- Sekisentei Japanese Mineral Museum
- 37F 大分県 Oita Pref.
- 異極鉱 (hemimorphite) 木浦鉱山 ワンドウ坑 #0547
異極鉱 (hemimorphite) 木浦鉱山 ワンドウ坑 #0547
異極鉱は亜鉛鉱床の酸化帯に産出する二次鉱物で、結晶の両端の形状が著しく異なる(異極半面像)ことからその名があります。本標本では褐鉄鉱の母岩上に無色の異極鉱の群晶が生成しています。
木浦鉱山はその開発が1157年(保元2年)に遡る(豊後国誌)とも云われる古い鉱山で、近世では1607年(慶長12年8月)にここで産出した鉛を岡藩藩主中川氏が徳川2代将軍秀忠に献上したとの記録が残っています。木浦鉱山と尾平鉱山は江戸時代を通じ岡藩直営の2大鉱山でした。17世紀後半にはおよそ約1,000人の労働者が集まり年間で2,000斤のスズや4,000斤の鉛を産出、銀採掘についても佐渡金山、石見銀山、生野銀山と並ぶ日本の四大銀山と呼ばれたといわれ、慶長年間(1596年~1615年)から宝暦年間(1751年~1763年)にかけてが鉱山の最盛期であったようです。明治になり民営の鉱山となりましたがほとんど休止状態で、1887年(明治20年)からは三菱が引き継いだものの1894年(明治27年)には休山しています。1927年(昭和2年)に英国人の経営で東洋鉱山が設立され、1939年(昭和14年)には554トンの錫を産出するまでになりましたが 1943年(昭和18年)に戦況悪化により閉山しました。その後1961年(昭和36年)にエメリー鉱の鉱床が発見され、1967年(昭和42年)から我が国唯一のエメリー鉱山として採掘が行われていましたが、1999年(平成11年)に採鉱を終了しました。(エメリー鉱はコランダム(鋼玉)を含み硬度が高く、研磨剤やアスファルトの舗装材などに利用されます。)