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ピース(旧デザイン・広告入)-2
内小箱への広告掲載については、従来「ピース(旧)」ならびに「光」の2銘柄において行われたといわれてきましたが、当時の大蔵省から専売局への通牒においては、「ピース(旧)」および「コロナ」との記載がされています。 なお、この間の記録については、日本専売公社から日本たばこ産業株式会社への移行期にほとんど処分されており、広告の出稿会社の正確な件数も判明しておりません。 ◎ピース 【画像1】武田薬品工業株式会社 ◎ 内小箱 内小箱には、「赤・紫・黒」の3色が使用されたことが判明しています。色調から考慮すれば「コロナ」に使用されたものは、赤色刷であったと推測されます。 【画像2】明治製菓(現 Meiji Seika ファルマ)
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新生(細巻50本入)
局名も容量の表記もなく、表面に『○に「し」』一文字という、申し訳程度の表記ですが、発売から数十年後、とある入札誌上に突如出現したことでコレクターにその存在を知られることとなりました。 「新生」は自由販売品であり、「ピース」との価格差は10円、50本入であれば売価は200円となります。 ただ、不人気ゆえにくじ付き(「新生福引券」)で販売されるに至った経緯を考慮しますと、この包装の単位で販売されていたのではなく、この50本から手貼り包装で10本入に詰め替えられたものと思われます。 10本入1個につき引換券が1枚添付され、その引換券5枚で「福引券」1枚に充当されました。そこから考えますと、この50本包装はそれ1個で「福引券」1枚に相当するため、計数上の便宜ならびに福引券との相互管理などを考慮し、一時的に採用された包装ではないかと推察しています。 【画像1】全景 【画像2】入記票 ・鹿児島地方専売局によって包装されたことがわかる。 ・判読が難しいが「23.3.…」とあり、「福引券」の配布期間である1948年2月から4月末に相当する。
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輸入製品用証紙 (日本専売公社)
【画像1】丸形「LICENSED BY J.M.C」とあるため、輸出用の封緘紙であったと思われるが、実際の使用例については未確認。専売公社の旧型証票と同意匠なので、1954年頃までの使用と推定されるが詳細不明。 【画像2】丸形 輸入製品用の初期型。専売公社の旧型証票と同意匠なので、1954年頃までの使用と推定されるが詳細不明。 【画像3】【画像2】のについての啓発ビラ 【画像4】琉球政府からの輸入刻み製品である「しらぎく」に使用。
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定価改定済証
《1968(昭和43)年5月1日の定価改正時に使用されたシール式証紙》 戦後、日本専売公社発足以降、各銘柄において個別に価格の改正が行われてきましたが、大々的に価格の改正が行われたのがこの時で、各小売店には、証紙使用に関するブックレットが配布されたこともありました。なお、朝日・ゴールデンバット・ききょうはこの時の価格改正の対象ではありませんでした。 「特殊製品」と「輸入たばこ」以外は☆1つで10円の値上げを表しています。また、20円専用(☆☆)の証紙が不足した場合、10円(☆)を2枚貼付してもよいなど、柔軟な運用がされたようです。 【画像1】10円用 【画像2】20円用 【画像3】30円用 【画像4】特殊製品用(葉巻) 【画像5】輸入製品用 【画像6】汎用型共通証紙 【画像7】共通裏面 《1975年12月28日の定価改正時に使用されたシール式証紙》 1975年には、7月頃に定価改正される予定でしたが、国会審議を通らなかったため、価格の改正は見送られました。その時、新価格品を表示するため、新価格を表示する「np」マークを刷り込んだ専用の包装紙が改正予定のすべての銘柄で用意されていたのですが、それら包装紙は通常製品へ投入されました。 その年の12月28日に駆け込みの形で改正され、新価格表示としてセロファン包装使用の銘柄はすべて開封リボンの色が変えられ、わかば・エコー・しんせいの3品目は封緘紙が一時的にハイライトのものに差し替えられました。それら以外の出荷品・各小売店の在庫に貼付使用されました。 【画像8】価格改正銘柄に共通して使用。裏面は公社社章の刷り込み。1976年3月まで使用。
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パロマ(5本入-戦前発売銘柄)
「パロマ」は昭和になって発売が開始されたシガリロ(小型葉巻)で、スペイン語で「鳩」を意味します。昭和恐慌以降、口付ならびに両切タバコにおいて銘柄の整理が行われましたが、シガー(葉巻)においても多くの銘柄が整理され、それまで発売されていたシガリロ「セニョリタス」の代替品として発売されました。 それまで、葉巻類は枠飾り付きの木箱(もしくは木箱模様の紙箱)に洋風で極彩色のラベルを複数枚貼りつけるなど、伝統的な海外製品の装いを模倣したものでした。「パロマ」はそれまでのイメージから離れ、白色を基調とし、レタリングを図案構成の中心におくという、シンメトリーを無視したデザイン構成が新鮮です。図案作成はかの杉浦非水です。 なお、小型であるためシガーリングは使用されませんでした。 1933(S08)年2月24日~ 30銭で発売開始【画像1】 1936(S11)年11月11日~ 35銭へ価格改正 1938(S13)年1月31日~ 50銭へ価格改正 1939(S14)年11月16日~ 60銭へ価格改正☆金色を黄色に変更 1941(S16)年11月1日~ 1円へ価格改正 1943(S18)年1月17日~ 2円30銭へ価格改正☆戦時負担額併記 1943(S18)年12月27日~ 3円50銭へ価格改正 1945(s20)年3月 製造中止 [1963 日本専売公社]
印篭型小箱 杉浦非水 1945(s20)年3月 1933(S8)年2月24日shirotanino
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金鵄(20本入)
1941年、太平洋戦争開戦に前後して販売が開始された「鵬翼」にならい、「金鵄」にも20本入の包装が用意されることになりました。しかしながら同年中に配給制度が開始、本数制限付きのバラ売りで販売されることとなりました。 1944(S19)年5月23日~ 45銭で発売開始 ・U字型包装 青1色刷 【画像1】 ・スタンダード型包装 茶1色刷 無地封緘紙使用【画像2】 用紙紙質違い【画像3】 ・無地用紙意匠無し 品名「きんし」ゴム印押捺 1945(S20)年3月1日~ 70銭へ価格改正 ・配給制度下において無印刷包装であったため価格を印刷したものは存在しない。 1945(S21)年7月1日~ 2円へ価格改正 ・45銭U字型用紙に定価改定印押捺 1947(S22)年4月1日~ 5円へ価格改正 ・四方連続模様(10本入と共用)へ意匠・様式改正し、以降価格表記廃止【画像4】 1947(S22)年12月20日~ 22円へ価格改正 1949(S24)年1月1日~ 30円へ価格改正 1949(S24)年5月31日 金鵄の名称を廃止し「ゴールデンバット」の名称に復帰、以降在庫処理
スタンダード型・U字型包装 田中冨吉(一部修正)・菅谷保三 1949(S24)年5月31日(改称) 1944(S19)年5月23日shirotanino
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金鵄(簡易包装:連続模様10本入)
低価格品として購買層の多かった「金鵄」ですが、生産量の増加および包装資源の節約などを考慮して簡易な印刷・包装形態を採用することとなり、「連続した用紙をどこで裁断しても包装できる」形式が初めて採用されました。 1940(S15)年10月25日~ 9銭で発売開始、3色刷【画像1】 1941(S16)年11月 1日~ 10銭へ定価改定【画像2】 1942(S17)年 1月26日~ ☆刷色変更(3色から1色)【画像3】 1943(S18)年 1月17日~ 15銭へ定価改定【画像4】 様式開始日不詳 ☆刷色変更、青緑色【画像5】 ☆戦時負担額併記【画像6】 1943(S18)年 7月~ 23銭へ定価改定【画像7】 1946(S21)年 7月 1日~ 1円へ定価改定 【画像8】 ☆以降「ゴールデンバット」への改正まで変更なし、20本入と用紙共用。 1947(S22)年4月1日~ 2円50銭へ定価改定 1947(S22)年12月~ 11円へ定価改定 1949(S24)年1月1日~ 15円へ定価改定 1949(S24)年5月31日 金鵄の名称を廃止し「ゴールデンバット」の名称に復帰、以降在庫処理
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金鵄(u字型包装10本入)
改称前の「ゴールデンバット」よりU字型に包装する形態を引き継ぎましたが、同時に存在した連続模様を用いた包装の方が作業効率が良かったのか、15銭への価格改正時以降は、この様式は使われておりません。 1940(S15)年10月25日~ 9銭にて発売開始 ☆金鵄弓有【画像1】 1941(S16)年4月16日~ ☆意匠改正 弓なし【画像2】 1941(S16)年11月1日~ 10銭へ価格改正 1942(S17)年2月~ ☆刷色変更(3色→1色)【画像3】 1943(S18)年1月17日~ 15銭へ価格改正【画像4】 ☆様式廃止日不詳
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金鵄(横型包装10本入)
金鵄は発売当初より、生産効率の向上を企図して、複数の包装形態を採用していました。その多くは、改称前の「ゴールデンバット」の包装形態を受け継いだものでしたが、この横型は改称後、定価が10銭に改正される前まで限定的に使用されたものです。横面ののりしろ位置の違いによって数種類のバリュエーションが確認されています。 1941(S16)年中~ 包装様式追加 売価9銭 ☆弓有り 証票左位置 証票右位置【画像1】 1941(S16)年9月 ☆弓なし (様式廃止日不詳)
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コハク(50本入)
昭和恐慌後の銘柄整理で、オリエント葉(トルコ葉)使用の各銘柄については、「オリエント・アルマ・ナイル」以上の3種が整理され、「コハク」1種に集約されました。 「コハク」は巻口に金口が用意されるなど、「アルマ」の後継品と位置づけられた側面もあり、「アルマ」同様に50本入りの卓上用が用意されました。ただし、50本入りについては巻口はプレーンのみの発売でした。 オーバル(楕円)巻という銘柄の特殊性もあり、平置型のブリキ缶包装でしたが、後代の「ピース(旧)50本入」に比べて缶そのものに高さがあり、缶内部への収納方法にも高級品としての配慮があったものと想像されます。 1931(S6)年1月22日~ 2円にて発売開始【画像1-3】 1933(S8) 年中 ☆意匠一部改正(作成者:田中冨吉)【画像4-6】 1936(S11)年11月11日~ 2円50銭へ価格改定 1938(S13).1月31日~ 3円へ価格改定 1939(S14)年11月16日~ 3円50銭へ価格改定 1940(S15)年7月7日~ ☆7.7禁令により発売中止 1940(S15)年9月 ☆7.7禁令により発売禁止
平型ブリキ缶 田中冨吉 竹中良吉(懸賞入選) 1933(S8) 年中shirotanino
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ゴールデンバット(日本専売公社発足初期3種)
戦後、印刷設備と資材に余裕が生まれるに従い、「金鵄」から再度「ゴールデンバット」に復す気運が生まれたらしく、小箱時代のデザインを応用した連続模様のデザインも用意されました。しかしながら、1949(昭和24年)6月に旧大蔵省専売局は日本専売公社へ改組され、専売局から「新しいゴールデンバット」が発売されることはありませんでした。 改称前の「金鵄」において、20本入と10本入が並行販売されていたことを受け、それぞれがそのまま模様がえされ、また50本入の包装が用意されました。配給制度の廃止にともなって10本入と50本入は廃止され、20本入が生き残ります。10本入と50本入は販売期間も短く、またその短期間に複数の仕様が用意されましたが、詳細については不明なことが多いようです。 【10本入:図案作成者 谷 益三?】 1949(S24)年6月1日~ 15円で発売開始 ・簡易包装 断裁角型【画像1】断裁丸型【画像2】 ※紙質ならびに断裁型が多数確認される ・四方連続模様、20本入用紙と共用、使用時期不明【画像3】 1950(S25)年9月30日 発売中止(推定、明確には不詳) 【50本入:図案作成者 谷 益三?】 50本入は、当初無地の白紙に品名のみを印刷したものが短期間使用されていましたが、のちに専用の包装が用意されました。 1949(S24)年11月~ 75円で発売開始 ☆無地用紙に「ゴールデンバット」ゴム印押捺【画像4】 ☆「GOLDEN BAT」と文字のみ印刷 1950(S25)年中 10本入り手貼り包装と同デザイン【画像5】 1950(S25)年9月30日 発売中止(推定、明確には不詳) 【20本入:図案作成者 田中冨吉】 1949(S24)年6月1日~ 30円で発売開始 四方連続模様用紙(10本入と共用) ・発売当初の3色印刷【画像6】 ・2色印刷に変更【画像7】 1952(S27)年2月~「社」常用漢字に変更【画像8】 1953(S28)年2月~ ☆デザイン変更。発売当初の意匠に復帰する
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朝日(20本入:角型包装)-3
角型の包装は、日本専売公社の成立以降も平型と並行使用され、正式な様式廃止時期はその詳細が知られません。戦後、より洋装が一般化する中で、角柱に近い包装形態では持ち運びに不便を感じることが多くなったことも様式廃止につながったものと思われます。 1946(S21)年7月1日~ 2円40銭へ価格改正 ☆日本政府専売局証票【画像1】 1947(S22)年4月1日~ 6円へ価格改正 ☆3色刷へ復帰 ☆日本政府専売局 証票右書【画像2】 1948(S23)年1月1日~ 15円へ価格改正 ☆日本政府専売局 証票左書【画像3】 1948(S23)年7月2日~ 40円へ価格改正 1949(S24)年6月1日~ ☆日本専売公社発足 銘・証票ともに変更 【画像4】 1951(S26)年7月以降~ 本数表記に常用漢字採用 【画像5】
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もみぢ(100匁・40匁・20匁)
「もみぢ」は専売創始時の刻み銘柄の一つであり、また最も廉価な銘柄でもありました。 黒一色で描かれたもみじの葉は、灰色の地紙と相まって意匠全体を引き締めて、やや硬い印象を与えますが、木の幹と、流水の曲線がそれらを柔らげて、簡素な中に優美さ感じさせるものとなっています。 「もみぢ」は、発売当初より100匁、40匁、20匁の3種類の包装のみで5匁包装がなく、大容量の包装で販売されました。おそらくは、先行して発売された口付銘柄の廉価品である「山桜」同様、製造過程で発生する裁断片の再生品であったのだろうと思われます。 発売されてわずか2年のうちに各容量ともに廃止されますが、同時期に「山桜」が裁断片の不足にともなって廃止されており、同じ趣旨で廃止されたものと思われます。 ☆いずれも1905年10月25日発売開始~1907年3月31日廃止 ・100匁包装 終売まで40銭【画像1】 ・ 40匁包装 終売まで16銭 ・ 20匁包装 終売まで8銭
各容量とも横型 不明 1907年3月31日 1905年10月25日shirotanino
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明治大正期の輸出・移出銘柄
日本のタバコは、民営タバコの時代より海外市場での展開を企図して多くの製品が輸出されていました。専売制度が始まり、専売局もその事業を継承して各種の銘柄を輸出しました。 また「移出」とは、日本の領土となった台湾や朝鮮半島地域への物品の相互移動を言い、当時日本領であった朝鮮半島や台湾へ向けての移出品もあれば、それぞれの地域の専売局製品が日本に向けて移出(日本側から見れば移入)されたこともありました。 【画像1】スター 【画像2】アイリス 【画像3】胡蝶 【画像4】ドラゴン(三井商会発売) 【画像5】芙蓉 【画像6】チェリー(MADE IN JAPAN 片面印刷) 【画像7】チェリー(MADE IN JAPAN 両面印刷)
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朝日(20本入:平型包装)-1
「敷島」「朝日」とならんで発売されていた口付銘柄の中級品「錦」は、戦時体制下において数年の発売期間を経て銘柄として終了します。なお、「朝日」の需要が高かったことから、その「錦」の生産ラインを流用するため、角型包装であった「朝日」に平型包装による仕様が設けられることとなりました。なお、「敷島」同様にのりしろ位置に左右のバリュエーションが存在します。この時に平型包装が採用されることによって、戦後を経て1971年に銘柄が廃止されるまでの「朝日」のスタイルが確立されました。 1940(S15)年10月以降 ☆包装形態追加 平型形態を追加 1941(S16)年11月01日~ 25銭へ価格改正 1943(S18)年1月17日~ 45銭へ価格改正 ☆戦時負担額を併記 1943(S18)年12月27日~ 70銭へ価格改正 1944(S19)年3月28日~ ☆1色刷へ変更 1945(S20)年3年1日~ 90銭へ価格改正、ただし平型包装では発売されなかった。 1946(S21)年7月1日~ ☆日本政府専売局 2円40銭へ価格改正
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