革の宝石を生む、超アナログ工場
ワニ革の生産で知られる世界のトップメーカーは、シンガポールにあるヘンロン社(Heng Long)。ルイヴィトンなど、世界のトップブランドが利用する最高級のワニ革をなめすタンナーだ。
東京都墨田区にあるエキゾチックレザーの専門タンナーである藤豊工業所は、実はへンロン社と同じ起源を持っているという。専務の藤城耕一さんは、次のように話す。
「シンガポールでヘンロン社がワニ革の製造を始めるとき、日本の技術者が入って、製造の指導をしたんです。実は、藤豊工業所も、エキゾチックレザーの製造を始めるとき、同じ技術者に指導してもらっています」
いうなれば、師匠が同じ、兄弟弟子のようなもの。エキゾチックレザーの製造の原点は同じということだ。
ヘンロン社は、コンピューターで制御された超最新鋭のハイテク工場だ。ピカピカのステンレス製ドラムでワニ皮がなめされ、乾燥には専用の大規模な機械も導入され、多くの人が流れ作業で働いている。
かたや藤豊工業所は、年季の入った木製のドラムが時を惜しむかのようにゆっくりと回転し、作業場のいたるところにむき出しのパイプが這い、革は工場の片隅で自然乾燥されている。熟練した職人たちが働く、昔ながらの超アナログな工場だ。
しかしながら、作っている環境はちがえど、藤豊工業所は、その独自の技術によって、ヘンロン社に勝るとも劣らない高品質なワニ革を生産している。
ワニ革は、なんと牛革の30~40倍の価格
工場見学の前に、ワニ革の基礎知識について、藤城専務にうかがった。主な原材量とその原産地は、次のとおりだ。
・ミシシッピーワニ(アリゲーター)
アメリカのルイジアナ州が最大の生産地
・ナイルワニ(ナイルクロコ)
アフリカの国々、ジンバブエが最大の生産地
・イリエワニ(スモールクロコ)
パプアニューギニア、インドネシア、オーストラリア等
・シャムワニ(シャムワニ)
タイ、ベトナム等
・ニューギニアワニ(ラージクロコ)
パプアニューギニア、インドネシア
※カッコ内は商業上での呼び名で、ワシントン条約(CITES)の申請書にも併記しなくてはならない。
牛や豚などの革は、1デシ(10cm×10cm)いくらで取り引きされるが、ワニ革の取り引きの仕方は少し異なる。
「ワニは、脇の下くらいの位置での革幅が何センチかで取り引きされます。牛の1デシあたりの面積で比較すると、およそ30~40倍の価格です。中でも、もっとも高値で取り引きされる最高級品は、お腹のウロコが小さく形のそろったイリエワニ(スモールクロコ)です」
たしかに、商品となったワニ革の製品も、牛革の製品と比べると、かなり高価。ワニ革の美しい輝きはもちろん、その価格も含め、ワニが革の宝石といわれるゆえんだ。
腹から切るか、背から切るかで、表情が変わる
ワニは、原産国での皮の切り取り方で、お腹が中心にくる腹ワニと、背中が中心にくる背ワニに分かれる。一般的に利用されるのは腹ワニで、美しいお腹のウロコの形が活かされる。背ワニは、背中の隆起した部分(板)を中心に活用される。
ワニ革は、部位によっても模様が変わる。お腹の部分の四角いウロコ模様(竹斑・たけふ)のほか、背中付近のウロコ模様(玉斑・たまふ)など、体のどこを使うかによっても製品となったときの表情が変わってくる。ワニ革マニアになってくると、通常は使われない尻尾の先の方や、背中の隆起した部分(ホーンバック)をワイルドに使うなど、さらに細部にこだわり始めるという。
イリエワニ(スモールクロコ)の腹ワニ。背中からカットし、腹を主に利用する。
イリエワニ(スモールクロコ)の背ワニ。腹からカットし、背中を主に利用する。
塩漬けで送られてくるワニの原皮
二代目社長の藤城隆一さんの案内で、まず最初に、原皮の貯蔵庫へ向かった。藤城社長が箱からおもむろに取り出したのは、ワニの原皮。余分な水分を失い、塩漬けにされているが、色合いなどはワニそのまま。この状態で、ワニの皮は、世界各国の原産国から空輸で送られてくるという。
「ワニは、ワシントン条約で保護される動物なので、簡単には輸入できません。たとえばラージクロコの原皮を100枚ほしいとき、まずは原産国のCITES(管理当局)※1に申請書を出しスイス・ジュネーブのCITES本部での許可をもらうなど、いくつかの手続きを経て、ようやく輸入が許されます」
現在、世界の革の原料となるワニは、80%以上が養殖されたもの。野生のワニは、数が減少するのを防ぐために、原産国で生息数の調査を行いながら、捕獲数を制限されている。ちなみに、トカゲやヘビは養殖がむずかしいため、ほとんどが野生だそうだ。
※1 日本ではワシントン条約として知られる絶滅危惧種を守る条約は、国際的にはサイテスと呼ばれる。(CITES = Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)
原皮の保冷庫で見せてもらったニューギニアワニの原皮。
塩漬けで、乾燥された状態で、木箱に詰められて空輸で届く。
生きていたときの姿を想起させるワニの生皮
次に、工場の中に案内してもらった。桶の中をのぞきみると、白い液体に、何かが浸かっている。藤城社長が、それを引っ張り出すと、まるで「ワニが飛び出してきた!」と見まがうほど、水分をふくんで、生きているかのような質感を取り戻している。
「なめしをする前に、石灰につけることで、皮をやわらかくして、表面についているかたいウロコを取り除きます。爬虫類のなめしの作業は、ここから始まるんです」
このあと、あらためて石灰やタンパクの除去など、細かな作業がいくつか入り、なめしの主たる工程へと移っていく。
塩漬けされた原皮を、水に漬けて生皮の状態にもどしたら(水漬け)、消石灰を溶かした液に漬け込む(石灰漬け)。
生きていた姿を想い起こさせるワニの生皮。表面のウロコははがれている。
ワニ皮をなめし、皮から革に変化する
いよいよ、なめしの主工程に入る。なめしを行うのは、その形からタイコともよばれている円筒形のドラム。藤豊工業所のドラムは、実に年季が入っている。モーターでゴムベルトを引っ張って回転させる、シンプルなしくみ。このドラムの中に、なめし剤を溶かしたぬるま湯とワニの生皮を入れて、回転させる。
「ここで特に気を使うのが温度です。気温や水温、気候などによって、全く薬剤の効き方が変わってくるんです。これまで蓄積したデータをもとに、細かな温度やph(ペーハー)管理をしています」
藤豊工業所では、なめしの方法は混合なめしで行う。クロムなめしとタンニンなめしの両方のメリットを生かしたなめし方法だ。職人が、ドラムの中の状態を、非常に細かくチェックしている。温度やphの管理がキモであることがわかってくる。
この工程を経て、ワニ皮が、耐久性と美しさを与えられたワニ革へと、変化をとげる。
なめしの途中で職人が、中の様子を細かくチェック。
なめし終わったワニ革を持つ藤城社長。
じっくり乾燥させるワニ革の熟成期間
室内で、自然乾燥させているところ。皮革には、ワシントン条約(CITES)に基づいて輸入されたことを証明するタグがつき、シリアルナンバーで管理される。
革を板にクギではりつけ、室内で乾燥させる「張り乾燥」の様子。使用するクギの数は、60本におよぶ。
なめしの後、革の厚さを調整するシェービング(漉く)をし、その後、ドラムにいれてもう一度、再なめしを行う。ここでは風合いの調整するのが主な目的だ。
その後、革を3週間ほど、室内で自然乾燥させる。この時間をとることで、仕上がった革の風合いが、格段に良くなるという。これはいわばワニ革の熟成期間、実に贅沢な時間といえる。
さらに、状況に応じて特殊な乾燥方法を用いることもある。爬虫類革を、板にクギでとめる、「張り乾燥」という方法だ。爬虫類革特有のうねりをとり、まっすぐの革にしたいときに行われる工程だ。
なめし終わった「クラスト」。上はクロームでなめしたもの。下はエコ基準にかなうクロコダイルのヌメ革。
過去数十年のデータを元にねらった色を出す
しっかりと乾燥させた後、ドラムでの染色に入る。染色の工程は藤城専務が説明してくれた。
「ワニ革の特徴は、革の中の繊維構造が、牛革などと比べてとても緻密であること。そのうえ、一般革とは取引形態が異なるため、なめしが完了し、完全に乾燥した状態から染めをスタートしますが、この状態は染料が入りにくい。そのため、染色技術には工夫を要します」
気温や湿度、さまざまな気候条件、ワニの個体によっても、色の染まり具合が微妙に変わってくる。日々、染料の配合を微妙に調整し、途中経過を見ながら、慎重に目指す色へと染め上げる作業が行われる。
さらに、1回1回染めた革の切れ端を紙に貼り付け、ワニの種類、染料の配合、その日の気温などの情報を記して、ファイルで保管する。事務所には、過去数十年分の色台帳がずらりと並ぶ。この膨大なデータの蓄積よって、藤豊工業所ならではの、しっかり発色しながら透明感のある、独特の色味が作られる。
染色後に、用途に応じてシェービング(漉く)の作業と、再び乾燥が行われた後、仕上げに入る。
染料の粉を、慎重に配合していく藤城専務。
ワニ革の染色データが記された色台帳。
サンプルを作るときは、側面が透明な小型のドラムを使う。
配合した粉をお湯で溶かした染料。紙をつけると、一瞬で色が染まった。
マットにするか、ツヤを出すかは、仕上げ方法で決まる
左が染色後そのままのワニ革。右が表面をコットンのバフで摩擦して発色させたハーフ・マットのワニ革。しっかりとした発色でありながら透明感があり、品格があるのが藤豊工業所のワニ革の特徴だ。
コットンでできた回転バフで、革の表面を摩擦して圧力と熱で発色させるバフがけの作業。藤豊工業所の得意なハーフ・マット仕上げ。
表面に光沢を出さないマット仕上げや、適度に光沢を出すハーフ・マット仕上げは、コットンのバフで革の表面を摩擦する。表面にぬるツヤ材の種類によって、マットになるか、ハーフマットになるかが決まる。いずれにしても、原皮・なめし・仕上げの三拍子すべてが良質でないと美しくは仕上がらない。
表面にツヤを出すシャイニング仕上げは、特殊な工程が入る。まず最初に、染色後のワニ革の表面に独自に調合した秘伝のツヤ剤をぬっていく。
「初代社長の頃、いろいろな薬品を試し、何年もの歳月をかけて現在のツヤ剤にたどりつきました。これを、5日かけて5回、革の表面に塗ると、表面に熱を加えたときの発色が大きく変わるんです。技術者たちが試行錯誤を重ね、最良の調合を見出しました」
この秘伝のツヤ材をぬった後、グレージングマシーンで、革の表面に摩擦熱を加わえたとき、艶やかな光沢とともに、鮮やかに発色する。
ここまで駆け足で、ワニ革のなめしと仕上げの工程を見てきたが、原皮から美しい革に仕上がるまでには、実に50にのぼる特殊な工程があり、その間、実に3カ月の月日を要するという。
先代が作り上げた秘伝のツヤ剤を、革の表面にぬる様子を見せてもらった。
石で革の表面をこするグレージングの作業。より強い摩擦熱を加える。
グレージングマシンの先端部分のアップ。メノウという石が用いられる。
リングマークトカゲの革。グレージングマシーンをかけたると、ツヤと光沢が出て、発色する。
爬虫類革を知り尽くしたプロが作る革製品
ハーフ・マット仕上げをほどこしたFLEDGE(フレッジ)のバック。控えめな光沢があり、実によい発色である。伊勢丹新宿店のほか、藤豊工業所のホームページのオンラインショップも。
さらに、藤豊工業所は、爬虫類革を使ってカバンや小物を作る製品工房を、タンナー工場と同じ敷地に併設している。爬虫類革をあつかうタンナーとしては、都内では唯一、世界でも大変珍しい。
工房では、ちょうど革の長財布を製作しているところだった。ここで生み出された革製品はFLEDGE(フレッジ)というブランド名で、伊勢丹などの百貨店で取り扱われている。そのほか、多様なブランドのOEMも手がけているという。
「ワニやヘビなど、爬虫類の皮革は独特の凹凸があるため、美しく縫い上げるには熟練の技を要します。フジトヨの職人は、爬虫類革を知り尽くしたプロ、縫製や作りの美しさは自負しています」と藤城専務。
FLEDGE(フレッジ)のアイテム。マットな色合いのバッグ(左)。ブライドル仕上げクロコダイルを用いた長財布(右上)。ダイヤモンドパイソンの革をつかった財布(右下)。
工房で革小物を作る職人の様子。
革のどの部位を使うかで、表情が変わってくる。裏地に使う革は、表革にも使える良い素材を利用。ファスナーなど細部の部品にもこだわる。
革の王様の名にたがわぬ機能性
藤城専務が5年使用したシャムワニの小銭入れ。使うほどに、美しい艶が出てくるのも、藤豊工業所のワニ革の特徴。
藤豊工業所の作るワニ革は、はっきりとした発色だが同時に透明感があり、ワニ革ならではの迫力と品格を兼ね備えている。本当に美しいワニ革を、こだわって作っていることがよくわかった。
それでは、その機能性はいかほどなのだろうか?
「ワニ革は、繊維構造が緻密なため、牛革などと比べても、型崩れしにくく、とても耐久性の高い革です。希少であるため、値段は張りますが、10年、20年、いやもっと長く愛用してもらいえます。大事に使ってもらえば、子どもさんにも、受け継いでもらえると思いますよ」
素朴な疑問だが、最近は牛革などにワニのウロコを型押しした製品もよく出回っている。本物のワニ革と型押しでは、何がちがうのだろうか?
「型押しは、形を押しているだけなので、何年かするともどってきて、凹凸がなくなってきます。本物のワニ革は、何年たっても、凹凸がなくなることがなく、ウロコの美しい形状を保っています」
藤豊工業所では、ワニ革の新しい表現の探求にも余念がない。ワニ革にアンティークな加工をほどこしたり、ワニ革の上にさらに型押ししてみたり、遊び心あふれる試みも実践している。海外からの依頼で、衣服にも使える、布のように柔らかい仕上げにするなど、これまでのワニ革にはない技術も研究開発している。
そもそも、エキゾチックレザーのなめしの分野で、日本が主要な生産国であること自体が、驚きの事実である。その中で藤豊工業所は、究極のアナログであるがゆえに、誰も真似できない世界に誇る技術力を持っている。また、日本の中小の製造業社が後継者難を抱える中、藤豊工業所では、二代目から三代目へと、しっかり技術継承が成されている。そして、三代目は海外へと視野を広げている。世界の「FUJITOYO」になる日も、そう遠くはないかもしれない。
ーおわりー
金色の上に、黒をのせて、けずり落とすことで、味のある独特の風合いが生まれる。
マットな加工をほどこしたワニ革。
もともと凹凸のあるワニ革に、さらに型押しをする、遊び心ある加工。
ウロコの凹みだけ水色に着彩。全て手作業で行う。
終わりに
世界に20数社しかないワニ革のタンナーのうち、6社が日本に集中しているという事実は、ちょっとした驚きだった。世界有数のワニ革の生産国だった日本。今まで、遠い存在だと思っていたワニ革を始めとしたエキゾチックレザーが、とても身近に感じられるようになった。