にしだ
西田 孝之(にしだ たかゆき、1940年8月2日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(外野
南宇和高では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、川之石高に敗退。
高校卒業後は、社会人野球の伊予銀行に入団。1961年の都市対抗野球予選では四国代表決定戦まで進むが、東邦レーヨン徳島に敗れたため本戦出場には至らなかった。
1962年に大毎オリオンズに入団。2年目の1963年には一軍に定着、中堅手として矢頭高雄、石谷訓啓と併用される。1965年は開幕からチャンスメーカーとして活躍し、83試合に先発出場。しかし翌1966年は開幕から打撃不振が続き、5月初めに先発メンバーから外れる。7月には調子を戻し復帰するが、その後は池辺巌が台頭し激しい定位置争いを演じた。1967年には、規定打席に届かなかったが32盗塁を決め、パ・リーグの盗塁王を獲得している。西田の達成以降、パ・リーグでは規定打席未到達での盗塁王は2020年の周東佑京まで現れなかった。1968年にはジョージ・アルトマン、アルト・ロペスが入団し先発を外れるが、その後も外野の準レギュラーとして長く活躍した。1970年の巨人との日本シリーズでは2試合に代走、守備固めとして出場。1972年限りで現役を引退
大毎
東京オリオンズ
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