- Railwayfan Museum
- 331F 航空館 日本の翼 YS−11 全日空商事1/200シリーズ
- 全日空商事 【1/200】【YS22157】 ANK YS−11A JA8772 (ドア開閉)
全日空商事 【1/200】【YS22157】 ANK YS−11A JA8772 (ドア開閉)
ANK
エアーニッポン
YS−11A
レジJA8772
これは2003年5月31日、札幌丘珠空港のことである。
この約1年前に、「さよならYS-11」のイベントのため、PL・整備・DISP・地上職・営業職等でプロジェクトメンバーを結成。「丘珠=紋別ラストフライト1泊ツアー」挙行に始まり、「豊平川いかだ下り」YSいかだで優勝、「サッポロ雪まつり」YS市民雪像で参加、「オリジナルYS絵葉書セット・YSスライドショーCDR」機内配布、などを通じ、YS-11が退役間近なことを伝えてきました。
そして迎えたのがこの日、YS-11の札幌丘珠空港・最後の日です。
着陸してきたYSが、ゆっくりゆっくりと進む中を、音楽隊の演奏が迎えます。
キーンと独特の音が演奏をかき消し、ランプイン。静かになった札幌丘珠空港のエプロンに駐機するJA8772
丘珠空港を、再びゆったりとした演奏が包みました。
もう10年の歳月が経とうとしているのに、さまざまな北海道でのFLTのことが昨日の様に思い出されます。
初雪が降った日、最終函館便の帰りに札幌に差し掛かった時。規則的に並んだ橙色の街灯を、白い雪がレフ板の様に反射し、まるで街全体が明るくなった様に見えました。
あれは中標津の帰りで夜間。雨が降れど揺れはなし。こんな夜は…・・って思っていたら出ました。前方の窓に緑色に細かく線状にさざめく光が。
そうセントエルモスファイヤーです。次第に窓いっぱいに広がり、充分な素晴らしさで我々を楽しませました。
とはいえ、日本でも有数の積雪量の丘珠空港を母港としてのオペレーションは、時に厳しいこともありました。反面、楽しいことも。
言わば大自然に対峙出来たのも札幌の良さといえるのではないでしょうか。
さあ、最後となったYS-11 RRダートMk543-10Kエンジンが唸り始めました。もう戻ることのない母港・札幌丘珠空港を後にして。ありがとう、丘珠のそして札幌のみなさん。何年間お世話になったことでしょう。そしてさよなら。
YS-11A・JA8772は、2度ローパスをした後、新千歳空港を目指し、旅立っていきました。
見送る私のまぶたは、熱くなっていました。
ーーYS-11機長 丸山裕之ーー
北海道内路線に日本近距離航空(時)のYS-11が就航したのは昭和55年(1980年)5月27日である。当初は千歳発着であったが翌昭和56年(1981年)3月20日から札幌丘珠空港発着となりDHC-6が担っていた丘珠一稚内線、丘珠一中標津線、丘珠一紋別線にYS-11が就航した。昭和
59年(1984年)6月1日より丘珠一函館線がYS-11路線に加わった。長らくエアーニッポンの道内路線機材として親しまれ丘珠といえばYS-11を想うファンも多い。平成14年(2002年)7月1日より後継機であるDHC-8-300型機が就航を開始、平成15年(2003年)5月31日をもって札幌丘珠空港発着路線をエアーニッポンネットワークのDHC-8-300型機に移管しYS-11は数々の思い出とともに丘珠の空を去っていった
ドア開閉 タラップ 記念看板 展示用滑走路付き。