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ベネトン・フォード B190
90年からベネトンに加入した元チャンピオンのピケ。獲得ポイントに応じて報酬が増える契約内容に奮起した。第5戦カナダGPで2位になり、ハンガリーGPでも3位表彰台を獲得した。またナニーニの事故で暗くなったチームを日本GP鈴鹿で代役モレノと共に1・2フィニッシュを飾り、あのウィニングランにすべてのファンが感動した。また最終戦オーストラリアGPでもマンセルとのバトルを制し、90年を締めくくった。
N・ピケ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.5.18ゆーじ
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BAR・ホンダ002 1stBARテスト バルセロナ2000.12.18 TSコレクションNo.4
2000年12月7日にジョーダンでF1マシンを初テストした琢磨。その直後の18日にBAR002をドライブし、その成果を認められて01年はBARとテストドライバー契約を結んだ。そして並行してイギリスF3にも参戦を継続し、25戦中12勝してチャンピオンに輝いた。またこの年は福田良がフランスF3、金石年弘がドイツF3でチャンピオンを獲得したことで日本人3人のF3チャンピオンが誕生している。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.5.18ゆーじ
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ベネトン・フォード B190
ベネトン3年目のナニーニ。新加入の元チャンピオンのピケに予選では負けが多かったが、第14戦のスペインGPまでピケに対して表彰台獲得では3対2とリードしていた。またフェラーリがベネトンと契約を延長したナニーニを翌年に加入させようと引き抜きを画策したが、2年契約を希望したのとアレジが第一候補だったことで交渉が決裂する。その後第14戦スペインGPでフェラーリが1・2フィニッシュの後の3位表彰台を獲得したが、ポディウムでのシャンパンファイトを拒否したが、これF1での最後のレースになってしまった。そして日本GP直前の10月12日に自家用ヘリの事故で腕を切断し、手術には成功したがF1生命を絶たれてしまった。
A・ナニーニ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.5.1ゆーじ
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ルノーF1チーム 中国GP限定モデル
R25の中国GP限定モデルはGP開催期間中に現地で発売された。ルノーブルーのチェッカーフラッグの台紙になっていて、文字も中国語になっているのも雰囲気がある
F•アロンソ ミニチャンプス Mr.クラフト通販 2006.4.29ゆーじ
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BAR・ホンダ007 マレーシアGP
05年マレーシアGPでは02年ハンガリーGP以来のレースになったデイビッドソン。琢磨の発熱で土曜日の朝に急遽出走が決まった。しかし予選では15番手に沈み、決勝でも2周目に突如バトンと共に白煙を上げてリタイアした。02年からBARのテストドライバーを務めたがそこからなかなか抜け出せない状態だった。
A・デイビッドソン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.4.3ゆーじ
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マクラーレン・メルセデス MP4-20 モナコGPウィナー
開幕からルノーチームの5連勝を阻止して第5戦スペインGPで今季初勝利をしたキミ。そして次戦モナコGPまで3連続P・Pで決勝に挑んだ。決勝でもいきおいそのままに全ラップを快走し、圧倒的な力で勝利した。またこのレースでは500個ダイヤをちりばめた専用のヘルメットでドライブし、後にオークションにかけられて話題になった。
K•ライコネン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.4.3ゆーじ
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ベネトン・フォード B188 1989
ナニーニが残留してベネトン2年目。パートナーとしてJ・ハーバートが加入したが、ケガが回復せず序盤に早々解雇された。そんな中ナニーニは4度の表彰台獲得で32ポイントでランキング6位に入る躍進を見せた。予選でもチームメイト対決は14勝2敗と圧倒。ポイントでもハーバートが5,ピロも2と寄せ付けなかった。そして鈴鹿の日本GPではセナとプロストのシケインの激突からセナのシケイン不通過で初優勝が転がり込んできた。これが自身F1で唯一の勝利になるのだが、輝かしい活躍を続けると信じていた矢先のヘリコプター墜落事故による右腕の切断はあまりにショッキングで記憶に深く刻まれている。
A・ナニーニ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.3.28ゆーじ
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ウィリアムズ・ホンダFW11
86年のウィリアムズチームは元チャンピオンのピケを迎え入れた。そしてチャンピオン争いは最終戦までもつれ込んだが、ポイントを大きくリードしていたのがマンセルだった。最多5勝のマンセルは3位以上でチャンピオンになる計算だった。レースでは3位をキープしていたが、不運にも64周目に左リアタイヤがバーストしてそのままリタイアしてしまった。結局、一番不利だと思われていたプロストがチャンピオンを獲得した。この年のウィリアムズチームはフランクが交通事故で車いす生活になるという大きな出来事もあった。だがそんな中、チームは9勝してコンストラクターズチャンピオンを獲得している。そして翌年の初開催の鈴鹿で再びマンセルに不運が起きることになる。
N・マンセル ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.3.28ゆーじ
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マクラーレン・メルセデスMP4-19B
04年はMP4-18をモディファイしたMP4-19でスタートした。しかしスピードと信頼性の不足で首脳陣の責任問題まで発生した。実際、第9戦まで入賞3回、リタイア5回と散々な成績だった。そして第10戦フランスGPで改良型のMP4-19Bを投入した。そしてイギリスGPではP•P獲得。ベルギーGPではミハエルを封じての今季初勝利を手にした。しかしキミにとっては不完全な一年になってしまった。
K•ライコネン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.3.2ゆーじ
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BAR・ホンダ007 イタリアGP
007についてはさまざま書いたので次の年の話題。スーパーアグリフォーミュラ1チームのドライバーが佐藤琢磨と井出有治に決まったのは06年2月15日のことだった。そして21日にカタロニアサーキットのテストでアロウズA23を改良したSA05を初走行させた。三日間のベストラップは1分19秒787。このタイムはトップのホンダのバトンのタイムから5.9秒落ちという厳しいスタートだった。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.3.2ゆーじ
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ティレル・フォード 012
類い希な才能を持ったベロフがF1デビューしたのはセナと同じ84年だった。ティレル012は最後のノンターボマシンで、ベロフは第3戦ベルギーGP6位で初入賞、第4戦サンマリノGPで5位、そして伝説のモナコGPを迎える。予選では下位に沈み20番手からのスタート。31周でレースは打ち切られたが、2位のセナに13秒差の3位で、F•Lはセナだったがベロフの追い上げは神がかり的で、もしレースが続いていたならベロフが勝ったという声もあった。しかし第8戦デトロイトGP後の車検でマシンの燃料タンクから炭化水素が含まれていたと発表。チームはバラストだと主張したが認められず、ポイントがすべて無効とシーズン終了まで出場が禁止されてしまった。これが水タンク事件である。
S・ベロフ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.11ゆーじ
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パナソニックトヨタレーシング TF105 マレーシアGP トヨタファーストポディウム
05年はF1参戦4年目のトヨタ。そのマレーシアGPでトヨタの初表彰台が達成される。トゥルーリは接戦の予選で2番手を獲得して期待が高まる。決勝ではスタートでアロンソの前に出られず、追いかけることもできずポールトゥウィンを許したがペースをコントロールしての2位フィニッシュだった。だがこのレースウィークはそれ以外にもドラマがあった。金曜日の晩にヤルノの友人であるステファノ・バンディーニが飛行機事故で亡くなったのだ。これは友に捧げる2位でポディウムでのシャンパンファイトをパスした。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.11ゆーじ
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マクラーレン・メルセデスMP4-20
間違いなく05年にインパクトを残したのはMP4-20が一番だった。しかしエンジンの信頼性のつまづきで序盤からアロンソに引き離されてしまった。設計はエイドリアン・ニューウェイ、ニール・オートレイ、マイク・コフランの合作で過激な手法を用いたが、去年のマシンと違いしっかりとしたコンセプトで固められていた。フロントサスはツインキールからゼロキールに変更。ノーズ幅を広くし、ラジエターを傾けてサイドポンツーンの断面積を増やさず、冷却面積を稼いだ。またインダクションポッド脇のホーンウィングはリアウィングへの空気の流れを整えた。しかし敗因はエンジンの不安定さがほぼすべてと言えた。
K•ライコネン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.4ゆーじ
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マクラーレン・メルセデスMP4-20 ミシュラン別注
05年のモントーヤは自己ベストの3勝をマークしながら評価について下げてしまった。シーズン中にはテニスの骨折で2戦欠場。自慢だった予選の速さも平均順位は7.77位で、ライコネンの4.11位から大きく離された。ポイントは2戦欠場はあったがライコネンに対して60対112。P•Pも1回だけ。後半戦はライコネンの援護に回った。第8戦カナダGPではピットアウトの際に赤の信号を無視して失格。さすがにロン・デニスを怒らせてしまった。
J•Pモントーヤ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.4ゆーじ
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レッドブルレーシング・コスワースRB1 ミシュラン別注
ジャガーが買収されて登場したレッドブルレーシング。だが開幕戦から存在感を示し、クルサードは3戦連続の入賞で春の衝撃と呼ばれた。開幕戦オーストラリアGPでは予選5位から4位入賞。第2戦マレーシアGPではミハエルをオーバーテイクして6位。第7戦ヨーロッパGPでは4位入賞したが、ピットレーンのスピード違反がなければポディウムに上がれた。終わってみれば24ポイントでランキング12位。マクラーレンのプレッシャーから解放されたベテランは輝きを放っていた。
D・クルサード ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.4ゆーじ