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東京スポーツ新聞社 アントニオ・猪木自選 闘魂30戦
昭和58年6月17日 初版発行
昭和58年8月25日 二版一刷
発行所 東京スポーツ新聞社
昭和58年(1983年)に東京スポーツ新聞社より刊行された「アントニオ・猪木自選 闘魂30戦」です。
“燃える闘魂”アントニオ猪木が自ら選んだ昭和40年(1965年)から昭和57年(1982年)までの試合30戦を、青春編(海外修業時代、東京プロレス・日本プロレス時代)・風雲編(新日本プロレス旗揚げから昭和53年まで)・熱血編(昭和54年から昭和57年まで)・野望編(異種格闘技戦)の四章に分け、東京スポーツ紙に掲載された記事を引用しながら振り返った本です。猪木の名勝負といわれている試合は大体入っていますが、個人的には、日本プロレス時代からの因縁がある“一本足頭突き”の大木金太郎戦、“パキスタンの英雄”の腕をへし折ったアクラム・ペールワン戦、“シュツットガルトの惨劇”と呼ばれたローラン・ボック戦が入っていないのが腑に落ちませんね。
ちなみに私が選ぶアントニオ猪木の名勝負ベスト3は、①ドリー・ファンク・ジュニア戦(昭和44年12月2日、大阪府立体育会館)、②スタン・ハンセン戦(昭和55年9月25日、広島県立体育館)、③ビッグバン・ベイダー戦(平成8年1月4日、東京ドーム)です。①はリアルタイムでは観ていないのですが、高校生の頃、当時高価だったビデオソフトを購入して繰り返し観ました。27歳の若きNWA王者、ドリーと26歳の若獅子、猪木の試合は当時の最先端のプロレスであったと思います。②は数ある対ハンセン戦の中で最もスリリング、そして、逆ラリアートというドラマチックな名場面を生み出したこの試合が一番思い出深いです。③は生で観戦していますが、手加減の無いベイダーの猛攻を受け切った、当時52歳の猪木の“受け”の凄さに感服しました。往年の名勝負にも匹敵する内容の凄さは、ある意味“予定調和”だった当日のメイン(武藤敬司対高田延彦の再戦)を喰ってしまったような気がします。
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