自然硫黄 (natural sulfer) 米子鉱山 #0686

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純度の高い自然硫黄標本です。背景はソフトウエア処理しています。

長野県と群馬県の県境に跨り日本百名山の一つに数えられる四阿山(あずまやさん、標高2,354m)カルデラ内では古くから自然硫黄が採集され、続日本紀には713年(和銅6年)に信濃国の調(租税)として硫黄が納められたという記録が残っています。江戸時代の宝永年間(1704年~1711年)に米子村の竹前権兵衛が運上金30両で採掘を請け負い、1719年(享保4年)に鷹ノ目硫黄五千貫を幕府に納め、1,600両を下付されたといいます。「鷹ノ目」は透明な黄色結晶からなる純硫黄を指します。ちなみに竹前権兵衛はこの資金を基に今の現在の新潟県新発田市で紫雲寺潟新田の干拓事業を行い、紫雲寺潟新田の中には竹前氏が庄屋として差配する米子新田が置かれました。米子鉱山(よなここうざん)は1898年(明治31年)に須坂硫黄会社が竹前氏から経営権を受け継いだ後、数回の所有者変更を経て中外鉱業株式会社が1934年に米子鉱山を買収、硫黄のほかに蝋石、褐鉄鉱なども産出しました。戦前、戦中は火薬原料としての硫黄の需要が高く、昭和10年代の最盛期には月産1,200トンに達し、鉱山関係者約1,500人が生活していました。鉱山から須坂駅までは全長14kmに及ぶ索道が設けられ、集落には共同浴場、学校、映画館なども建設されました。戦後石油精製の副生成物として硫黄が得られるようになったことから硫黄鉱山への需要が減少、1960年(昭和35年)に硫黄の採掘を終了し、1973年(昭和48年)に全面閉山しました。

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