PENTAX Super Multi Coated MACRO TAKUMAR F4/100mm

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PENTAX Super Multi Coated MACRO TAKUMAR F4/100mm

我が家のレンズ第五弾!
引き続いてのマクロレンズですが、こちらは、100mmと望遠マクロで、一番の長所は、被写体と離れたところからマクロ撮影が可能であるところです。

草花などのマクロ撮影には結構便利で、レンズの外観も他のTAKUMAREレンズに比べると少し太め、のデザインと成っています。
このデザイン、個人的には好きで、NEX-6に取り付け使っていてもカッコいいなと思ってしまいます。

SMCマクロタクマー100mmF4は、0.5倍まで寄れるヘリコイドと、開放測光連動の絞りを与えられ、マルチコーティングを施して、1972年12月に発売されました。
それまで50~60mmが常識だったマクロレンズに、100mmのマクロレンズを加える事で、接写をより柔軟に利用出来るようにした功績は大きいと思います。

ピントは45cmまで寄れて、0.5倍撮影が可能というマクロ撮影が可能です。
写りについては、マクロ域と一般撮影、開放と絞り込みで評価が変わってきます。

マクロ域の撮影では、解像度こそ高く感じませんが、雰囲気はタクマーに恥じないもので、コントラスト、質感の描写も良好なしっかりした写真が得られます。
一般の望遠撮影になると、最小絞り近くで使えば高コントラストで鮮明な写真が撮れますが、レンズのヘリアー構成からくる影響なのか全体的には質感が高いとは言えないようです。

このレンズも、オークションで手に入れたのですが、外観よりもレンズに問題があり、分解クリーニングが必要な状態でした。

そしてこのレンズも又、貼り合わせレンズがバルサム切れを起こしていた為に手のかかるクリーニングとなってしまいました。
ただ、一度バルサム切れの修理を経験していたおかげで、比較的スムーズに作業が完了し健全な状態に戻すことが出来活躍しています。

参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=I7C8913GzzU
https://www.youtube.com/watch?v=tSFeRESdGv0

【製品概要】
モデル : ペンタックス スーパーマルチコート マクロタクマー f/4 100mm
ブランド : PENTAX
焦点距離 : 100mm
最短焦点距離 : 45cm
マクロ倍率 : 0.5倍
開放値 : f/4
シリーズ : ペンタックススーパーマルチコートマクロタクマー
タイプ : 望遠マクロ
フォーカス : マニュアル
マウント : M42

レンズの、テッサー構成とヘリアー構成について

【テッサー構成について】
カールツァイスによればテッサーはウナーの前群とプロターの後群を合わせた3群4枚構成、とされているが、3群3枚凸凹凸のトリプレットを発展させ後玉を凹凸2枚の貼り合わせレンズとしたもの、とも見ることができる[4][6]。

特許上は2群と3群の間に絞りがある。多くのバリエーションがあるが標準的な設計では前玉から順にSK4、FL4、KzF2、SK10[7]。1群と2群の間に絞りがあるものをエルンスト・ライツ(現ライカ)のエルマーにちなんで「エルマー型」と区別することもあるが、エルマー銘でも2群と3群の間に絞りがあるものもあり、厳密にこだわるほどのものでもない。

テッサーは当時広く利用されていたトリプレットなど他の構成と比較して歪曲の少なさ、ボケの美しさ、何よりピント面のシャープさなど驚異的な高画質が特徴である。カールツァイスは「あなたのカメラの鷲の目」[4](Das Adlerauge Ihrer Kamera )というコピーでテッサーを宣伝し、実際に世界中の写真家からそう呼ばれるようになった。

テッサーの登場によって多くの人々が「普通によく写るレンズ」を手に入れたと言われる。もっとも当初のテッサーは高級レンズであり、多くの人々の手に届くものではなかった。本当の意味で多くの人々が「普通によく写るレンズ」を手にしたのはテッサー構成のレンズが普及品となった20世紀半ば以降であり、テッサーの発明から実に50年ほどを要した。

反面で大口径化への限界があり、20世紀半ば以降はレンズの設計および製造技術の進歩でより複雑なレンズ構成がテッサー構成に代わって主流となっていった。しかしテッサー構成はそのシンプルさゆえに廉価で画質が良くコンパクトに収まる特徴が評価され、21世紀に至っても適合する用途では利用され続けている。

【ヘリアー構成 とは】
1900年にハンス・ハルティングが設計した。新種ガラスを使用しクック・トリプレット3群3枚のうち前群後群を張り合わせにした3群5枚。豊麗な描写で有名になった。営業写真館では家宝のように大切に扱われ、袱紗に包んで家族にも触らせなかった写真師がいたほどであったという[1]。

当時輸入を担当していた小西六本店(コニカを経て現コニカミノルタ)が1928年(昭和3年)3月に出版したPR誌によると、昭和天皇夫妻の御真影もヘリアーで撮影されている[1]。

2002年にヘリアーの登場から101周年を記念した際には、3群5枚中玉凹レンズの基本構造を踏襲し、35mmフィルム判では初となるヘリアー50mmF3.5も限定生産で販売された。2006年にフォクトレンダー250周年を記念した際には、ヘリアー初のF2.0を実現した、ヘリアークラシック50mmF2が限定生産のカメラとセットとして販売された。2014年には、35mmフィルム判の交換式レンズでは初(レンズ一体型カメラは以前からいくつか存在している)となる焦点距離の、ヘリアー40mmF2.8が発売された。

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