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2023 14TH SPARK ALPHA TAURI AT04 Y.TSUNODA
日本人ドライバー3人目のFL記録 角田裕毅 ALPHA TAURI AT04 2023年 角田はアルファタウリ3年目 チームメイトは次々代わり3名 ニック・デ・フリース ダニエル・リカルド リアム・ローソン R12ベルギーGPでシーズン3度目の10位入賞 これで角田は前年より入賞が 5回連続入賞ギリギリの10位と珍しい記録 R18アメリカGP 10位走行の角田は最終周に仕掛け 1分38秒139のファステストラップを記録 1989年 R16オーストラリアGP 中嶋悟 (LOTUS) 2012年 R3中国GP 小林可夢偉 (SAUBER) 以来日本人ドライバー史上3人目のFL FLでのポイント獲得(1P)日本人初 このGPは10位でフィニッシュ 6連続入賞10位かと思われたが レース後2人失格で8位に繰り上がった 最終的には入賞は6回で年間ランキングは14位 翌2024年も角田はチームに残留 チーム名称がアルファタウリ→RBに変更された モデルはSPARK R22ラスベガスGP仕様 予選20位→決勝18位 終盤2戦のスペシャルカラーモデル カリフォルニア出身のアーティスト ブレンダン・モンロー氏とコラボした 車体を流れるような白黒ストライプカラー 更にバンダイナムコ・アメリカ社と 1戦限りのパートナーシップを締結 マシンコックピット両サイドに 〇RX-78-2ガンダム 〇XVX-016 ガンダム エアリアル のデカールが貼られた
250308 Y.TSUNODA 2023 1回FW12C
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2001 12TH HOT WHEELS JAGUAR R2 E.IRVINE
自身2年ぶり ジャガー初の表彰台 エディ・アーバイン JAGUAR R2 2001年ジャガー2年目のアーバイン チームメイトは開幕当初ルチアーノ・ブルディ R5~はペドロ・デ・ラロサ日本参戦コンビ R7モナコGP 予選シーズンベストの6位 決勝J・ヴィルヌーブとの争いを制し3位 自身2年ぶり ジャガーは参戦2年目で初の表彰台 この時の表彰台はフェラーリの1.2フィニッシュで 1位ミハエル・シューマッハ 2位ルーベンス・バリチェロは いずれも元チームメイトであった R16アメリカGPで5位入賞と シーズン入賞は2回でランキング12位 チームはマクラーレンのデザイナー エイドリアン・ニューウェイの招集に失敗 チームオーナーの元F1ドライバー ボビー・レイホール失脚し 後任はニキ・ラウダが就任した アーバインはチームに残留 翌2002年F1ラストシーズンを迎える モデルはHOT WHEELS GP表記無い RACE CAR仕様 2年連続でHOT WHEELS から ジャガーのモデルが発売されたが 2002年のJAGUAR R3は未発売 アーバインのラストマシンは 現時点(2025年)でどのメーカーからも 量販モデルが発売されていない空白モデル 2436
250211 E.IRVINE 2001 18FW12C
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2011 11TH PMA LOTUS RENAULT GP R31 N.HEIDFELD (GP MALAYSIAN)
ニック・ハイドフェルド 13回目表彰台 LOTUS RENAULT GP R31 2011年 R2マレーシアGP(セパン) 予選シーズンベストとなる6位獲得 ハイドフェルドの前は レッドブル2台(S・ベッテル/M・ウエバー) マクラーレン2台(L・ハミルトン/J・バトン) フェラーリの F・アロンソ 決勝 元チームメイト同士の ハミルトンとアロンソの激しいバトル 両者にレース後+20秒のペナルティが課される その中でハイドフェルドは M・ウエバーを最終1.3秒差で抑えて 2年ぶりの表彰台となる3位 結果自身最後となる13回目の表彰台 チームも開幕のビリタリー・ペトロフ3位に続く 連続の表彰台となったが以降は低迷し この年の表彰台は2回のみであった モデルはミニチャンプス R2マレーシアGP仕様 予選6位→決勝3位 ハイドフェルドはこの13回目の表彰台で ステファン・ヨハンソンの12回を上回り 未勝利ドライバーの最多表彰台記録を更新した 2407
250129 N.HEIDFELD 2011 9FW12C
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2001 8TH PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C20 N.HEIDFELD (GP MALAYSIA)
the story will be at a later date. 2403
250129 N.HEIDFELD 2001 2.222FW12C
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2001 11TH PMA BENETTON RENAULT SPORT B201 G.FISICHELLA
ベネトン最後の入賞は3位表彰台 ジャンカルロ・フィジケラ BENETTON B201 2001年 フィジケラはベネトン4シーズン目 チームメイトはウイリアムズから レンタル移籍となったジェンソン・バトン 翌2002年からルノーにチームが買収され チームは翌シーズンへのテスト的に戦い 特に前半はベネトン史上最低の成績 後半は新型エンジンの開発も進み成績が向上 フィジケラはR14ベルギーGP 予選8位 決勝は途中赤旗中断でレース打ち切りとなったが 結果的に3位表彰台を獲得 1986年から参戦したチームベネトン最後 102回目の表彰台 212回目の入賞となった フィジケラは入賞3回 8ポイントで シーズンランキングは11位 翌2002年はジョーダンに移籍 佐藤琢磨とのコンビとなる モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR 仕様 タバコ禁止GPでは MILD SEVEN→ドライバー名となり フィジケラは愛称の【FISICO】 #2001年
241123 G.FISICHELLA 2001 7FW12C
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2001 14TH PMA BAR HONDA 03 O.PANIS
2シーズンぶりのF1復帰 オリビエ・パニス BAR HONDA 03 O・パニスは1999年プロスト離脱後 2000年マクラーレンのテストドライバー テストドライバーとして評価され マクラーレンの破格の継続オファーがあったが レギュラードライバーとしてBARでF1復帰 チームメイトはジャック・ビルヌーブ R3ブラジルGP予選11位→決勝4位 復帰後初入賞はチームのシーズン初ポイント R5オーストリアGP予選10位→決勝5位 その後は低迷し入賞は2回のみ パニスの復帰シーズン初年度は 年間ランキング14位でジャック(7位)に 大きく負けたものの翌2002年もBARに残留 モデルはミニチャンプス GP表記無しタバコ禁止GP LUCKY STRIKE→LOOK ALIKE仕様 1994年デビューのパニスは リジェ~プロスト所属ですべて青いマシンから BARで初めて違うカラーのマシンをドライブ 2001年R9ヨーロッパGPで100戦目を迎えた
241118 O.PANIS 2001 9FW12C
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2001 8TH PMA SAUBER PETRONAS C20 N.HEIDFELD (GP BRAZIL)
ニック・ハイドヘルド 初の表彰台 R3ブラジルGP SAUBER PETRONAS C20 2001年R3ブラジルGP ニック・ハイドフェルドは予選9位 チームメイトのキミ・ライコネンは予選10位 決勝ではオープニングラップから セーフティーカーが出る荒れたレース 途中激しい雨や接触など上位陣脱落の中 トップのデイビット・クルザード(マクラーレン) からは周回遅れになるも ハイドフェルドは3位でフィニッシュ 自身初の表彰台獲得となり ハイドフェルドのキャリア表彰台は13回 チームザウバーも1998年のR13ベルギーGP ジャン・アレジ以来となる2度目の表彰台となった モデルはミニチャンプス R3ブラジルGP 予選9位→決勝3位 ハイドフェルドのFIRST PODIUM オリジナル台紙仕様で INTERLAGOS APRIL 1st 2001の表記 当時としは少な目のLIMITED 1.008台
241111 N.HEIDFELD 2001 1.008FW12C
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2011 11TH PMA LOTUS RENAULT GP R31 N.HEIDFELD
the story will be at a later date.
241111 N.HEIDFELD 2011 9FW12C
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1977 20TH SPARK SHADOW DN8 R.PATRESE
元祖鉄人 リカルド・パトレーゼ デビューマシン SHADOW DN8 リカルド・パトレーゼ イタリア出身 1976年イタリアF3(3勝) ヨーロッパF3(4勝) ダブルチャンピオンを獲得 1977年ヨーロッパF2参戦中に 資金難によりシートを失った レンツォ・ゾルジの後任として R7モナコGP シャドウよりF1デビュー 当時は大学に籍があり学生ドライバー F2を優先した為 途中3戦は欠場 J・オリバー/A・メルッザリオ/ J・P・ジャリエがそれぞれ代役 初戦R7モナコGPは決勝9位完走 チームメイトのアラン・ジョーンズが 初優勝を含む6度の入賞の中 パトレーゼは苦戦 それでも最終戦 R17日本GP(富士SW)で決勝6位初入賞 パトレーゼのキャリア入賞は73回 翌1978年はグンナー・ニールソンの 代役でアロウズのレギュラーシート獲得 以降1993年まで16シーズン(トータル17) レギュラードライバーとして活躍 モデルはスパーク R17日本GP仕様 予選16位→決勝6位 日本GPはこの後一時中止となり 次開催は10年後の1987年の日本GP(鈴鹿) 1977年と1987年の両方の日本GPに 出場したドライバーはパトレーゼのみ
240622 R.PATRESE 1977 16FW12C
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1983 12TH PMA TYRRELL FORD 012 M.ALBORETO (PRACTICE GP AUSTRIA )
ティレル012 ブーメランウイング 予選のみ使用 ミケーレ・アルボレート 1983年 ティレルはニューマシン ティレル012を後半戦から導入 012の新車発表会で装着されていたのは 奇妙な形状のV型リヤウイング 通称 ブーメランウイング R11オーストリアGP予選でも ブーメランウイングを装着して走行 しかしながら極端なダウンフォース不足で 決勝レースは通常ウイングに変更された このマシンはチームメイトの ダニー・サリバンのは供給されず アルボレート車の同GP予選のみという 極短命で終了しその後使用されなかった モデルはミニチャンプス ブーメランウイング装着の R11オーストリアGP予選仕様 予選18位 ベネトンのコーポレートカラーグリーンと 奇抜なウイングがマッチした1台 #1983年 https://youtu.be/E14LfyytlP0
240619 M.ALBORETO 1983 2.016FW12C
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2001 8TH PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C20 N.HEIDFELD
the story will be at a later date. #2001年
240531 N.HEIDFELD 2001 16FW12C
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1969 14TH SPARK (ANTIQUE AUTOMOBILES RACING) McLAREN M7B V.ELFORD
クイックビック ビック・エルフォード 1台限りのマシン McLAREN M7B ビック・エルフォード イギリス出身 1968年ラリーモンテカルロで優勝 1週間後にデイトナ24時間を制し偉業達成 その時についた愛称が クイック・ビック 同年クーパーよりF1参戦 1969年はプライベーターの ANTIQUE AUTOMOBILESで マクラーレン M7Bのマシンで参戦 M7Bは葉巻型M7Aと異なり燃料タンク内蔵で 車体一体のサイドポッドを 取り付けしたマシンであった シーズン途中マクラーレンからマシンを購入 R5フランス決勝5位 R6イギリス決勝6位 連続入賞でポテンシャルを引き出した R7ドイツ シーズンベスト予選6位 1周目四輪駆動車のロータス63を ドライブするM.アンドレッティが クラッシュして2輪のホイールが脱落 片方のホイールに当たった エルフォードは激しくクラッシュ マシンは真っ逆さまになって木に落下 アンドレッティはエルフォードを 大破したマシンから救出したが エルフォードは腕を3箇所骨折 1台のみ製作のM7Bはそのまま廃車となった エルフォードは2年後の1971年 クラッシュで負傷した同じドイツGPに BRMで出場予選18位→決勝11位完走 これがF1での最後のキャリアとなった モデルはスパーク R5フランスGP仕様 予選10位→決勝5位 M7Bの燃料はコックピットの側面にある 一体型タンクに低く中央に貯蔵され 燃料重量配分を変えることで ハンドリングを改善するという理論で設計 4輪駆動のM9A風のリアカウルを装備 #1969年 #F1
240216 V.ELFORD 1969 10FW12C
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2000 14TH PMA BAR HONDA 02 R.ZONTA
20世紀最大のオーバーテイク傍観者 リカルド・ゾンタ BAR HONDA 02 2000年リカルド・ゾンタはBAR残留 チームメイトは変わらずJ.ビルヌーブ F1第3期活動を開始したHONDAが BARにワークスエンジンを供給 開幕戦オーストラリアGPで 早くもHONDA効果が表れ ビルヌーブ4位 ゾンタ6位の ダブル入賞を飾りゾンタはF1初ポイント その後R14イタリア R15アメリカでも 6位入賞で年間3ポイント ランキング14位 ゾンタのハイライトはR13ベルギーGP M・シューマッハ(フェラーリ)と M・ハッキネン(マクラーレン)の 20世紀最大のオーバーテイクともいわれる 伝説のシーンで両者に挟まれる形で 周回遅れにされたのがゾンタであった モデルはミニチャンプス GP表記が無いRACE CAR仕様 タバコスポンサー禁止のGPでは LUCKY STRIKEが LOOK ALIKEと表記されていた R13ベルギーGP ゾンタのオンボードカメラ https://www.youtube.com/watch?v=pdAUoEnr8Ts&pp=ygUQMjAwMOW5tOOAgOOCueODkQ%3D%3D
240124 R.ZONTA 2000 22FW12C
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1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN (BELGIAN GP)
ヨス・フェルスタッペン 連続3位は‥BENETTON FORD B194 1994年R11ベルギーGP この年の序盤戦の度重なる事故を受け スパ・フランコルシャンの超高速 名物コーナー オー・ルージュに 急遽シケインが設置された(1994年のみ) 前R10ハンガリーGPで 初ポイントを初表彰台3位で飾った ヨス・フェルスタッペン R11ベルギーGPは雨の影響もあり ジョーダンのルーベンス・バリチェロが 当時最年少となるPPを獲得 ヨスはキャリアベストとなる予選6位 決勝は4位でフィニッシュ その約5時間後チームメイトで トップでチェッカーを受けた ミハエル・シューマッハが車両規定違反で 失格となりヨスは繰り上がりで3位 2戦連続での3位となったが ベルギーは表彰台に上がらずの3位 ヨスのキャリア最後の3位で キャリア連続の入賞もこの2戦限りであった モデルはミニチャンプス レジン製でベルギーGP仕様として発売 15か所もあるMILD SEVENのデカール添付 マシンに2か所の車載カメラや この年途中レギュレーション変更れた エアボックス開口部分の背面に穴も再現
231123 J.VERSTAPPEN 204 6FW12C
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1980 20TH PMA LOTUS FORD 81 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ最後のロータス 僅か1ポイント LOTUS FORD 81 マリオ・アンドレッティロータス5年目 チームメイトはシャドーより移籍の エリオ・デ・アンジェリス ロータスはメインスポンサーが 石油関連会社のエセックスになり ダークブルーとレッドのカラーに変更 エセックス社はオーナーのデビット・ティームが 詐欺容疑で翌1981年で逮捕されて会社も崩壊 スポンサーも1981年途中で撤退する 詐欺で無くなった会社のロゴが1980年の モデルカーや写真・映像中で存在し続ける という何とも複雑な感じがします マリオは開幕からアンジェリスに負け その後も予選・決勝とも苦戦 ロータス81が明らかな失敗作 最終R14アメリカWで何とか6位入賞も ポイントはこの1Pのみで終了 2年前のワールドチャンピオンは 5年間過ごしたロータスを去り 翌1981年はアルファロメオに移籍
230720 M.ANDRETTI 11 1/43FW12C