1950 13TH QUARTZO FERRARI 375 D.SERAFINI

0

1戦限りの出場で2位 表彰台率100%
ドリノ・セラフィーニ FERRARI 375

F1開催 初年度1950年
ドリノ・セラフィーニ(イタリア)は
最終戦R7イタリアGPにフェラーリで出場

予選は6位からスタート
チームメイトのアルベルト・アスカリが
21周目にエンジントラブルでリタイア

この年は1度リタイアしても
同一チームの他車に乗り継ぎが可能
セラフィニ車→アスカリが乗り継ぎ
全80周中セラフィニが47周走行
引き継いだアスカリが33周走行
最終2位でチェッカーを受けた

2位に付与される6ポイントは
3ポイントずつに2人に分けられた

セラフィニはF1公式戦はこれが唯一で
出場1回→2位表彰台
アメリカのみの参加も多かった
1950年代のインディアナポリス含めても
F1史上2人だけの事例
ちょっとマニアックなドライバ―を
QUARTZOがモデル化

個人的に好きな最高位2位のドライバ―達
年代別で行けば最初になるのが
ドリノ・セラフィーニ
当該の所持の少ないドライバ―数名集めた
〖HIGHEST 2ND DRIVER (etc)〗ルームを
そのうち作成予定です

Default