赤鉄鉱 (hematite) 赤谷鉱山 #0335

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金属光沢の板状結晶の集合体で、別名鏡鉄鉱(specularite)と呼ばれるものです。赤鉄鉱は鉄の主要鉱石の一つです。

赤谷(あかだに)鉱山は江戸時代後期の天明年間に開発が開始され、明治中期までは銅鉱が採掘されていました。 1890年代に入り鉄鉱の開発が始まり、1899 年(明治 32 年)に官営八幡製鉄所が当時鉱区を所有していた三菱合資会社から赤谷鉱山を買収、1902年(明治34年)に鉱床開鑿に着手しましたが、その後原料鉄を中国大陸(清・大冶鉄山)から輸入するよう方針が転換され、1904年(明治36年)に工事は中止となり、八幡製鉄所による赤谷鉱山開発は3年あまりで終わりました。 大正時代に赤谷鉄山の再開発が計画されましたが、第一次世界大戦終結後の不況により開発は再度中止されました。しかし満州事変勃発後の1932年(昭和7年)頃から赤谷地区の鉱山開発が活発化し、赤谷鉱山は1934年(昭和9年)2月に設立された日本製鉄へ引き継がれ、1937年(昭和12年)に始まった日華事変により内地の地下資源開発が急務とされ1938 年(昭和 13 年)から第三次開発が行われ、翌1939年(昭和14年)に日鉄鉱業が事業を引き継ぎ、 1941 年(昭和 16 年)に本格操業が開始されました。 1942年(昭和17年)からは朝鮮人、中国人労働者の強制徴用により増産体制を整え、1942年度(昭和17年度)から1943年度(昭和18年度)には年間10万トンの生産を達成しました。終戦後は生産量が激減しましたが、冬季の鉱石輸送に関する対策工事を施して通年操業に移行、年間 約3 万トンに減退した生産量を倍増させ、更に 1960 年(昭和 35 年)から銅鉱の生産も開始しましたが、その後鉱量の減少や金属価格の低迷を受けて経営は難航、1977(昭和52)年に閉山しました。

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