40年来のコレクターから古着屋に転身。恵比寿の古着屋「54BROKE」が受け継ぐ「当たって砕けろ」の精神

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文/佐々木 健人
写真/後藤 敦

恵比寿ガーデンプレイスを抜け白金方面に少し歩いた閑静な住宅街の中に、コレクター垂涎のヴィンテージ古着を扱うショップがある。

リーバイスのデニムジャケット、Ralph Lauren(ラルフローレン)のドロップ品に、ヴィンテージのハワイアンシャツ。普通の古着屋なら、手の届かない壁面上部にあるようなアイテムが「54BROKE」には所狭しと置かれている。

MuuseoSquareイメージ

昨今、ヴィンテージ古着で状態が良いアイテムを見つけるのは難しい。それは、1970年代後期から2000年前半にかけて、日本からアメリカに渡ったバイヤーが古着を買い集めてきたことに端を発する。

古着の値段が上がってきている。そんな状況の中で、54BROKEが状態の良いヴィンテージを販売できているのは、オーナーの成田さんがコレクターから転身して古着屋をはじめたためだ。

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「夢は古着屋で、一国一城の主を目指して」古着屋をはじめたわけではない。本当にアメリカンファッションが好きで、色々集めていくうちに雑誌などでコレクターとして取り上げられることになった。そのため、店舗で販売している洋服は所有しているモノがほとんど。買い付けにあまりいくことはないという。

収集する側から販売する側へ。ポジションを変えた成田さんがお店を通して伝えたいことと、古着観について伺った。

古着を着ているだけで道玄坂で声をかけられた時代

ーー アロハシャツのコレクターだと雑誌で紹介されているのを読みました。洋服に興味を持ち始めたのはいつ頃から?

中学生のころだね。スケボーをやっていたからサーフショップに行ったんです。そのお店は古着も輸入してて、サーフボードと古着を見て「うわー、これはヤバイ!」と。

スタジアムジャンパーで言えば、チェーンステッチで◯◯ハイスクールとか色々刺繍されているわけ。でも当時日本にはそんなミシンがないので、同じやり方で洋服を作ろうと思っても作れない。だから、それを見て衝撃を受けましたね。「これはヤバイ!」と。

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ーー 中学生だとすると1970年代中頃でしょうか。

そのころですね。

ーー ヴィンテージ古着にスポットが当たる前、アイビーの人気が再燃していたころ?

そうそう。みんなVAN着ていました。電車に乗ると、スイングトップを着てつり革掴んでいる人が3人並んでいることもありました。「俺はジェームズ・ディーンだぜ」みたいな。それをよしとする人もいたんですけど、私は人と同じモノを着るのが嫌だったんです。

古着を着て道玄坂を歩いているとよく声をかけられました。「それ、どこで買ったんですか?」「いや、古着なので1点モノです」って。固まってました(笑)。当時は古着屋なんて数店あるか無いかぐらいの時代だったんです。

ーー 今でこそヴィンテージ古着という言い方をされていますが、当時は古着ですよね。選ぶ基準はありましたか。

基準は、自分はもう全部インパクト。服はインパクトですね。自分が好きなハワイでも、カメハメハ大王のキャラクターがプリントされているTシャツがあって、「うわ、これは面白いな」とか。

例えばこのTシャツ。ハワイ大学なのかハイスクールなのか分からないウォリアーズのTシャツなんですけど、当時の兵隊の格好をしてフットボールを持っていてユーモアがあります。例えて言うなら、侍をパロディっぽくしたイラストなんですけど日本人のセンスにはあまり無いと思います。アメリカはひねった発想とか遊び心を消さないんですよね。

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ーー だから「54BROKE」には刺繍が施されているジャケットやパッチがついている古着が多いんですね。

そうですね。自分の興味があって集めていた洋服を販売しているので、取り扱っている洋服は50年代60年代が多いです。その中で何に特化しているのかと言えば、軍モノとハワイアンと、ジーンズとか。

あとはおっしゃるように刺繍モノやパッチがついてたりとか、何か変わった感じのモノが好きです。それは小学生のころ、破れたジーンズに自分がワッペンをポコポコつけていたからですね(笑)。

古着屋をはじめたきっかけは「やってみなければわからない」という精神

ーー コレクターから一転し、お店を始めた理由を教えてください。

雑誌なんかで7年間くらいよく取り上げられて、「そろそろお店出してみたらどうですか?」と知り合いからそそのかされたのがきっかけだと思います。でも、最初は別の仕事もあるし、お店に顔出せないわで大変でしたけどね。

ーー 私だったら背中を押してもらっても、お店を始めるのはハードルが高そうだとも思いました。

僕は空手を教えているんですけど、やる前から「できない」と言う子どもたちが多くなってきたなと感じていて。

ハワイの日系アメリカ人によって構成された部隊、442連隊を知っていますか。

ーー ごめんなさい。わからないです。

私は442連隊のモットーである「Go for broke」つまり「やってみなければわからない!」を大切にしてきたので、まずはお店を開いてチャレンジしようと。波乗りする時も、死ぬかもしれないけどまずは沖にでてみて、難しかったら巻かれて帰ってこようと考えていましたから。

ジャパニーズアメリカン・第442連隊戦闘団(442nd Regimental combat Team)tpは、第2次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した部隊。日系アメリカ人によって構成された。アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られている。

ーー 442連隊の影響を受けているんですね。サーフィンをするとなるとハワイ以外にも選択肢はあるかと思います。例えば、カリフォルニアではなくハワイに向かったのはどうしてですか。

当時はハワイのノースショアを舞台にした映画をよく放映していたから、海外でサーフィンやりたいとなればハワイだったの。カリフォルニアとは言わなかった。

ノースショア、ハナウマベイ、ダイヤモンドサンデービーチ。色々なところへレンタカー借りて観光しました。当時は80年81年の頃なんで、1ドル270円くらいだった。お金も無い頃できりつめてハワイに行ったので、「一人一部屋なんて贅沢だ」なんて言って友だちと割り勘で3部屋借りて過ごしたりしてね。

そこのオーナーがハワイへ移住した日系の方で、戦争当時の話を聞いたことはよく覚えています。そう、タクシーの運転手の方も日系の方で戦時中の話をしてくれたよ。「戦争当時大変だったのよ」とドライバーの女性から話を聞いた時には、若いながらも驚嘆して涙ぐんだなあ。

まだ若輩者ですが、ハワイアンシャツやオリジナルのGo for Brokeのシャツを売って、日系の方たちのスピリットを伝えられたら幸いだと思います。

ガラスに貼られているアートワークは、成田さんの友人に施してもらったもの 。金箔でをペタペタと貼り付けてコーティングする手法で作られており、50sのテイストが表現されている。これができる職人さんは少なくなっているそう。

ガラスに貼られているアートワークは、成田さんの友人に施してもらったもの 。金箔でをペタペタと貼り付けてコーティングする手法で作られており、50sのテイストが表現されている。これができる職人さんは少なくなっているそう。

ヴィンテージを収集することは、歴史を紐解いていくような感覚に近い

ーー 古着屋をはじめて、ファッションの動向を追うことはありますか。自分が好きな年代をずっと追っているのか、新しい洋服にも興味を持つのか。

うーん、ハイブランドなんかはすごいですよね。LV(ルイス・ヴィトン)がシュプリームとコラボしているし、グッチも虎柄の刺繍を施した洋服を出しています。それはびっくりしましたね。さすがだと思います。

あなたがいま履いているズボンだって、パッチワークの要素をデザイナーの方が入れているわけです。そういうズボンを作るのは覚悟がいるんですよ。アパレルが失敗すれば、結構大きな額を損失するからね。

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ーー ユニークでチャレンジングなブランドがある中で、成田さんが今なおヴィンテージの古着に魅了されている理由を教えてください。

僕は自分自身がアメリカの文化やカルチャーに影響されて育ってきたから、レーヨンとコットンがいい具合で混紡されたシャツ、1950年代に出てきたアロハシャツとかを好んで着ているんです。今出ているハワイアンシャツだっていい柄はたくさんありますよ。

ヴィンテージの良さは、何十年も前から存在するから、どういう風に作っていたのかわからなかったりするじゃない。歴史を紐解いていくような感覚が面白いですね。まあ、ファッションは色々なことに左右されずに自分が楽しめればいい、私はそう思っています。

ーおわりー

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File

54BROKE

恵比寿・白金台・目黒駅から徒歩10分。東京都庭園美術館沿いの国道418号線の通りを一本入ったところにお店を構えるヴィンテージ古着屋。店内にはハワイアンシャツを中心にミリタリージャケット、ヴィンテージのデニムなどが並ぶ。成田さんがヴィンテージコレクターということもあり、現在では手に入らないような古着も扱う。店名54BROKEは「Go for Broke」と読む。その由来はアメリカ史上最強と名高い、日系アメリカ人による陸軍の部隊「442連隊」の標語から。「Go for broke」(一か八かだ当たって砕けろ、やってみなければ分からない)が、経営者である成田亘さんのチャレンジ精神旺盛な性格と合致し、その名が付けられた。

公開日:2018年6月30日

更新日:2022年4月14日

Contributor Profile

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佐々木 健人

エディター、プランナー。1993年東京都生まれ。時計メーカーを経てミューゼオに入社。オンラインジャーナル「ミューゼオスクエア」のディレクション、ECサイト「ミューゼオファクトリー」の製品開発などを担当。

終わりに

佐々木 健人_image

編集長の成松がアロハシャツを54BROKEで購入したことから成田さんとの縁ができました。「普段クラシックファッションに身を包んでいる編集長がアロハシャツを買ってくるなんて」とびっくりしましたが、成田さんとお話してみて納得です。とてもお話が面白く、知識もあります。お客さんの中にはコーヒーを片手にお店を訪れて2時間ほどお話する方もいるとか。駅から少し歩くのですが、その分ゆっくり洋服を選ぶことができます。

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