-
パナソニックトヨタレーシング TF105 マレーシアGP トヨタファーストポディウム
05年はF1参戦4年目のトヨタ。そのマレーシアGPでトヨタの初表彰台が達成される。トゥルーリは接戦の予選で2番手を獲得して期待が高まる。決勝ではスタートでアロンソの前に出られず、追いかけることもできずポールトゥウィンを許したがペースをコントロールしての2位フィニッシュだった。だがこのレースウィークはそれ以外にもドラマがあった。金曜日の晩にヤルノの友人であるステファノ・バンディーニが飛行機事故で亡くなったのだ。これは友に捧げる2位でポディウムでのシャンパンファイトをパスした。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.11ゆーじ
-
マクラーレン・メルセデスMP4-20
間違いなく05年にインパクトを残したのはMP4-20が一番だった。しかしエンジンの信頼性のつまづきで序盤からアロンソに引き離されてしまった。設計はエイドリアン・ニューウェイ、ニール・オートレイ、マイク・コフランの合作で過激な手法を用いたが、去年のマシンと違いしっかりとしたコンセプトで固められていた。フロントサスはツインキールからゼロキールに変更。ノーズ幅を広くし、ラジエターを傾けてサイドポンツーンの断面積を増やさず、冷却面積を稼いだ。またインダクションポッド脇のホーンウィングはリアウィングへの空気の流れを整えた。しかし敗因はエンジンの不安定さがほぼすべてと言えた。
K•ライコネン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.4ゆーじ
-
マクラーレン・メルセデスMP4-20 ミシュラン別注
05年のモントーヤは自己ベストの3勝をマークしながら評価について下げてしまった。シーズン中にはテニスの骨折で2戦欠場。自慢だった予選の速さも平均順位は7.77位で、ライコネンの4.11位から大きく離された。ポイントは2戦欠場はあったがライコネンに対して60対112。P•Pも1回だけ。後半戦はライコネンの援護に回った。第8戦カナダGPではピットアウトの際に赤の信号を無視して失格。さすがにロン・デニスを怒らせてしまった。
J•Pモントーヤ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.4ゆーじ
-
レッドブルレーシング・コスワースRB1 ミシュラン別注
ジャガーが買収されて登場したレッドブルレーシング。だが開幕戦から存在感を示し、クルサードは3戦連続の入賞で春の衝撃と呼ばれた。開幕戦オーストラリアGPでは予選5位から4位入賞。第2戦マレーシアGPではミハエルをオーバーテイクして6位。第7戦ヨーロッパGPでは4位入賞したが、ピットレーンのスピード違反がなければポディウムに上がれた。終わってみれば24ポイントでランキング12位。マクラーレンのプレッシャーから解放されたベテランは輝きを放っていた。
D・クルサード ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.2.4ゆーじ
-
2024年 横浜DeNAベイスターズ
隠れプロ野球下敷きマニアの自分。まさかベイスターズが日本シリーズに出てホークスを破るとはねぇ。来年はどんなドラマが待っているのかな。
横浜スタジアムゆーじ
-
マクラーレン・プジョーMP4/9
MP4/9はニール・オートレイとアンリ・デュランの設計。MP4/8の正常進化型だが、サイドポンツーンの前端が後退し、コークボトルの絞り込みがきつくなっている。エンジンはF1初参戦のプジョー。しかしあまりに信頼性が低く、複数年契約を打ち切り、イルモア製のメルセデスを選んだ。
M・ハッキネン ミニチャンプス 万代書店仙台泉店 2006.1.26ゆーじ
-
赤道直火のしゃもじ
2014年の広島東洋カープのキャッチフレーズが入ったしゃもじ。中国新聞が作った非売品です。取材を受けた時にいただきました。カープが三連覇の前に積み上げている段階でした。でも楽しい時でした。
ゆーじ
-
ジョーダン・トヨタ EJ15
エディ・ジョーダンが去ってもチーム名はジョーダンで参戦した05年。買ったのはミッドランドグループを率いるロシアの富豪、アレックス・シュナイダー。モンテイロは最近珍しく28歳でのF1デビューだった。だが走り出すと堅実で、ルーキードライバーの連続完走記録を16戦まで伸ばした。消化ラップは全ドライバー中トップだった。アメリカGPではミシュランユーザー不在ながら3位表彰台を獲得してポディウムで大はしゃぎした。
T・モンテイロ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.1.21ゆーじ
-
マクラーレン・プジョー MP4/9
開幕前にプロストがマクラーレンに復帰するのではという情報が流れた。だが結局テストドライブだけで終わり、開幕ギリギリの2月末にマクラーレンのシートをブランドルが手に入れた。しかし不運とトラブルに泣かされた一年だった。セナを失った後のモナコGPでは2位表彰台を掴み、ミハエルとヒルが激突した最終戦アデレードでも3位でシーズンを終えた。結果、5戦で入賞して16ポイント、ランキング7位だったがマクラーレンでドライブできたからこそ得られたものもあったシーズンだった。モデルカーはケース無しで売られていたが、レーシングスーツまでしっかりマルボロロゴに変更されていた。
M・ブランドル ミニチャンプス 万代書店仙台泉店 2006.1.17ゆーじ
-
ウィリアムズ•メカクローム FW20
ルノーが撤退し、エイドリアン・ニューウェイがマクラーレンに移っていった。そしてスポンサーがウィンフィールドに変更された。フレンツェンは開幕オーストラリアGPで3位表彰台を獲得したが、その後は下降した。予選ではジャックに6勝10敗。ポイントでは17対21だった。そしてジョーダンに移籍して活躍を見せた。
H・Hフレンツェン ミニチャンプス ミニカーショップキャッスル 2006.1.7ゆーじ
-
ウィリアムズ・BMW FW27 ミシュラン別注
ジャガーからトップチームに駆け上がったかに見えたウェバー。手堅く入賞を重ねて36ポイント、ランキング10位だったが、ハイドフェルドやピッツォニァをリードしながら影が薄い印象だった。予選ではチームメイトに14勝5敗とリードしていたが、表彰台はモナコの3位のみだった。チームは2000年以来の未勝利でランキング5位。BMWとの確執が明らかになり、開発も進まなかった。FW27はギャビン•フィッシャーの設計。ダウンフォースの不足が目立ち、小規模なアップデートの効果は現れなかった。
M•ウェバー ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.1.5ゆーじ
-
ザウバー・ペトロナスC24 ミシュラン別注
05年は元チャンピオンのジャックがチームメイトで、完走率も彼より高く11対9とポイントもリードした。また予選でも13勝6敗だった。ベストレースはカナダGP。ウェバーとのバトルに競り勝って、自己ベストの4位入賞を手に入れた。C24はフェラーリ色から離れてウィリー・ランプが独自に製作した。サイドポッド下部のえぐれやギアボックスは独自に開発など成長も伺えた。そしてBMWの買収によってザウバーチームは215戦で幕を閉じた。
F・マッサ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.1.5ゆーじ
-
ルノーF1 R25 ミシュラン別注
24歳58日のチャンピオンはE・フィッティパルディの最年少記録を33年ぶりに塗り替えた。前年は1勝もできず若さゆえのミスも目立った。だが05年は15回の表彰台登壇に止まらず、予選順位は平均4.05位と安定感が際立っていた。ミハエル時代を止めたアロンソ。新旧交代の足音が聞こえた05年だった。
F•アロンソ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.1.5ゆーじ
-
マクラーレン・メルセデスMP4-20 ミシュラン別注
王者フェラーリの不調でライコネンとアロンソの新世代対決になった05年。キミは度重なるトラブルでタイトルを逃した。エンジン交換はなんと4回で10グリッドダウン。ヨーロッパGPではタイヤのフラットスポットでサスペンションアームが耐えられず破損し、ラストラップにリタイアし勝利を逃した。逆に着実にポイントを稼ぐアロンソにプレッシャーを与え続けることができなかった。だがアロンソとポイントでは112対133で、7勝対7勝だった。モナコではポールトゥウイン。鈴鹿での16台抜きは伝説になった。もし少しでも不運を避けられていたら。まあタラレバですが。
K•ライコネン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2006.1.5ゆーじ
-
ルノーF1チーム R25 ルノー別注
05年のアロンソは安定した力を発揮して参戦67戦目で最年少のチャンピオンを獲得した。トータル7勝で133ポイント。ルノーチームも初めてのコンストラクターズタイトルでダブルタイトルを決めた。R25はボブ・ベル、テイム・デンシャム、ディノ・トソを中心に設計。新レギュレーションに合わせた基本的には保守的なマシンと言えた。様々な機構的にはオーソドックスだが、ラウンチコントロールやTCSは他のチームを圧倒した。
F•アロンソ ミニチャンプス Mrクラフト通販 2006.1.1ゆーじ