講談社 リングより愛をこめて ジャンボ鶴田のファッショナブル・トーク

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昭和56年12月25日 第1刷発行
発行所 株式会社講談社

昭和56年(1981年)に講談社より刊行された「リングより愛をこめて ジャンボ鶴田のファッショナブル・トーク」です。
全日本プロレスの“若大将”と呼ばれていた頃のジャンボ鶴田が自らの生い立ちやプロレス入りしてからのこと、そして、趣味の音楽や交友関係などについて綴った本です。
この時代の鶴田というと、充分な実力がありながらNWAやAWAといった世界王座にあと一歩のところで届かない...という試合が多く、“善戦マン”というあまりありがたくない呼び方をされていた頃でもありますが、恵まれた体格、天性のバネを生かした技の数々には目を瞠るものがあり、そういう鶴田の試合運びは個人的には好きでしたね。この時代の鶴田の技で特に好きだったのがジャーマン・スープレックス・ホールド。当時のジャーマンの使い手というとアントニオ猪木・藤波辰巳・初代タイガーマスクなど、ジャーマンの創始者であるカール・ゴッチのスタイルに影響を受けた新日本プロレスのレスラーたちが多かったのですが、日本人レスラー屈指の高身長から繰り出される非常に落差のある“投げ”、新日系の使い手にはあまり感じられない重量感に溢れている、破壊力満点の鶴田のジャーマンが私は大好きでした。
そんな鶴田のジャーマン・スープレックス・ホールドで印象深い試合が昭和55年(1980年)5月1日、福岡・九電記念体育館で行われた第8回チャンピオン・カーニバル決勝戦です。相手は「右利きのテリー」といわれた、テリー・ファンクの弟分、ディック・スレーターでした。
ジャイアント馬場、アブドーラ・ザ・ブッチャー、テリーといったエース格を抑え、日米の次世代レスラー同士が当たった決勝戦は当時としては非常に新鮮な感じがしましたね。ブッチャーの反則攻撃で右目を負傷し、決勝戦に臨んだ眼帯姿のスレーターは、鶴田の痛烈無比なジャーマンと共に今でも私の記憶に鮮やかに残っています。
その後、鶴田は不世出の名レスラー、“鉄人”ルー・テーズから正式に伝授された「へそで投げる」式のバックドロップを体得、これを決め技とするようになったことでジャーマンのほうは封印された格好になりましたが、ブルーザー・ブロディやスタン・ハンセン、天龍源一郎らに対し、ジャーマンを決めるシーンも見たかったものです。

https://www.youtube.com/watch?v=BxisgdLcUT0

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