によっても使い分けている。

二つの「観音笑窪」を比べてみると、アルミの黒の方は、金属の少しシャープな感触。かたやセラミックの緑の方は、ずっしりとしたエネルギーが満ちているような安心感が味わえる。指先は第二の脳ともいわれる敏感な部分であり、心地よい感触、触覚が心に安定感を作り上げ、集中力を高めてくれる。この指先の安らぎは私にとって何者にも代えがたい存在となっている。

カッターのオルファがなぜこんなものをと思われるだろうが、さまざまなメーカーのカッターを比べてみると握りの部分がオルファ製は明らかに違う。直線ではなく、ふっくらと丸みを持たせた手にしっくりと馴染む絶妙の形をしている。
創業者の岡田良男氏が「観音笑窪」を手にしながら発想した思いが、いまでもしっかりと受け継がれているのだろう。

ストレス社会の今、復活を願う

「観音笑窪」は残念ながら30年前の一瞬だけ販売され、いまは絶版となっている。真の意味での創造性が求められ、ストレスや緊張が高まっている現代こそ、心の安らぎが求められ、「観音笑窪」は、威力を発揮するに違いない。再販売を切に願う次第だ。

先日友人のジュエリーデザイナーに「観音笑窪」の素晴らしさを酒場で切々と説いたら盛り上がり、銀無垢で作ったらもっと心地よいはずだ、作ってみようと、酒の勢いで決まってしまった。

さらなる感触の高みと心の安らぎを求めて、銀無垢の観音笑窪の制作が決定。乞うご期待!

さらなる感触の高みと心の安らぎを求めて、銀無垢の観音笑窪の制作が決定。乞うご期待!

次の日の朝早く、その友人から電話があり、「鋳造ではが入ってしまうから感触が悪くなる。銀の無垢の地板を叩いて鍛造して密度を上げ、さらに歪みが極限まで小さくなるザラツ研磨にするから」と一方的に宣言されて電話が切れた。職人魂に完全に火をつけてしまったようだ。う~ん凄いことになってきた。

採算度外視で完璧なものが出来上がるだろう。嬉しい反面、どれだけのコストがかかるのか?不安と緊張が頭をよぎる。ここは一番、「観音笑窪」と相談して心を静め、腹をくくるしかない。

ーおわりー

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公開日:2019年3月1日

更新日:2021年7月2日

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山縣 基与志

人、モノ、旅をこよなく愛し、文筆業、民俗学者、プランナーとして活動中。日本全国の伝統芸能と伝統工芸を再構築するさまざまな仕掛けを展開している。

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