栃木県日光市足尾町 足尾鉱山 燐灰石付き針水晶クラスター

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日本一の鉱都と言われた足尾銅山。歴史は非常に古く、1610年に銅が発見されたことから始まります。江戸幕府の管理下に置かれ、寛永通宝の銅としてこの地の銅が使われたことも。明治に入ると古河財閥の傘下に入り、日本国内随一の銅山となりました。一方鉱毒問題で取り沙汰されるようにもなり、渡良瀬川流域の人々の悩みの種に。1973年に閉山、観光地化されるようになりました。

こちらの標本は、戦前のラベルが付いていた標本群の1つ。ラベルはコピーですが、とても古い印象。

細かい針水晶がびっしり生えた母岩に、2つの燐灰石(アパタイト)が付いています。色がくすんでいてよく分かりませんが、蛍光させると燐灰石がよく分かります。形が歪なものを含めると4つあります。

立派な水晶や燐灰石、金属鉱物などは様々な博物館に飾られていることがあるので、目にすることもあるかもしれませんね。

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