Nikeが1987年に発売を開始した「Nike Air Max1」。ソール部分に配置されたエアユニットが、はじめて目に見える形で搭載されたその靴は、スニーカーキッズたちの胸を躍らせた。そして、1995年に衝撃的なデビューをした「Nike Air Max 95」のイエロー x グレー。イエローグラデと呼ばれたその靴に、日本中の若者が心を奪われた。
あの頃のこと、そして未来のこと。
スニーカー好きの3人が、いろいろな角度からNike Air Maxに関して語りあってみた。
今日は、ナイキ エアマックス対談ということで、エアマックスの魅力であったり、当時のストーリーなどを楽しく語りながら、エアマックスをさまざまな角度から、もう一回見直してみたいと思っています。
まず最初に、岸さん。1995年のエアマックスが盛り上がった頃に、雑誌「
Boon」のライターとして現場の最前線にいたと思うのですが、岸さんがライターになるまでの簡単な背景を教えてもらえますか?
大学3年生の時に「Boon」でライターの仕事を始めました。高校時代の友達がスタイリストのアシスタントとして、Boon編集部に出入りしていたのがきっかけで、紹介してもらったんです。最初はライター見習いみたいな感じでしたが、ただの大学生には右も左も分からない状態。それなのに「L.A.ギャングスタイル」とか「ワークウェア特集」とか、もう全く分かりませんでした。あとはBoonの名物企画で「カッコマン」というストリートスナップの取材が新人スタッフの登竜門だったので、スナップの撮影会によく駆り出されました。
だから、最初の頃はスニーカーとは無縁でしたが、たまたま、僕の所属していた班が93年11月号でナイキ特集を担当し、その号がすごく売れたもんだから、「じゃあ、この班でまたスニーカーをやろうか」という話になり、自然と僕らの班がスニーカー担当みたいな雰囲気に・・・。
ただ、当時は僕より先輩のライターがリーダーを務め、その上に編集の人もいました。その後、先輩たちが抜けていったことで、いつの間にか僕がスニーカー担当として任されるようになった、という流れですね。
なるほど。最初は、ファッションから入って、気付いたら、当時はスニーカーで盛り上がっていた、と。
そうですね。まぁ、スニーカー担当と言っても大きな特集が毎号あるわけじゃなく、3〜4ヶ月に1回とかなので、その間にはヴィンテージデニムの企画をやったり、ミリタリー古着のページをやったり、とにかく色々やりました。
なるほど。95年当時のエアマックスブームの話などは、後ほど詳しく聞きたいなと思っています。そして、2人目が柿内勇樹さん。
色々なスニーカーを集めているということで、ミューゼオでスニーカーコレクションを登録してもらい、記事も書かせていただきました。柿内さんは、小学校時代、中学校時代からスニーカーを集めていたという話なのですが、スニーカーの歴史で言うと、いつぐらいから興味を持ち始めて、どんなものを履いていました?
一番最初に買ったのは、コンバースのオールスター。靴紐を変えておしゃれしたりとかしていた。それが、小学校3年生ぐらいですかね。
映画の「グーニーズ」とか「スタンド・バイ・ミー」などで、リーバイスのパンツを履いて、
ヘインズの白Tシャツ着て、ちょっと謎に歩くみたいな(笑)。で、怒られるみたいな(笑)すぐ白いTシャツが伸びちゃって、またお母さんに怒られるみたいな。
小学校の頃、かっこいい先輩たちと、そういう洋服の自慢大会みたいなのがありました。小学校6年生ぐらいになった時には、エアジョーダンが流行った。桜木花道を見て。
スラムダンクを観て、「エアジョーダンって靴をあいつ(桜木花道)が履いてる!」というんで、みんなそれが欲しいわけですよ。それを、小学校6年生の時のクリスマスプレゼントで母親に買ってもらった。
復刻版ですね。ジョーダン1の復刻を買ってもらい、そこからスニーカーをコレクトすることにハマったんですよね。それで、中学校、高校、大学、社会人になるにつれて、どんどん、嗜好も変わっていき、趣味も変わっていった。気付いたら、今、400足ぐらいになった。本当に好きですね、靴。
柿内さんなりに、集めるポリシーみたいなのはあるのですか? 何でも良いってわけではないと思うのですが。
決まりがあります。お金を使えばいくらでも買えるっていうのはあるのですが、僕の中では絶対、定価以下で買う。定価以上では買わないというポリシーがあって・・・。でも、やっぱりどうしてもっていう時もあるんですけど、基本的には定価以上では買いません。
どうにかして探す。あとは、出来れば、ソールは白色ではない方がよい。
色付きが良いですね。やっぱり、汚しちゃうので。(ソールが)すごい黄ばんでくると、その汚れは、ちょっとかっこよくないっていうのを小学生ながらに思った。汚れたら、もうウェットティッシュで拭いて、綺麗にする(笑)小学校6年生ぐらいの時に靴を集めだした時から、白いソールは拭きたくないなって。でもナイキは、あの時ほとんど白ソールでしたね。
今ではいろいろなカラーソールがあると思うんですけども、いつぐらいから出始めたんですか?
エアマックス1が発売された80年代後期には、リミテッドエディションという形で、ソールに色の付いたモデルもいくつか出てきました。でも基本的には、インラインで展開するスニーカーのほとんどが白ソールでしたね。フォール、ホリデー、スプリング、レイトスプリングといったシーズン毎に展開するインラインはほぼ白ソールというのが常識の時代。
そんな中、仮にエアマックスが既定のシーズンを終えて、次世代のニューモデルを発表した後、旧型のリミテッドエディションが出たりするんです。スポーツクラシックという名義で。
たまにそういうのがあったぐらいで、(色付きのソールは)一般的にはスポーティーでないみたいな認識だったと思います。
僕たちが初めて買ったエアマックスとは?
エアマックス93の復刻モデル。ソール部分のビジブル領域が270度なのが特徴的
今日は、お気に入りのナイキの靴を履いてきてもらったのですが、お二人がはじめて買ったナイキエアマックスは、何になりますか?何年って、覚えてますか?
たぶん、エアマックス93だったと思います、当時のオリジナルで。270度ビジブルエア搭載、白ベースにブルーとオレンジのパステル調のカラーを配色した、普通のインラインモデルです。それが初めて買ったエアマックスかな。
いや、エアマックス93なんて、全然たいしたことなかったですよ。
当時は、新製品でもいくらか割引して売るのが当たり前でした。ただ、エアジョーダンに限って言えば既に大人気だったので、90年のエアジョーダン5は入荷後まもなく完売したんじゃないかな。
(NBAブームを背景に)ジョーダンシリーズは、日本でも89年のエアジョーダン4辺りから売れ始め、90年のエアジョーダン5を巡っては、アメリカで殺人事件が起きたほどの人気だったから。
だから、プレミア価格が付くのはエアジョーダンぐらいでした、当時は。(スニーカー市場全体では)まだ93年頃だと、徐々にハイテク系のモデルに注目が集まってきたかな、という感じ。
なるほど。では、柿内さんの最初の一足は、エアマックスで言うと?
ちょっと考えたのですが、エアマックス95のイエローグラデが空前のブームの時です。もう雑誌でしか見たことない。履いている人もいない。でも、街のショップではプレミアがウン十万円も付いて飾られていて…という流れがあり、やっぱり欲しかったんですよね。全然どこにもなくて。そんなに使えるお金もないし。そしたら、地元のスニーカーショップで、エアマックス95の白黒。白黒のボーダーでエアバッグが・・・
はい。それが、定価で売ってたんですよ。で、それを買ったんです。
そうですね。しかも、27cmとかじゃなかったかなぁ。いま思うと、あの時はそのカラーを履いてる人が多かったですね。
エアマックス95の中では、比較的に買い易かったのが白黒でしたね。
ですよね。だから、プレミアが付いたとしても、せいぜい3万円ぐらいだったんですよ。
要するに、イエローグラデのファーストカラーがダントツで売れて…
赤、青、パープルとかもありましたが、どうしてもあの形が欲しくて。それを買って、履いて、磨いて。
確かにあの頃のエアマックスって、みんなそうだったと思うのですが、イエローグラデが欲しくて仕方ないんだけど、全然買えないし、ニセモノも怖い。実際、ニセモノも結構流通してましたから。
「Boon」でもニセモノの存在には警鐘を鳴らしてました。読者にとっては(ニセモノを掴まされるのが)何より怖かったと思うんです。それでも、やっぱりエアマックス95が履きたいんだよね。
だから、エアマックス95の中でも割りと手に入れ易かった白黒のボーダーを買ったんだね。レイトスプリングに発売されたカラーで、あとは(その前のシーズンの)白赤も人気だったよね。
白青や白赤は、本来エアマックス95の中でも最もランニングシューズっぽい色であり、エアマックスの伝統的な配色にも近いのに、あえてイエローグラデで最初にインパクトを与えたのは、それだけエアマックス95が特別な存在だったから。
つまり、フォアフットにビジブルエアを搭載したことで、ソールの前後が初めて
ビジブル化された革新性において。
ところで、あのエアマックス95以前にも、グラデーションのデザインって、ナイキの中で存在してたんですか?
ナイキでグラデーションと言えば、テラレインボーが有名。ああいう(色が混ざって変化する)感じのグラデーションはあったけど、(エアマックス95みたいに)レイヤーになってるグラデーションは恐らくなかったんじゃないかな。こういうレイヤーのデザイン自体、珍しかったと思う。
グラデーションが特徴的なエアマックス95。写真は、青 x 白のカラー。
1995年に起きた、Air Max 95の社会的なブーム。10万円以上のプレミア価格が当たり前だった不思議な時代
今日、岸さんにどうしてもお聞きしたかったのが、僕と柿内さんは、ちょうどエアマックス95のブームの頃に中学生と高校生で、雑誌とかでスニーカーが盛り上がってる状況は知ってました。岸さんは実際に現場で、ブームになる前からスニーカーを追い掛け、徐々に盛り上がっていく過程や、その後のブームの終焉も見届けたと思うんですが、あそこまでエアマックス95が盛り上がったのは、一体どうしてなんでしょう?
まず、エアマックス95自体に魅力があったこと。それから、雑誌でブームを煽ったという側面もあったと思う。ただ、全体としてスニーカーブームだったよね、95年辺りは。
例えば、雑誌で(エアマックス95の)前年に発売されたポンプフューリーを絡めてハイテクスニーカー特集を企画した場合、ポンプフューリー以外に何かないかって探してみると、プーマにディスクというテクノロジーがあって・・・
そういうハイテク系のスニーカーを集めて、よく特集ページを作りました。それこそ、95〜97年頃の「Boon」では毎月のように何かしらスニーカーの記事があり、そういうページを通して(スニーカーブームを)ボトムアップしていくと言うか…。とにかく、誰もがスニーカーに注目していた時代でしたね。
元々スニーカーには、それを履くだけで、すごく自慢できるみたいな風潮があるじゃないですかぁ・・・それほどオシャレじゃなくても。
そう、まさに一点豪華主義と言うか。レアものさえ履いていればオーケーみたいな。そんな事情もあって(スニーカーは)気軽に手を出し易いアイテムだったので、オモチャではないけど、ジュエリー感覚って言うか、そういう一点豪華主義で、エアマックス95を履くみたいな風潮があったのは事実。だからこそ、エアマックス95に人気がワーッと集中したんじゃないでしょうか。
もちろん、メディアでインフルエンサーやクリエイターが履いていた影響もあったとは思いますが・・・。
実際の現場で、ブームを追ってたと思いますが、あの当時、靴屋さんによっては(イエローグラデが)10万円以上は当たり前で、なかには30万円もの値が付くこともあったじゃないですか。やっぱり、あれはライターの目から見ても、ちょっと異常だなと感じていましたか?
もちろん。「Boon」にも倫理感はあったので(笑)編集部でもよく話し合いました。
例えば、定価1万5千円のスニーカーを3万円という価格で載せるのは如何なものか等。もちろん、市場経済のもと、市場価値で価格が変動する(のは理解できる)。
また並行輸入の場合には、輸送費とか関税とかコストが掛かってくるので、定価の倍ぐらいの値段でも仕方ないかって感じで考えてました。
でも、それが5万円とか6万円になったとき、これはそのまま掲載すべきなのかって話になり、「Boon」でよくやった手法が、参考商品という扱いで掲載させてもらったんです。
どうせ1足とか2足しかないものだから、お店としても、売れてしまったら、もう商売にならない。でも、当時は「Boon」に載るだけで、ものすごく問い合わせの電話が架かってきたようなので・・・。
読者の中には、巻末のショップリストを上から順に電話して、記事の内容とかに関係なく、「エアマックスありますか?」「エアマックスありますか?」って聞いて回る人もいたとか(笑)
そういう部分も含めて「Boon」の影響力みたいに捉えられていたから、お店によっては喜ばれたし、別のお店ではすごくウザがられたり。ショップリストに載せないでくれって言うお店もありました。
特にエアマックスとか全く扱ってないような洋服屋さんには迷惑だったでしょう。そういう意味では(エアマックスの人気も)諸刃の剣と言うか、痛し痒しだったけど、とにかく当時はみんなが求めていたからね、エアマックスを。
ポンプフューリーをはじめ、ハイテクブームが来るという土台はあったにしても、エアマックス95、特にイエローグラデが爆発的に売れた理由というか、エアマックス95自体の魅力って、お二人はどう捉えてますか?
魅力かぁ。メディアがやっぱり、エアマックス95は”別格だ”っていう方向性で書いていた影響は、すごくあったと思いますよ。
あと、その時代がすごいやんちゃだった。とりあえず、エアマックスを履いておけばオシャレみたいな。(エアマックス95を)買えない子はエアマックストライアックスとか、マッドマックスとか買ったり。マッドマックスなんか普通にデザインだけ見てもカッコよかった。
グレーとオレンジのマッドマックスがめっちゃカッコよくて。いま思うと、あの95年が本当に絶頂だったんですよね。調子に乗ってたと言ったら変かもしれないですが、ナイキもあのとき(バリエーションを)出しまくってた。その後、2000年に掛けては売り上げも伸びたと言うより平行線か、もしくは少し下がったと思うんです。でも、2000年以降から俄然、いろんなことに挑戦し始めて、すごい楽しくなった。僕みたいに買う側の人間からすると、90年代後半よりもむしろ楽しみは増えた気がします。
そうですね。エアマックス95の魅力についてだけ考えてみると、やっぱりグラデーションという要素は大きかったと思います。まぁ、それまで見たことのない配色だったし。あと、当時のファッションを考えても、ちょっとB-BOYっぽいスタイルが流行っていて、ポロスポーツとか。
ポロスポーツのショーツに、ちょっとダボッとしたウィンドブレーカーを着て、エアマックス95を履いてたら、やっぱりカッコよかったんです。
(そういうスタイルに)イエローグラデがすごく映えるんだよね。あと、古着好きの人たちにもイエローグラデは人気だったんじゃないかなぁ。
実際、古着に合わせてイエローグラデを履いてる人も多かった。要するに、白いランニングシューズは何となく運動靴みたいなイメージだし、そもそもエアマックスって運動靴じゃないですか。そういうランニングシューズと言うか運動靴のイメージを払拭したのがイエローグラデだったんです。
ナイキは否定するかもしれないけれど、エアマックス95をデザインするにあたって、ファッション的なニーズもかなり意識していたと思う。だって、アスリートのことだけ意識してたら、グレーのグラデーションとか変だもん(笑)一般的に、陸上競技では白いウェアが主流かどうかは分からないけど。ただ、スポーツウェア自体も徐々に派手になり始めた時代だったのかもしれませんね。
(エアマックス95より少し前の)90年代前半から蛍光色が使われ始めて、特にテニスウェアが目立ってた。アガシのシグネチャーラインとか、ナイキのインターナショナルシリーズとか、蛍光色を挿し色に使ったアパレルが登場し、スニーカーでも(蛍光色の挿し色を)よく見掛けました。いまにして思えば、スポーツエキップメントと言うかスポーツグッズ全般がデザインに目覚めた時代のピークがエアマックス95のイエローグラデだったのかもしれませんね。
で、先ほど柿内さんの話にあった、トライアックスにせよ、マッドマックスにせよ、当時のエアマックスファミリーは総体的にカッコよかった。
それはあるでしょうね。(新製品の)打ち出し方も、ナイキはやっぱ斬新でしたよ。
広告も良かったし。当時の広告はいま見てもカッコいい。
Nikeが小売店用に配布しているパンフレット。1995年当時の物には、Air Max 95 を大々的にプッシュしているのが分かる。
エアマックスが誇るクッション機能「エアユニット」。最初の印象は、意外にも”不安” だった!
Nike Air Max 1 の復刻モデル。現在では多種多様のカラー、素材が誕生している
エアマックスと言えば、独創的な機能性があります。特に、ソール部分にあるエアユニット。お二人が初めてエアユニットを体験したときは、どんな感覚を受けました?
不安。これはもう、絶対に画鋲を踏んで…みたいな。めっちゃ怖くて。でも、実際にそれで事故ったりしてる人、いなかったじゃないですか。
まぁ、ちょっといたずらされたりとかはありましたけど。
でも、釘踏んじゃうとか、想像すると確かに怖いよね。
そもそも、釘なんか道に落ちてないんだけど(笑)怖いっていうのがすごくありました。
僕が最初に履いたエアマックス93も、270度ビジブルエアが踵にまるまる露出してるので、怖いと言えば怖かった。
機能的なことで言えば、元々エアマックスは僕ら日本人のような小柄な体型でなく、もっと体重のあるアスリートを想定して開発されたクッショニングシステムなんですよ。だから、平均体重60キロ台後半の日本人が履いても、あまり恩恵を得られないんじゃないかなぁ。もっと体重のある人が履いてこそベストなクッショニングが得られるんだと思うんです。まぁ、体重が軽ければ軽いなりのクッショニングが得られるんだろうけど。それこそチャールズ・バークレーみたいな巨漢の選手がジャンプして着地したときに、本来のクッショニングが機能するような・・・。
ただ、エアマックスの機能を完全に満喫したとは言えなくとも、やっぱりナイキエアが基本的に快適な履き心地であることに間違いはない。
だから、エアマックス1にせよ、93にせよ、95にせよ、基本的に快適であることに変わりなく、そこにモーションコントロールのような足の動きを方向付ける機能などが加わることで、徐々に進化してきたんです。
でも、エアマックス誕生当時の状況を見ると、とにかくエアバッグを露出することが優先されたような気がしないでもない。
一刻も早くビジブルエアを実現したかったんだと思いますよ。とにかくナイキは派手な演出が好きだから。それ以前に、ナイキエアシステムでよく言われていたのが「本当にエアなんか入ってるのか」。ナイキエアの存在を疑われていたらしいんです。
そう、ミッドソールに埋め込まれたエアバッグは全く見えなかった。だから、何としてでもエアバッグを露出して証明しなければならない、という思いもあり、開発を急いだんじゃないかなぁ。
でも、エアマックス1から年々進化していったとは言え、91年のエアクラシックBWまではエア窓が拡がる程度。それが大きく飛躍したのがエアマックス93で、見た目にもガツンと変化しました。
ちょうど僕が中学生の時に、知り合いがエアマックス180を履いていた。それがかなり衝撃的で「ソール部分からエアが見えるんだ」みたいな。あれはすごかったですね。
でも、(180度ビジブルの算定が)ちょっと強引だよね。本来ならば、ミッドソールの側面に露出すべきところを、
アウトソールで達成したという。ビジブルエアの概念を一時的に変えちゃったからね(笑)
あのとき、友達にも「これすげえよ」って言って、いつもはそんな歩き方しないのに踵で歩いてる奴とか、「これでジャンプ力上がった」って訳のわかんないこと言ってる奴とかいましたもんね(笑)
あぁ、わかる。エアマックスが流行って、(履いたら)ジャンプ力が上がった気がするのは分かる。
会話に出てきた Air Max 180。180度のビジブル領域がソール側面ではなく、靴底という画期的な1足
お気に入りのエアマックスって、どの時代の、どのカラー?
ここで、もう一回戻りまして。エアマックスは1だったり95だったり、いろいろな復刻モデルが00年に入ってから売られているじゃないですか。そして、16年まで毎年のように(新しいエアマックスが)出ていまして、種類としてはとても多いと思います。
そんな数あるエアマックスの中で、お二人がお気に入りのエアマックスって、どの時代の、どういうカラーですか?
僕自身は持ってないけど、最もデザイン的に優れていると思うのは、94年のエアマックススクエア。エアマックス95が発売される1年前に登場し、マルチチャンバーエアという気圧の異なるエアバッグを組み合わせて初搭載したモデル。そのデザインが歴代のエアマックスで一番好きなんですが、何故かこれまで一度も復刻されたことがありません
AIR MAX2(二乗)と書いて、エアマックススクエアと読む。
エアマックスのロゴが大文字だったんですよね。ベロのところが。
ベロタグは、丸いパッチにMAXスクエアのロゴをデザインしたもの。
93年の270度ビジブルエアでは1つだった
気室が2つになったマルチチャンバーエアは、翌年のエアマックス95でも採用されました。
このグレーと水色っていうのは、配色もめっちゃカッコいいですもんね。
岸さんが好きなエアマックス・スクエア。初めてマルチチャンバーエアを搭載
復刻版の登場により、今まで希少品だったスニーカーが、手軽に買える時代に突入
エアマックス97が発売された頃、ナイキが正式にエアマックス95のイエローグラデの復刻版をリリースしたんです。
そう、スポーツクラシックです。それが97年のこと。
だから、それまで30万円とか非売品で、お店に行っても絶対買えない、ただ飾ってあるだけのお宝が、急に定価の1万5千円でスポーツショップに並ぶようになり、ちょっと違和感を覚えましたね。
いつ買えばいいのか・・・とりあえず買っておくべきなのか・・・みたいな(笑)
ベロ部分の刺繍の"R"と"M"の距離を離したりとか、くっつけたりとか。けっこう、そういうのがあったんですよ。
でも、やっぱり、あんまりそういうバリエーションをつけると、偽物が出回ったときに、判別がつかないから、たぶんどこかで統一したと思うんだけどね。ダブルステッチとか、シングルステッチとか。
たぶん、それも単純に強度の問題だと思う。最初はシングルにしてたけど、やっぱダブルの方が良いだろう、みたいな。あとは、生産国による微差とか。
95年当時、生産国では韓国が最もレベルが高く、その次に中国、インドネシア、ベトナム…といった感じ。たぶん、復刻版のSC(スポーツクラシック)はベトナム製だったと思う。韓国製ではなかった気がする。
Nikeを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
ナイキのアイコンである「DUNK SB」に関する初の書籍
Nike SB: The Dunk Book
2002年に誕生した「ナイキ ダンク」は、スケートボーダーやスニーカーヘッズがコートから取り入れ、ストリートのアイコンとなりました。スニーカーカルチャーを今日のように進化させる初期のきっかけとなったナイキダンクは、数多くのモデルチェンジやクリエイティブなコラボレーションを経て、スニーカーカルチャーに欠かせない存在となりました。
DUNK SBは、スニーカーにこだわる文化には欠かせない存在となっています。このレガシーを祝うために、『Nike SB: The Dunk Book』は、史上最も重要なシューズのひとつであるダンクの歴史的なアーカイブを紹介する初めての書籍です。世界中の大会で多くのエリートライダーに愛用されているナイキ ダンクは、そのファンキーでユニークなデザインだけでなく、高いパフォーマンスも評価されています。
Nike SBの最も象徴的なスタイルのビジュアルストーリーを伝える素晴らしい画像が満載です。
500点のカラーイラストと、ナイキの素晴らしいチームが共有するストーリー、洞察力、知識、情熱、歴史を組み合わせた一冊
Nike: Better is Temporary
ナイキでは、最高を目指すことは目的地ではなく旅であり、より良いものは常に一時的なものです。
反抗的な新興企業から世界的な現象に至るまでのナイキの変化を描いた画期的な出版物です。没入型のビジュアル調査は、業界を定義する革新的な技術や世界的に認知されている製品を、未発表のデザインやプロトタイプ、インサイダー・ストーリーなどと一緒に掲載することで、ナイキの理念に基づくデザイン方式の舞台裏を探るという、前例のないものです。
本書は、2017年に行われた2時間を切るマラソン大会の実現に向けたナイキの試みを紹介した「Breaking2」に始まり、パフォーマンス、ブランド表現、コラボレーション、インクルーシブデザイン、サステナビリティを重視したナイキの取り組みを5つのテーマ別の章で紹介しています。
この本の素晴らしいデザインは、その内容にも通じるものがあります。印象的な表紙は、ハーフトーンのドットパターンでプリントされた世界チャンピオンのマラソン選手エリウド・キプチョゲの画像の上に、ナイキ独自のカラーであるボルトイエローとハイパーパンチピンクがシルクスクリーンで重ねられています。透明なジャケットから見える本の背表紙には、本のボーナス章である "Crafting Color "で言及されているように、中のページから伸びる一連のカラータブが表示されています。