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2009 13TH PMA BMW SAUBER F1.09 N.HEIDFELD
the story will be at a later date. 2406
250129 N.HEIDFELD 2009 6FW12C
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2023 12TH BBURAGO ALPNE A523 E.OCON
オコン 2年ぶりの表彰台 オールフレンチ ALPNE A523 2023年エステバン・オコンは アルピーヌ3年目(ルノー含め4年目) チームメイトはアルファタウリから ピエール・ガスリーが移籍で オールフレンチ体制となった オコンはR6モナコGPで 2021年R11ハンガリーGPでの初優勝以来の 表彰台となる3位を獲得 その後R21ラスベガスGP4位があったものの 全体では22戦で入賞12回中8位以下が9回 ガスリーとは決勝で11勝11敗 年間ランキングはポイント差4Pで ガスリー11位(62P) オコン12位(58P) 同一チーム4年目のアドバンテージは 生かせず互角の成績で終わった モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR 仕様 R4以降のブルー/ピンクのカラー A523の特徴はフラット形状のノーズ 隆起したフロントウィング中央セクション 2023年モデルよりアルピーヌも BBURAGOからリリースされた
250123 E.OCON 2023 31FW12C
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1977 6TH PMA McLAREN FORD M26 J.MASS
キャリアベストのシーズン6位 ヨッヘン・マス McLAREN FORD M26 1977年マスはマクラーレン3年目 チームメイトは変わらずジェームス・ハント 旧型M23で前半戦を戦い R2ブラジルGP キャリアベストタイ予選4位 R8スウェーデンGP シーズンベスト2位表彰台 先行してハントがドライブしていた ニューマシンM26をR10イギリスGPから マスにも供給され予選11位→決勝4位 R16カナダGP 周回遅れのマスをハントがパスずる際に接触 ハントがリタイアに追い込まれ激高 なだめるマーシャルを暴行する事件が発生 このGPでマスは最終3位表彰台獲得も 翌1978年もハントの残留が決まっており マスはマクラーレンから離脱する事となった この表彰台がキャリア最後の8度目 R17日本GP予選8位→決勝リタイアに終わるも マスのキャリアベストランキング6位となった モデルはミニチャンプス McLaren EDITION No.98 R10イギリスから使用のM26 M26は前年度1976年オランダGPのみ マスが決勝で使用し9位完走を果している 2390
250122 J.MASS 1977 2.136FW12C
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2001 13TH PMA PROST ACER AP04 H.H.FRENTZEN
チームプロストの終焉 PROST ACER AP04 ジョーダン解雇のフレンツェン 2001年 ジョーダンを途中解雇された ハインツ・ハラルド・フレンツェンは ジャン・アレジと入れ替わる形で終盤5戦 チームプロストに移籍 チームメイトは ルチアーノ・ブルディ/トーマス・エンゲ プロストは資金難でフレンツェンは無給 最低限のパーツの供給さらに 全チームの中で唯一のパワステが無い中 R14ベルギーGPでは予選4位と奮闘 フレンツェンは終盤5戦中完走は3回 ベルギーの決勝9位が最高位 翌2001年はアロウズに移籍 チームプロストはこの年限りで撤退 5年間の短命チームで終わり リジェ時代と合わせると26年間終了 プロスト時代は最高2位で優勝は無かった モデルはミニチャンプス GP表記の無い RACE CAR仕様 シーズン終了後AP04は翌2002年に参戦目指す フェニックス・ファイナンスへ売却 トム・ウォーキンショー・レーシングの エンジンが搭載されたが エントリーの許可はされなかった 2383
250117 H.H.FRENTZEN 2001 22FW12C
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2023 11TH BBURAGO ALPINE A523 P.GASLY
RBグループ離れ アルピーヌ移籍 ピエール・ガスリー ALPINE A523 2023年ガスリーはレッドブルの再昇格が セルジオ・ペレスの契約延長で阻まれた為 レッドブルグループから離脱 アルピーヌに移籍 チームメイトはエスティバン・オコン フランス人ドライバーコンビ 旧ルノー時代含めオールフレンチ体制は 1982年アラン・プロスト/ルネ・アルヌー以来 (フランスチーム(リジェ)としては1994年に オリビエ・パニス/エリック・ベルナールがあり) ガスリーは開幕から入賞はするものの 7位~10位の下位入賞が殆どであったが シーズン終盤までアップデート投入効果もあり R13オランダGPでは自身2年ぶりの3位表彰台 2人のドライバーで表彰台1回づつの合計2回 コンストラクターも前年4位→6位と後退 オールフレンチ体制も結果につながらなかった モデルはBBURAGO GP表記の無いレースカー仕様 ブルー/ピンクの後半戦カラー 2023年~BBURAGOアルピーヌモデルが発売 コスパの観点から来年以降の販売継続 願わくば全チームをBBURAGOで発売切望
241116 P.GASLY 2023 10FW12C
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2003 14TH PMA SAUBER PETRONAS C22 N.HEIDFELD
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241111 N.HEIDFELD 2003 9FW12C
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2014 11TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-29 K.MAGNUSSEN
歴代13組目のF1親子ドライバー K・マグヌッセンMcLAREN MP4-29 ケビン・マグヌッセン デンマーク出身 父は1995年マクラーレンでスポット参戦 1996・1997年途中までスチュワートで レギュラー参戦したヤン・マグヌッセン 歴代13組目のF1親子ドライバー 2013年F・ルノー3.5 チャンピオン(5勝/17戦) 2014年父と同じマクラーレンよりF1デビュー ケビンはレギュラードライバーとして参戦 チームメイトはジェンソン・バトン 開幕戦オーストラリアGP 予選4位→決勝3位フィニッシュ後 2位のD・リカルド(RED BULL)が失格となり 繰り上げ2位表彰台となり早くも父越え その後は11回の入賞があったが 内10回が7位以下でのポイント獲得 年間55ポイントでランキングは11位 翌年はアロンソのマクラーレン復帰に 伴いレギュラーシートを失った モデルはミニチャンプス 開幕戦オーストラリアGP仕様 予選4位→決勝2位表彰台 これまでに5人がエントリー 4人が決勝進出したデンマーク人 ドライバー初の表彰台 2024年現在ケビン唯一の表彰台 最高位2位ドライバーの一人
240623 K.MAGNUSSEN 2014 20FW12C
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2000 5TH PMA WILLIAMS BMW FW22 R.SCHUMACHER
復活のBMWエンジン いきなりの表彰台 ラルフ・シューマッハ WILLIAMS BMW FW22 2000年BMWエンジンが1987年ブラバム以来 13年ぶりにF1復帰しウイリアムズとタッグ 同郷BMWエンジン獲得の狙いもありエースは 前年より加入したラルフ・シューマッハ シーズン前テストでは信頼性不安もあった中 開幕戦オーストラリアGPで予選11位 決勝3位 BMW復帰にいきなり表彰台の活躍 R12ベルギー R13イタリアでも連続3位 年間表彰台は3回 入賞8回でランキング5位 チームもコンストラクター3位と BMW復帰初年度で前年5位から復活を見せた モデルはミニチャンプス 画像1 R2ブラジルGP仕様 予選11位→決勝5位 画像2 BWM別注の特別台紙 ドイツの金融会社Allianzがスポンサーに なる前でエンジンカバーが白い仕様 どちらもモデルは同じ仕様と思われます #2000年
240511 R.SCHUMACHER 2000 9FW12C
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2000 7TH PMA BAR HONDA 02 J.VILLENEUVE
HONDAエンジン搭載 ラッキーストライク ジャック・ヴィルヌーブ BAR HONDA 02 ノーポイントで終了した前年度から 2000年BARはHONDAワークスエンジン搭載 マシン性能も飛躍的に向上 ジャック・ヴィルヌーブは 開幕戦オーストラリアで4位 チームメイトのリカルド・ゾンタとともに HONDA復帰戦でダブル入賞 その後何度か惜しいレースが あったものの表彰台には届かず HONDA地元のR16鈴鹿では6位入賞 年間で4位4回 5位2回 6位1回の7度の入賞 17ポイントでランキング7位 コンストラクターはベネトンと同ポイント 最高順位差で5位と昨年最下位から復活には 8年ぶり復帰のHONDAエンジンが大きく貢献 モデルはミニチャンプス 前年度の奇抜なカラーから一転 白ベースのカラーリングで ラッキーストライクがメインブランド 前年度 右半分あった555のロゴは ロールバーに小さく貼られている
240405 J.VILLENEUVE 2000 22FW12C
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1950 11TH BRUMM ALFA ROMEO 158 R.PARNEL
初代F1親子ドライバー レッグ・パーネル F1初戦で3位表彰台 ALFA ROMEO 158 レッグ・パーネル イギリス出身 1950年 F1の開幕戦となった記念すべきGPの エントリしたー21名のドライバーの1人 アルファロメオの4号車で出場 3F(ファリーナ ファジオーリ ファンジオ) に次ぐ予選は4位 アルファロメオが上位独占 決勝はファンジオのリタイアもあり パーネルは3位でフィニッシュ 決勝もアルファロメオが表彰台を独占 パーネルのアルファロメオは1戦のみ その後1954年までイギリスGP中心に F1でスポット参戦を続けたが 表彰台はこの3位が1度限り パーネルの息子 ティム・パーネルも 1962年にF1で2度の決勝進出があり 所謂F1親子ドライバーの初代がパーネル レッグ・パーネルはその後自身の名前の プライベートチームを結成し ジョン・サーティス クリス・エイモン マイク・ヘイルウッド ピアス・カレッジなどが 同チームでF1参戦している モデルはブルム 1950年のF1開幕戦 イギリスGP仕様 予選4位→決勝3位表彰台 2020年にF1開始70年を記念して 発売されたモデル 限定70台
240315 R.PARNEL 1950 70FW12C
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2020 10TH SPARK ALPHA TAURI AT01 P.GASLY
スクーデリア・アルファタウリ初年度 ピエール・ガスリー初優勝 AT01 2006年ミナルディを買収して レッドブルのジュニアチームトロ・ロッソ として参戦してきたが 2020年チーム名を同社ファッションブランド アルファタウリとしてエントリー ピエール・ガスリーはトロ・ロッソ 残留の形でアルファタウリにて参戦 チームメイトはダニエル・クビアト R8チームホームグランプリ イタリアGP ガスリーは予選10位から途中赤旗の混乱から 抜け出し 最後はC・サインツ(マクラーレン) とのバトルを0.4差で制し見事初優勝 HONDAエンジンと組んで節目の50戦目 チームはトロ・ロッソ時代の 2008年同じイタリアGP ベッテル以来の 12年ぶりの優勝 またフランス人ドライバーとしては 1996年 O・パニス(リジェ)以来 24年ぶりの優勝 この時のエンジンは無限HONDA モデルはスパーク ガスリー初優勝のR8イタリアGP仕様 〖P1〗が書かれているピットボード付 スリーブもアルファタウリ仕様
240307 P.GASLY 2020 10FW12C
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1999 6TH PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 R.SCHUMACHER
ウイリアムズに移籍 ラルフ・シューマッハ 孤軍奮闘 WILLIAMS SUPERTEC FW21 1999年ウイリアムズに移籍の F1 3シーズン目のラルフ・シューマッハ チームメイトはインディ帰りの アレサンドロ・ザナルディ 約2年落ちのルノーエンジンである スパーテックエンジンで苦戦の中 開幕戦オーストラリアGP 予選8位→決勝3位表彰台 16戦中12戦完走中11度の入賞 R12イタリアGPでは2位表彰台を 自身初のファステストラップで記録 ラルフの生涯FLは8回 チームメイトのザナルディが無得点の中 孤軍奮闘で表彰台3回35P 年間順位は6位 1999年評価を上げたドライバ―の1人であった チームはメカクローム(ルノー)エンジンと別れ 翌2000年はBMWエンジンでの参戦となる モデルはミニチャンプス タバコスポンサーのWinfieldの赤をベースに フェニックスをイメージしたようなカラー 1999年のみのカラーリング 同モデルはホットウィールからも発売 #1999年
231121 R.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
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1969 8TH SPARK (FRANK WILLIAMS) BRABHAM BT26A P.COURAGE
フランク・ウイリアムズRC デビューマシン ピアス・カレッジ BRABHAM BT26A 9回のコンストラクターチャンピオン ウイリアムズF1の前身のチーム フランク・ウイリアムズ レーシングの デビューマシン ブラバムからマシンを購入 1969年シーズンに1台体制で参戦 ドライバ―はフランク・ウイリアムズの 同居人でもあったピアス・カレッジ イギリス出身 F1 3シーズン目 デビュー2戦目となる R3モナコGPで 予選9位から決勝は2位表彰台獲得 その後R10アメリカGPでも2位 年間4度の入賞で16P 年間順位は8位 初年度としては成功のシーズンであった ピアス・カレッジは生涯最高位2位の ドライバ―の1人でもある モデルはスパーク フランク・ウイリアムズのデビューとなった R2スペインGP仕様 予選11位→決勝リタイア フロント・リアに大型のウイングを 装着した仕様になっている
231109 P.COURAGE 1969 11FW12C
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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1974 11TH IXO McLAREN FORD M23 M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド F1ラスト YARDLEY McLAREN FORD M23 1974年マクラーレンは新たなスポンサーで タバコの多国籍企業フィリップモリスの マールボロとアメリカ石油のテキサコを獲得 しかしながら前年までの化粧品会社 ヤードレーとの契約も残っており 所謂Bチームとしてプラス1台体制を取り そのチームにマイク・ヘイルウッドを起用 ヘイルウッドは開幕から3戦連続入賞 R3南アフリカGPは自身2度目の表彰台3位 R4以降の入賞はR8オランダの4位のみ R11ドイツGP終盤5位走行中に マシントラブルによりバリアに衝突 長時間閉じ込められて両脚を骨折 そのままF1からは引退となった その後2輪ドライバ―としては復帰し マン島TTレースと2年連続制覇 1981年に交通事故により愛娘とともに 残念ながらこの世を去った 享年40歳 モデルはデアゴスティーニ(IXO) F1マシンコレクションシリーズは その年の主役以外のモデルも リリースしていたのが魅力のひとつ ヘイルウッドの最後の雄姿の YARDLEY McLAREN M23もその1台 #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇬🇧マイク・ヘイルウッド (イギリス) 【決勝出走数】50回(入賞10回-表彰台2回) 【予選最高位】 ④位(2回) 1972年 SURTEES R2 南アフリカ 1974年 McLAREN R8 オランダ 【決勝最高位】 ②位 1972年 SURTEES R10イタリア 【FastestLap】 🏁1回 1972年 SURTEES R2 南アフリカ 【年間最上位】❽位 1972年 SURTEES 13ポイント
231027 M.HAILWOOD F1マシンコレクション 1974FW12C