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輸入製品用証紙 (日本専売公社)
【画像1】丸形「LICENSED BY J.M.C」とあるため、輸出用の封緘紙であったと思われるが、実際の使用例については未確認。専売公社の旧型証票と同意匠なので、1954年頃までの使用と推定されるが詳細不明。 【画像2】丸形 輸入製品用の初期型。専売公社の旧型証票と同意匠なので、1954年頃までの使用と推定されるが詳細不明。 【画像3】【画像2】のについての啓発ビラ 【画像4】琉球政府からの輸入刻み製品である「しらぎく」に使用。
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定価改定済証
《1968(昭和43)年5月1日の定価改正時に使用されたシール式証紙》 戦後、日本専売公社発足以降、各銘柄において個別に価格の改正が行われてきましたが、大々的に価格の改正が行われたのがこの時で、各小売店には、証紙使用に関するブックレットが配布されたこともありました。なお、朝日・ゴールデンバット・ききょうはこの時の価格改正の対象ではありませんでした。 「特殊製品」と「輸入たばこ」以外は☆1つで10円の値上げを表しています。また、20円専用(☆☆)の証紙が不足した場合、10円(☆)を2枚貼付してもよいなど、柔軟な運用がされたようです。 【画像1】10円用 【画像2】20円用 【画像3】30円用 【画像4】特殊製品用(葉巻) 【画像5】輸入製品用 【画像6】汎用型共通証紙 【画像7】共通裏面 《1975年12月28日の定価改正時に使用されたシール式証紙》 1975年には、7月頃に定価改正される予定でしたが、国会審議を通らなかったため、価格の改正は見送られました。その時、新価格品を表示するため、新価格を表示する「np」マークを刷り込んだ専用の包装紙が改正予定のすべての銘柄で用意されていたのですが、それら包装紙は通常製品へ投入されました。 その年の12月28日に駆け込みの形で改正され、新価格表示としてセロファン包装使用の銘柄はすべて開封リボンの色が変えられ、わかば・エコー・しんせいの3品目は封緘紙が一時的にハイライトのものに差し替えられました。それら以外の出荷品・各小売店の在庫に貼付使用されました。 【画像8】価格改正銘柄に共通して使用。裏面は公社社章の刷り込み。1976年3月まで使用。
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パロマ(5本入-戦前発売銘柄)
「パロマ」は昭和になって発売が開始されたシガリロ(小型葉巻)で、スペイン語で「鳩」を意味します。昭和恐慌以降、口付ならびに両切タバコにおいて銘柄の整理が行われましたが、シガー(葉巻)においても多くの銘柄が整理され、それまで発売されていたシガリロ「セニョリタス」の代替品として発売されました。 それまで、葉巻類は枠飾り付きの木箱(もしくは木箱模様の紙箱)に洋風で極彩色のラベルを複数枚貼りつけるなど、伝統的な海外製品の装いを模倣したものでした。「パロマ」はそれまでのイメージから離れ、白色を基調とし、レタリングを図案構成の中心におくという、シンメトリーを無視したデザイン構成が新鮮です。図案作成はかの杉浦非水です。 なお、小型であるためシガーリングは使用されませんでした。 1933(S08)年2月24日~ 30銭で発売開始【画像1】 1936(S11)年11月11日~ 35銭へ価格改正 1938(S13)年1月31日~ 50銭へ価格改正 1939(S14)年11月16日~ 60銭へ価格改正☆金色を黄色に変更 1941(S16)年11月1日~ 1円へ価格改正 1943(S18)年1月17日~ 2円30銭へ価格改正☆戦時負担額併記 1943(S18)年12月27日~ 3円50銭へ価格改正 1945(s20)年3月 製造中止 [1963 日本専売公社]
印篭型小箱 杉浦非水 1945(s20)年3月 1933(S8)年2月24日shirotanino
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金鵄(簡易包装:連続模様10本入)
低価格品として購買層の多かった「金鵄」ですが、生産量の増加および包装資源の節約などを考慮して簡易な印刷・包装形態を採用することとなり、「連続した用紙をどこで裁断しても包装できる」形式が初めて採用されました。 1940(S15)年10月25日~ 9銭で発売開始、3色刷【画像1】 1941(S16)年11月 1日~ 10銭へ定価改定【画像2】 1942(S17)年 1月26日~ ☆刷色変更(3色から1色)【画像3】 1943(S18)年 1月17日~ 15銭へ定価改定【画像4】 様式開始日不詳 ☆刷色変更、青緑色【画像5】 ☆戦時負担額併記【画像6】 1943(S18)年 7月~ 23銭へ定価改定【画像7】 1946(S21)年 7月 1日~ 1円へ定価改定 【画像8】 ☆以降「ゴールデンバット」への改正まで変更なし、20本入と用紙共用。 1947(S22)年4月1日~ 2円50銭へ定価改定 1947(S22)年12月~ 11円へ定価改定 1949(S24)年1月1日~ 15円へ定価改定 1949(S24)年5月31日 金鵄の名称を廃止し「ゴールデンバット」の名称に復帰、以降在庫処理
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金鵄(u字型包装10本入)
改称前の「ゴールデンバット」よりU字型に包装する形態を引き継ぎましたが、同時に存在した連続模様を用いた包装の方が作業効率が良かったのか、15銭への価格改正時以降は、この様式は使われておりません。 1940(S15)年10月25日~ 9銭にて発売開始 ☆金鵄弓有【画像1】 1941(S16)年4月16日~ ☆意匠改正 弓なし【画像2】 1941(S16)年11月1日~ 10銭へ価格改正 1942(S17)年2月~ ☆刷色変更(3色→1色)【画像3】 1943(S18)年1月17日~ 15銭へ価格改正【画像4】 ☆様式廃止日不詳
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金鵄(横型包装10本入)
金鵄は発売当初より、生産効率の向上を企図して、複数の包装形態を採用していました。その多くは、改称前の「ゴールデンバット」の包装形態を受け継いだものでしたが、この横型は改称後、定価が10銭に改正される前まで限定的に使用されたものです。横面ののりしろ位置の違いによって数種類のバリュエーションが確認されています。 1941(S16)年中~ 包装様式追加 売価9銭 ☆弓有り 証票左位置 証票右位置【画像1】 1941(S16)年9月 ☆弓なし (様式廃止日不詳)
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朝日(20本入:角型包装)-3
角型の包装は、日本専売公社の成立以降も平型と並行使用され、正式な様式廃止時期はその詳細が知られません。戦後、より洋装が一般化する中で、角柱に近い包装形態では持ち運びに不便を感じることが多くなったことも様式廃止につながったものと思われます。 1946(S21)年7月1日~ 2円40銭へ価格改正 ☆日本政府専売局証票【画像1】 1947(S22)年4月1日~ 6円へ価格改正 ☆3色刷へ復帰 ☆日本政府専売局 証票右書【画像2】 1948(S23)年1月1日~ 15円へ価格改正 ☆日本政府専売局 証票左書【画像3】 1948(S23)年7月2日~ 40円へ価格改正 1949(S24)年6月1日~ ☆日本専売公社発足 銘・証票ともに変更 【画像4】 1951(S26)年7月以降~ 本数表記に常用漢字採用 【画像5】
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もみぢ(100匁・40匁・20匁)
「もみぢ」は専売創始時の刻み銘柄の一つであり、また最も廉価な銘柄でもありました。 黒一色で描かれたもみじの葉は、灰色の地紙と相まって意匠全体を引き締めて、やや硬い印象を与えますが、木の幹と、流水の曲線がそれらを柔らげて、簡素な中に優美さ感じさせるものとなっています。 「もみぢ」は、発売当初より100匁、40匁、20匁の3種類の包装のみで5匁包装がなく、大容量の包装で販売されました。おそらくは、先行して発売された口付銘柄の廉価品である「山桜」同様、製造過程で発生する裁断片の再生品であったのだろうと思われます。 発売されてわずか2年のうちに各容量ともに廃止されますが、同時期に「山桜」が裁断片の不足にともなって廃止されており、同じ趣旨で廃止されたものと思われます。 ☆いずれも1905年10月25日発売開始~1907年3月31日廃止 ・100匁包装 終売まで40銭【画像1】 ・ 40匁包装 終売まで16銭 ・ 20匁包装 終売まで8銭
各容量とも横型 不明 1907年3月31日 1905年10月25日shirotanino
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朝日(20本入:平型包装)-1
「敷島」「朝日」とならんで発売されていた口付銘柄の中級品「錦」は、戦時体制下において数年の発売期間を経て銘柄として終了します。なお、「朝日」の需要が高かったことから、その「錦」の生産ラインを流用するため、角型包装であった「朝日」に平型包装による仕様が設けられることとなりました。なお、「敷島」同様にのりしろ位置に左右のバリュエーションが存在します。この時に平型包装が採用されることによって、戦後を経て1971年に銘柄が廃止されるまでの「朝日」のスタイルが確立されました。 1940(S15)年10月以降 ☆包装形態追加 平型形態を追加 1941(S16)年11月01日~ 25銭へ価格改正 1943(S18)年1月17日~ 45銭へ価格改正 ☆戦時負担額を併記 1943(S18)年12月27日~ 70銭へ価格改正 1944(S19)年3月28日~ ☆1色刷へ変更 1946(S21)年7月1日~ ☆日本政府専売局 2円40銭へ価格改正 ※売価90銭のものに平型包装は存在せず
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朝日(20本入:角型包装)-2
「朝日」は、人気銘柄となってからは包装用紙製造の民間委託を始めました、結果、文字体の違い、桜花花弁の数の違いなど、さまざまな手変わり(バリュエーション)を生むこととなりました。また、1941年以降、製造中止が決まった「錦」の製造ラインを利用した横型の包装による製品が登場し、20本入で角型包装・横型包装の併行販売が行われました。この併行販売は配給によるばら売り期間を越えて、戦後の一時期まで続きました。 なお、戦中の一時期に「金鵄」と同様、無地用紙による包装に「あさひ」のゴム印を押捺したものが販売されたとの記録がありますが、現品はいまだ確認されていません。 1939(S14).11.16~ 20銭へ価格改正【画像1】 1940(S15)年10月~ 20銭 ☆印刷様式変更、余白部山形白抜【画像2】 1941(S16)年11月1日~ 25銭へ価格改正【画像3】 1943(S18)年1月17日~ 45銭へ価格改正【画像4】 ☆戦時負担額併記【画像5】 1943(S18)年12月27日~ 70銭へ価格改正【画像6】 1944(S19)年3年28日~ 70銭 ☆印刷色数変更、1色刷【画像7】 1945(S20)年3年01日~ 90銭へ価格改正【画像8】
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朝日(20本入:角型包装)-1
「朝日」は専売創始時の口付4銘柄の一つで、「敷島」・「大和」に次ぐ大衆向けの中級品としてスタートしました。咲き誇り、舞い散るの桜の枝間から、たなびく雲とともに姿をあらわす「朝日」を描いており、民営煙草の時代から広く好まれた主題を受け継いだものとなっています。またそのデザインは、他の口付銘柄に比べより男性的で力強い印象を与えるものであるとの評価もあります。 明治の末年に、「敷島」を超える高級品種である「国華」・「不二」が発売され「敷島」が中級品に転じると、「朝日」も相対的にその地位を下げ、より大衆向け銘柄へと変貌を遂げましたが、昭和恐慌時の銘柄整理を切り抜ける人気銘柄となりました。 1904(M37).07.01~ 「煙艸専売局」銘にて金6銭で発売開始【画像1】 1907(M40).12.28~ 「専売局」を裏面縦書に変更【画像2】 1917(T06).12.01~ 10銭へ価格改正【画像3】 1918(T07).11.07~ ☆3色を2色に変更。文字全て赤色刷 1919(T08).08.06~ 12銭へ価格改正【画像4】 1925(T14).11.07~ 15銭へ価格改正☆賣字旧書体【画像5】 1933(S08)頃~ 15銭 ☆賣字書体改正【画像6】 1936(S11).11.11~ 17銭へ価格改正【画像7】 1938(S13).01.31~ 18銭へ価格改正【画像8】
横型 谷 武雄 1907年12月28日shirotanino
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暁(20本入)-2
発売当時の専売局価格表に、「包装は米国式斬新なもので純日本趣味の図案」、「頗る瀟洒済新」と謳われた「暁」でしたが、戦況悪化に伴う改装の結果、1色刷りとなり最終的には写真のネガのようなデザインを残すのみとなりました。 配給制の開始を待たずして廃止されましたが、日本専売公社による「製造たばこ品名別販売高」(1957年)によれば、廃止後の1946年の段階で、約200万本の販売高があったと記載があります。 1941年11月1日~ 20銭へ価格改正 ☆1色刷、底面「あかつき」ひらがな表記【画像1】 1941年内 底面の印刷も省略 1943年1月17日~ 30銭へ価格改正【画像2】 戦時負担額表記【画像3】 1943年12月27日 45銭へ価格改正 1944年6月 廃止
1944年6月shirotanino
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日本専売公社 丸形封緘紙
日本専売公社において丸型の封緘紙が使用されたのは刻み銘柄にとどまり、その他に輸入製品用のものが数種類使われたようです。1911年に制定された、旧専売局時代の「甲号証票」と文字部分のみが異なる、まことにクラシカルなデザインです。日本たばこ産業株式会社成立後、国産刻みタバコ「小粋」が発売された際には、内包の封緘紙にも基本的なデザインが継承されました。 【画像1】 ・日本専売公社成立、旧漢字使用(1949年6月~) 【画像2】 ・内部の表記を常用漢字に変更(1951年6月以降) 【画像3】 ・印面を縮小(1954年7月~) 【画像4】 刻み銘柄「ききょう」の新価格品表示に使用(1975年12月28日~) 【画像5】 日本たばこ産業株式会社の「小粋」の内包に使用
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帝国専売局 帯型封緘紙
ソフトパックタイプの包装で採用されている帯型の封緘紙は、1932年(昭和7年)発売の「暁」において初めて採用されました。封緘紙で留めてはありますが、内包が一部剥き出しになる包装は珍しく、当時の専売局による「煙草定価表」にも「米国式斬新なもの」と紹介されています。この「米国式」とは「ラッキーストライク」のことであろうといわれています。 【画像1】暁「AKATSUKI」ヘボン式ローマ字表記(1937年まで) 【画像2】暁「AKATUKI」訓令式ローマ字表記 【画像3】暁「AKATSUI」幅細型 「暁」は、封緘紙・鞘紙・外装の底面印刷にローマ字表記が使用されていましたが、タバコの各種品名表記からアルファベットが消えた1941年以降も、封緘紙にはローマ字表記が残されました。 【画像4】さかえ 【画像5】さかえ 幅細型
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日本専売公社 帯型封緘紙-1
日本専売公社が成立して以降、ソフトパックの銘柄には帯型の封緘紙が採用され、それが主流となり、1985年の日本たばこ産業株式会社成立まで封緘紙を用いない包装を残したものは、ゴールデンバット1銘柄となっていました。 封緘紙は、納税証紙の代用品、品質保証の証紙という効用を期待されてはいましたが、その効用が時代とともに薄れると、銘柄の見分け指標という実務上の効用が現れました。1968年5月の定価改正時には、一部の銘柄で刷色を変更した封緘紙が短期間使用されたこともありました。 今日、ハードパック包装全盛ですが、表面の上部に封緘紙様のデザインを残す銘柄もわずかながら存在し、主たるデザインを飾る一種のアクセサリーとして今に息づいています。 【画像1】 ・パール(1955年10月発売) ・いこい(1956年3月発売) ・このタイプを「いこい型」と称することが多いが、パールが最初の例 【画像2】 ・パール(正確な変更時期不詳) ・いこい(正確な変更時期不詳) ・みどり(1957年8月発売) ・ハイライト(1960年6月発売) ・スリーエー(1960年5月発売) ・沖縄管内4銘柄(うるま・ハイトーン・バイオレット・ロン) ・このタイプを「ハイライト型」と称することが多いが、みどりが最初の例 ・1967年の火災予防週間キャンペーンの一環として、標語を入れたものが一時的に使用された 【画像3】 ・地色および刷色が明るくなる(1970年代中盤以降?) ・1975年12月28日の定価改正時、わかば・エコーに一時的に使用される 【画像4】 ・公社社章変更(1980年6月~1985年3月) 【画像5】 ・1972年以前の沖縄からの輸入品 ピンク・うるま・ロン・ハーモニー・トリオ なお、1968年5月20日定価改正時、地模様を緑色で印刷したものが一時的に使用された(トリオのみ)
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