黄銅鉱・黄鉄鉱・水晶 (chalcopyrite/pyrite/quartz) 草倉鉱山 #0564

0

黄銅鉱-緑泥石-石英からなる銅鉱石で、石英脈の空隙に小さな黄銅鉱の結晶、黄鉄鉱の立方体結晶や水晶が見られます。(1~2枚目のみ背景をソフトウエア処理しています。)

草倉鉱山は江戸中期から大正期にかけて繁栄した新潟県を代表する銅山の一つです。1739(元文4)年に銅鉱脈が発見されたことに始まると伝えられ、江戸後期の文化、嘉永年間は会津藩金山役所のもとで 300 人ほどの坑夫を抱え、1865 年(慶応元年)には新たに慶応坑を開発しましたが、戊辰戦争により設備を失い休山を余儀なくされました。明治維新により明治政府が接収、1875(明治8)年に古河市兵衛が経営権を取得しました。市兵衛はその後、坑内軌道の敷設と鉱車の使用、発破工法や削岩機の導入など、鉱山の近代化に取り組み、草倉銅山の収益を元手に足尾銅山を買収し、古河財閥の礎を築きました。1884 年(明治 17 年)には国内首位の足尾に次ぐ 1,084 t の産銅量を記録し、従業員数も1,712 名を数えて最盛期を迎えましたが、その後生産量は次第に減少し、1911 年(明治 44 年)以降は製錬操業が断続的に休止され、1913年(大正2年)には操業中止を余儀なくされました。 その後5回にわたり行われた探鉱も不調に終わり、第一次大戦後の不況に伴う銅価下落の影響と銅の産出量減少に伴い1914(大正3)年に閉山しました。

Default