新選組トランプ

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東京・日野にある、
佐藤彦五郎資料館に行ったときのお土産。

日野の名主だった佐藤家は、
新選組の面々と縁が深く。

特に土方歳三の姉が嫁いだ先なのもあって(彼らはいとこ同士)
歳三に関する資料や手紙などは、
実家の土方資料館よりあるとか。

貴重な資料に混じって、トランプを見つけてしまい。。😃

このトランプ、全部に新選組ファンならニヨニヨしちゃいそうな資料入り。
初めて目にする写真などもあって、なかなか新鮮でした。

【2枚目上】
池田屋の古写真は初めて見ました。
京都・三条通り沿いに、今は碑が建つのみですが、当時の室内写真は見たことあっても外観…
こんな感じだったんですね。
ここから押し入ったのか、、、と😤

【2枚目下】
一瞬、ギョッとする絵ですが、
3つは等持院(とうじいん)から持ち出され、京都・三条河原にさらされた木造の頭部。
自分的にはなんだか新鮮だった😲

ちなみに、等持院では今でも歴代・足利将軍の座像を見ることができます。
こじんまりした寺ですが、なかなかオススメ。

初代:足利尊氏
2代:義詮(よしあきら)
3代:義満(よしみつ)

座像から頭部を切って、
河原にさらした・・・ってこと。
やったのは尊王攘夷派の者たち🔥

なぜそんなことしたのか…?
といえば…初期の足利家が天皇の敵!と思われたからなんでしょう。

足利が将軍になった室町時代の初めは、
天皇家が二つに割れ。
足利の意に沿う北朝と、反発する南朝とに分かれてしまってた。

北朝を正統とする足利の武家政権によって、
歴史が進むわけですが。

武家の政権だった江戸時代までは、
それでよかったものの、やがて幕末・・・政情が不安定になり。

天皇を推す派閥がのし上がると(=薩長)天皇を追いやった足利将軍が目の敵にされーの。

で、こんなふうに首がさらされたってことか、知らなかった。

京・三条河原は昔から刑場として知られ。
攘夷派による暗殺や乱闘が日常だった当時の京都。

にしても過去の像を持ち出してまで・・・
生々しい空気を伝えるようで興味深いです。

で、そんな光景を、
京都に初めてやってきた近藤や土方らが目にし。

“俺ら、、ずいぶん物騒なトコに来ちゃったな…”😱😲と思ったか、思わなかったか💧

【3枚目】
新選組から離れ、
御陵衛士(ごりょうえじ=高台寺党)という一派についた者に、わざわざ○印をつけてた…
という内部資料。

分かれていった彼らを、
近藤らは要注意と見てたようです😑😒

つまり薩長に通じてるんではないかと?
疑ったんです。
このあと彼らの暗殺など、悲劇が起こるわけですが。

上の段に“三木三郎”という名があります。
おそらく離脱派のトップ、伊東甲子太郎の弟かと。

伊東はその後暗殺され、
弟は生き残りますが、のちの手記など読むと、新選組への静かな怒りを述べてる。

【4枚目】はトランプの裏。
さて、、誰がだれだか…わかりますかな?😁

[感触度:★☆☆]
[数字部分:凝ってます]

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    8823hayabusa

    2022/06/14 - 編集済み

    4枚目…

    右側上より近藤勇、山口一(斎藤一)、島田魁。

    左側上よりスマホの土方歳三(笑)、永倉新八、松平容保ですね。

    会津藩の拠点の黒谷さん…金戒光明寺は何度も行きました(しかし、実は怪奇大作戦のロケ地巡り😁)。

    池田屋跡も近江屋跡も、高台寺も、伊東甲子太郎が暗殺された油小路の死体遺棄現場も八木邸も壬生寺も観てきました。

    いけね、また京都に行きたくなりましたどすえ(笑) こりゃあ池田屋跡のはなの舞でやはりオフ会せねばね♪

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      fanta

      2022/06/14

      8823さん、ご名答!です(パチパチw👏
      え~正解された方には“日野新選組ツアー”へ招待いたしましょう(旅費は自費で🤣)

      黒谷さん、私も行きました^^
      大きいお寺でしたねぇ。墓地も広く、一角に戊辰戦争で犠牲となった会津藩兵の墓もあります。
      あ、油小路は行ってないですワ😅

      そうそう、はなの舞オフ企画…是非😁😁
      (乗り込まないでくださいよお店にw

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    T. S

    2022/06/14 - 編集済み

    あ、もう答えが出てる(笑)
    このジジイ具合は永倉新八の晩年かな?と思いましたが、当たりのようですね。名のある人で生き残った人は少ないですからね。
    たしか池波正太郎の小説で(タイトル忘れちゃった)永倉さんの話しがありまして、ジイさんになっても凄むと迫力がスゴくて土地のゴロツキを一喝して追い払う、と言う場面がありました。この写真の頃の逸話なんでしょうね。

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      fanta

      2022/06/14

      T.Sさんも正解されましたね、ありがとうございます😊

      そうなんです、
      このじー様具合の永倉さん写真は、わりと見ますかね。
      晩年は確か、北海道に住んだとか。。さすがwそんなエピソード聞くと、往年の懐かしさという感じがしますワ😆

      下4名が明治の世も生きており。
      斎藤一の晩年は、、、🙄容保公はどこかの長屋で、、島田魁は京都での晩年でした。みなどんな気持ちで明治を生きたんだろ~と思います。

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      T. S

      2022/06/14 - 編集済み

      確か晩年は小樽って話しだったような気がします。
      日露戦争にも軍夫として参加した説もあり、、、幕末に佐幕の桑名藩出身で日露当時の第8師団長で出陣した立見尚文中将(当時)がそれを聞きつけ、「軍夫の中に新撰組の生き残りがいるらしいじゃないか」と探させたという逸話が、たしか坂の上の雲だったか、別の歴史小説だったかに書いてあったと思います。

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      fanta

      2022/06/14

      おぉ~そういう後日談も。。。
      いいですね、そういう話興味あります。

      桑名藩といえば・・・会津・容保公の弟が藩主だったですよね。
      この兄弟だけが佐幕側についてた。新選組と聞いて、懐かしく感じたかもです😊

      坂の上の雲、原作読んでないんですが…さすが!そんな物語まで♪

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      T. S

      2022/06/14

      そうです、桑名と会津は切って語れません☝️
      立見尚文将軍の逸話はWikipediaにたくさん書いてあり興味深いので詳しくはそちらをご参照下さいm(_ _)m

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    8823hayabusa

    2022/06/14 - 編集済み

    御陵衛士には斉藤一を密偵で潜り込ませていて、斉藤はその後も心の葛藤に悩まされ、報復に終生怯えていたという話もあるみたいですね。  

    故に変名も使い、維新後は藤田五郎とも。  私、ハヤブサゴローも今日から吉川晃司と名乗る事に(だからなんでやねん!(笑))

    御陵衛士の屯所・高台寺。 ねねの道沿いにありますえ♪

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      fanta

      2022/06/14

      8823さん、それだと名前が目立ちすぎてw🤣

      斎藤一はその後、警視庁(のちの)のほうでしたかね…務めたのは。名前も5回?変えてるとか。
      映画『壬生義士伝』での印象が強いです。登場というか、準主役のような存在で。

      ねねさんの高台寺に碑が。。。何度も前を通り、見学もしたのに、たぶん見てないです笑)
      彼らの拠点はココだったのか~(今ごろですか😂)

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    8823hayabusa

    2022/06/14 - 編集済み

    伊東甲子太郎の暗殺された場所には碑が。  でも単に内ゲバですやん。
    むげえ事するなあ(汗)

    松平・・・たいがい世間では『ま→つ↑だ↓い→ら』と読むみたいですが、正確には 『ま↓つ→だ→い→ら』のアクセントだとか。 NHKの女子アナが、入社して松平アナ(その時歴史が動いたの司会の人)に注意されたと語っていました。

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      fanta

      2022/06/14

      はい、そうですね😁
      たぶん松平アナと呼ぶときには、前者のほうになりそうですがw
      歴史上の苗字では、下がるイントネーションなんですよね。

      松平春嶽とか、、、
      しかし松平って苗字は、さすがにクラスでも見かけませんでした😆
      いたら聞いてたかもしれません…アナタのご先祖って?!みたいに💧

      油小路って、わりと市内の中心でしたっけ。
      まだ行ったことないんですよねぇ。
      でも新選組ってこういう粛清とかで、ずいぶん隊士を失ってるんですよね。まぁ芹沢鴨の頃からそうだといえばそうなんですが。

      近藤局長と並び立つような存在が出ると、不穏な空気になるのか。
      とかく組織や集団ってそういう側面があるように思っちゃいます。

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      T. S

      2022/06/14 - 編集済み

      わたしクラスに1人いました(笑)姫様でした本家ではなくどこか傍流ではないかと思いますが、当時詳しく聞かなかったので詳しくは分かりません。(もし分かってたとしても書けませんけどw)

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      8823hayabusa

      2022/06/14

      岡山県倉敷市には【松平寿司】なる店があり、「寿司は松平で、ございます♪」のCMでは前者のアクセントでした。

      斎藤一は本も持っていたけど行方不明。蝦夷地にも行きましたが、結局本土に戻りましたね。会津で夫婦の墓があるみたい。
      大正七年没。大酒飲みで胃潰瘍。最期は正座で亡くなったとか(ホンマかいな)。

      油小路は中心部よりはやや離れています。

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      fanta

      2022/06/14

      >T.Sさん
      えーーっ!いた😆
      でも姫さま・・・さすが松平家w

      徳川さん、って苗字もいなかったですけど、
      松平さんで一般ピープルっているんだろうか笑)どこのお殿様??というイメージしかわかない🤣

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      fanta

      2022/06/14

      >8823さん
      松平寿司!なんか、、すごそうな格式なお名前で😆

      大河ドラマ『八重の桜』で、斎藤一は会津藩の女性と結ばれてました。なんというか、感慨深い人生なのを感じます。
      最期の姿勢がなんだか武士道!入ってそうですワ。
      大酒で胃潰瘍とはこれまた絵に描いたような💧

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      8823hayabusa

      2022/06/14

      まさかと思って探したら…ありました💦

      https://youtu.be/1wFmw_17iW8

      嫁はんは時尾さんでした。会津で町ぐるみで幼少期から教える『ならぬものはなりませぬ』を聞くにつけ、新選組時代やら御陵衛士での自らの振る舞いに相当葛藤し、悩んだらしいです。

      斎藤一本人のブログやツイッターにありました←これはウソ(笑)

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    オマハルゲ

    2022/06/14 - 編集済み

    当館主も一時期東映制作のドラマを好きになって新撰組をちょこっとかじっていました。結構忘れてますが「三木三郎」って鈴木三木三郎? そんな人いたなぁ、と思ったら伊東甲子太郎の弟でしたか。バカボンのパパじゃないけど「忘れようとしても思い出せない」状態でしたw

    昔のドラマ「新選組血風録」の斎藤一が好きです。「あかね雲」という話がオススメです。

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      fanta

      2022/06/14

      オマさん(略します😁)も、新選組に詳しかったですね♪

      そうなんです、その鈴木三木三郎(三樹三郎)。
      新選組のドラマでは、あまり登場シーンがないかも?しれないですが。
      映画やドラマ、小説などいろいろ描かれてきたので、どの作品に影響されるかもありますね。

      『新選組血風録』は司馬遼太郎の作品なんですね。面白そうv注目してみます。

      三木三郎の右にある○印…篠原泰之進は、鳥羽伏見の戦い前後だったかに、近藤に発砲した人物とされてます。

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      オマハルゲ

      2022/06/15

      衛星放送で去年放送してましたがモノクロ作品であり、見る機会は限られてしまうんですが新撰組ドラマの決定版だと思います。
      「あかね雲」は親方にひどい扱いを受けている少女を斎藤が助ける話ですが、ラストが切ない。脚本家の結束氏のオリジナルなので原作はありません。

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