江夏豊直筆サインボール

江夏豊直筆サインボール

17

数々の伝説を作り上げ
各球団、各年代で与えたプロ野球の
功績はとても大きい。
タイガース入団
シーズン奪三振記録を王貞治氏から奪ったがタイ記録であった、それに気付いた江夏豊は打者一巡
三振を奪わずアウトカウントを積み上げ、再度王貞治との対戦にて意図的に奪三振新記録を達成した。
世界記録の401K記録保持者。
王貞治をライバルとし、王貞治から1番多く三振を奪ったのは江夏豊であり、江夏豊から1番多くの本塁打を放ったのも王貞治である。
オールスター戦での9者連続奪三振は後年江川卓が8者連続で話題になったが、金田正一、野茂英雄、松坂大輔他達成出来ずじまいだった。
しかし江夏豊は前年のオールスター戦では5者連続奪三振、翌日には1奪三振と3試合で15連続奪三振をオールスター戦で記録している。
中日ドラゴンズとの投手戦で松本幸行との投げ合いは9回ノーヒットノーランを経過した、延長戦に入り打席に立った江夏豊は自らサヨナラホームランを放ち、延長戦ノーヒットノーランをも達成させてしまった。
南海ホークス移籍後は野村克也監督に野球界に革命と、リリーフエースの先駆者となる。
広島東洋カープ移籍後は近鉄バッファローズとの日本シリーズにて、江夏の21球は語り草。
近鉄西本幸雄監督7度目の日本一挑戦の夢を打ち砕いた。
大沢啓二監督に優勝請負人と期待され日本ハムファイターズに移籍、約束通りの優勝に貢献した。大沢親分とは引退後も野球教室で同行するほど慕っていた。
西武ライオンズに広岡達郎監督のもと背番号18をつけて、黄金バッテリー田淵幸一と再度チームメイトになる。
ライオンズ退団後、野茂英雄が挑戦する遥か以前に大リーグ、ブリュワーズのキャンプに参加したが惜しくも入団には至らなかった。
引退後は名球会会員として野球教室など普及活動に参加している。
マスターズリーグ発足時には東京ドリームズ投手登板した祭は、オールドファンの拍手喝采であった。