金銀鉱石 (gold-silver ore) 土肥鉱山 三脈 #0267

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三脈(六百三十尺𨫤)は、走向延長2000m、傾斜延長310m、平均脈幅1m、平均品位金11.5g/t、銀101.4g/tの巨大鉱脈で、その上部の露頭付近では多量の氷長石を含む縞状石英中に脆銀鉱や自然銀に富む銀黒鉱石を産出しました。この標本は三脈北半部の露頭線が通る標高323mのピークから北へ延びる南北系尾根付近の鉱脈露頭が自然の浸食作用で崩落した鉱石塊から得られたものということです。(1~2枚目は背景をソフトウエア処理しています。)

土肥鉱山は伊豆半島最大の浅熱水性金銀石英脈鉱床で安土桃山時代の天正5年 (1577) に発見されたといわれ、慶長・元和・寛永 (1596年~1643年)の約 50 年間に非常に栄えた後衰退、その後1685年(貞享2年)に 再び関坑したものの、数年をへて元禄年間(1688年~1703年) には採掘を停止しました。1906年(明治39 年)、長谷川錠五郎が付近鉱区の探鉱関発に着手し、1917年(大正8年)には企業形態を個人経営から株式会社に改めて、土肥金山株式会社が設立され、業績は次第に向上しました。1942年(昭和17年)に社名を土肥鉱業株式会社に改め、戦時中も稼行し続けました。1949年(昭和24年)からは北部地区(北進脈)の開発を行いましたが、その後、鉱量枯渇のため1965年(昭和40年)に休山しました。鉱山跡は1972年(昭和47年)からテーマパーク「土肥金山」として一般に公開されています。江戸時代から明治時代にかけては佐渡金山に次ぐ金銀の生産量を誇り、1915年(大正6年)から1965年(昭和40年)の間には金18,419 kg、銀213,885 kgを産出したという記録が残っています。

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