1978 (31ST) SPARK (SACHS RACING) ENSING N177 H.ERTL

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1グランプリに2チームからエントリー
ハラルド・アートル ENSING N177

1978年ハラルド・アートルは
プライベートチーム ザックレーシングで
エンサインのマシンを使用し途中参戦

初戦のR11ドイツGP 予選23位→決勝11位
R12オーストリアGP 予選24位→決勝リタイア
決勝進出は2レースのみでこれが
アートルのF1レース最後の決勝レースになった

R14イタリアGPはエントリーが32台となり
アートルはザックレーシングで
予備予選から出場も通過ならず

予選開催時にATSチームに空きシートがあり
予選はATSから出場 こちらも予選落ち

1グランプリに2チームからエントリー
しかも予備予選落ちと予選落ちを
両方経験したドライバ―となった

ハラルド・アートルはこの後
1980年にATSからスポット参戦も予選落ち
1982年に自家用飛行機の事故で
残念ながら他界 享年33歳

1976年ドイツGP 自らのレースは棄てて
同郷のニキ・ラウダ(フェラーリ)を
炎上するマシンから救出した4人の
ドライバ―の1人として賞賛されている

#F1-1978年

 

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