音樂之友 1951(昭和26)年 5月号 第9巻第5号

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音樂之友 1951(昭和26)年5月号です。

何より特筆すべきは、萩谷さんのご本P184に記されております評論家の牛山充氏による胸のすく様なコメントを含む女流演奏家比較論「諏訪根自子と巌本真理」という記事が掲載されている事でしょう!

その『諏訪根自子 美貌のヴァイオリニスト その劇的生涯 1920-2012』引用部分は…

原智恵子さんとのベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」の演奏に触れ

"彼女には珍しい生々としたもので、溌剌たる生氣の中に若々しい彼女の中の女性が輝いていた。あれを見たならば、トルストイ翁もあの小説の趣向を全く變え「藝術論」の筆も柔らげたかもしれない・・・"

と。この一節を含む全文面から要約して掲載させて頂きました旭川でのリサイタル・パンフレットの紹介文にも転用されております。

興味深いのはこの年、"藝胎長養"の時期として光世さんとのモギレフスキー教授への報恩演奏會(東京/京都/大阪/寶塚⬇︎)
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/34?theme_id=39620

と例の東宝から改組・独立した東京交響樂團との演奏その第一夜⬇︎
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/117?theme_id=39653

ご出演を最後に一時、演奏會への出演をお辞めになられた。と、しかし7月には1日に京大⬇︎で、
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/42?theme_id=39620

翌週7日に金城ホール/8日に西舞鶴公会堂でのプログラムも確認されております事から、実質3/31歌舞伎座公演を最後に、4/5/6月の3ヶ月がこの"藝胎長養"の期間に充てられたものと推測されます。但し、実際はもう少し前に復帰為された事も考えられます故、今後ともプログラム収集での検証続けたいと思います。

牛山さんの文面に戻りましょう。お二人の不在の間、若手の方の台頭あれどやはりこの時期の根自子さん、巌本真理さんは別格の存在であった事が(その不在の間により明白に思い知らされ)伝わって参ります。そして旭川のプログラムに要約されていた根自子さん像・・・その全文を拝読し、「時流の外に立つ藝術家、これが諏訪根自子の眞骨頂」その真の意味を思い知る事になりました♪

#諏訪根自子 #nejikosuwa

1951(昭和26)年 1月13日 宝塚 宝塚大劇場 演奏會プログラム
寶塚大劇場での演奏會のパンフレットです。 この公演は師、病床に在るモギレフスキー氏へ捧げる…とありますので、チャリティの類いだったのでしょうか? ご令妹、諏訪晶子(光世)さんもステージに立たれている。(伴奏は田中立江さん) 中㌻にあります、大変珍しい戦前のデビュー間もない少女期のお写真が目を惹きます。 この一枚は大阪の金田寫眞館(当時、渡辺橋の朝日会館にありました)さんご提供のもので、筆跡から後年(戦後)と思しきサインが記されています。金田さんにコンタクトさせて頂きました所、この1枚ご記憶にあられ諏訪根自子さんに限らず沢山の演奏家さんの写真が現存しており、以前、展示会も催されたとの事。 現在もフォトスタジオは大阪、近鉄小阪にて営業されていらっしゃって創業から世紀/時代を超えて変わらず引き継がれている精神に感激しました。 そんな印象深いストーリーを垣間見せてくれた一冊です。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #АлександрМогилевский #モギレフスキー #諏訪晶子
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/34
音樂之友 1951(昭和26)年 6月号 第9巻第6号
何冊か纏まって「音樂之友」誌が手に入りましたので・・・ 予備知識なしにページを捲って行き当たった時は嬉しいですね^^ この号には・・・ "樂界ニュース"”樂壇 眼耳口”の欄に2つ程、トピックスを見つける事が出来ました。 *東京交響樂團の披露演奏會 これは萩谷さんのご本P182"東宝のクラシック音楽活動の終焉"でも触れられていました、東寶からの改組/独立旗揚げ公演ですね(最初の写真は遠く粗いですがそのステージショット!)。 同年3月31日 歌舞伎座にて午後2時と6時の2回公演であったことが分かります。 ブルッフのヴァイオリン協奏曲をご演奏されました。 …因みにこの前号(5月号)でこのコンサートのものかは不明ながら牛山充氏の胸のすく様な原智恵子さんとのデュオ演奏評コメントが掲載されている旨が同書P184に記載されていて期待しましたがざっと読み進めた感じ見つける事が出来ませんでしたので、後日掲載させて頂くまでもう少し細部隈無く探してみようと思います♪ (11/22訂正:リーディンググラスを装着し普通に読み進めますと、普通に見つかりました^^; いやお恥ずかしいです。謹んで訂正させて頂きます<(_ _)>) *"樂壇 眼耳口"の欄にはヨゼフ・ローゼンシュトック氏の6年振りの来日、日響(NHK交響楽団)とのその6月14/15/16日公演に根自子さんが登壇される事が報じられています。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #音樂之友
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/117
1951(昭和26)年 7月1日 京都 京都大学 リサイタルプログラム
東大に続きまして西の京大での演奏会のパンフレットです。 表記及び印刷が不鮮明・不明瞭な為、1954年か?1951年か?判別が付き難いですが、 *伴奏が田中立江さんである事から1951年 *ヤフオク出品中('23/1月)の同品に、所有品にない薄く"s"が見れます事から1sTで7月1日(日曜日)としました。 *因みに翌週7月7日(土曜日)は、金城ホールにて田中立江さんのピアノ伴奏でリサイタルが催されております。 検証は、京都府の芸能関係の公演記録にも同(1951)年1月15日に諏訪根自子/晶子(光世)姉妹の栄光館に於ける演奏會(=前々日の宝塚大劇場のプログラムあり)はありますものの、日付け如何に関わらず7月にその記載はなく1954年も同様にありませんので出来ておりません。 しかも僅か2ヶ月後にはハリウッドボウル/ハワイへの演奏旅行の為、渡米される事鑑みればタイミング的に?も残ります…。 また判明しましたら、改めて改稿したいと思います。 ・・・然し主催はなんと文化系団体・部ではなく'体育会'なのですね? #諏訪根自子 #nejikosuwa #京都大学
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/42

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    ktr

    2023/11/23 - 編集済み

    巖本眞理という人はまったく知りませんでした。
    よきライバルだったんでしょうかね。
    若松賤子のお孫さんとのことで、若くして亡くなったのは残念です。
    比較論の中に、「善く笑い、善く語る明朗の女性」と書いてありますが、私は彼女の笑っている写真を見たことがないので、あれば見てみたいですね。

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      nine_o_nine

      2023/11/24

      比較論、戦後すぐからこの頃の記事でよく目にします。当時マスコミ・批評家さん方は敢えてそう言った取り上げ方をしていた様な気もします。それだけ傑出されたお二人だったのでしょうね?しかし実際共演もありますし、お互い認め合っておられた記述もありますので・・・本当(ご本人方)は?でありましょうか?

      巌本さんの戦時中空襲に遭い徒歩で巣鴨から日比谷公会堂までズタボロの侭ヴァイオリンケースだけ抱え辿り着きそのままステージに上がり熱演、聴衆の目頭を熱くした逸話には読んでる此方も…であります。

      こちらのお写真、戦時中ドイツでの一枚。…ちょっぴり^^

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