方鉛鉱・紅水晶 (galena/rose quartz) 三川鉱山 #0611

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母岩は石英脈を伴う緑色凝灰岩で、方鉛鉱の結晶に挟まれた石英脈の小さな晶洞の隣に紅水晶が晶出しています。(1~3枚目は背景をソフトウエア処理しています。)

三川鉱山の発見は室町末期の天文年間(1532年~1555年)とされ、古くは大谷金山の名称で金銀鉱を産出し、江戸中期の元禄年間(1688年~1704年)に隆盛したとされますが、明治期に入ると経営者が度々変わり、開発と荒廃を繰り返しました。 1888 年(明治 21 年)に大谷金山合資会社が設立され、翌年金銀鉱の採掘を開始、その後この事業は1900 年(明治 33 年)に設立された大谷金山株式会社に引き継がれました。 1906 年(明治 39 年)には新設された日本金鉱会社が銅鉱の採掘に着手しましたが、資金不足から製錬操業を休止し日立鉱山、小坂鉱山に売鉱する方針に転換、 さらに、大正期以降の相次ぐ不況から事業は低迷を続け、1932 年(昭和 7 年)に日本鉱業との共同経営となり、これに伴い三川鉱山と改称されました。 その後、日中戦争に伴う金属需要の高まりを背景に1940 年(昭和 15 年)に選鉱場を設立、1943 年(昭和 18 年)に年間粗鉱量 55,443トンを記録して最盛期を迎えました。 1946 年(昭和21年)から単独経営に移行した日本鉱業は、翌年に亜鉛と鉛、三年後に硫化鉱の生産を開始して事業の拡大を図り、 朝鮮戦争特需を受けて生産は再び大幅に増加、1956 年(昭和31年)には新たな選鉱場を建設しましたが、鉱石の品位低下が採算性の悪化を招き、1961 年(昭和36年)に採鉱部門を残して操業は休止され、翌1962年(昭和37年)に閉山しました。

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