1974 (48TH) SPARK SHADOW DN3 P.REVSON

0

悲しみのテスト中の事故死
ピーター・レブソン SHADOW DN3

1974年レヴソンはエースドライバーとして
地元アメリアのシャドウに移籍
チームメイトはジャン・ピエール・ジャリエ

開幕戦アルゼンチンGP 予選4位
R2ブラジルGP 予選6位と好位置につけるも
決勝はどちらもリタイアに終わる

R3南アフリカGPの前の
キャラミサーキットのテスト中
フロントサスのトラブルによるクラッシュ
マシンは炎上し他のドライバーに救出されるも
残念ながら帰らぬ人となった 享年35歳

弟でレーシングドライバーであった
ダグラスも1967年F3レース中に事故死しており
弟と共にニューヨークに埋葬された

レブソン死の22年後の1996年
アメリカのモータースポーツ殿堂に選出された

F1通算2勝(1973年 R9イギリス/R14カナダ)
〇初めて赤旗中断があったレース
〇初めてセーフティカーが出動したレース
と波乱のレースを制したドライバーであった

#CAREER-ACHIEVEMENTS
🇺🇸ピーター・レブソン (アメリカ)
【決勝出走数】29回 (入賞14回-表彰台8回)
【予選最高位】🚩PP 
  1972年 McLaren R11 カナダ
【決勝最高位】🏆️優勝
  1973年 McLaren R09 イギリス
  1973年 McLaren R14 カナダ
【年間最上位】❺位(2回)
  1972年 McLaren 23ポイント
  1973年 McLaren 38ポイント

Default