元気です

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あさま山荘事件が起き、沖縄が日本に返還された1972年、学生運動が退潮し、次の時代への期待と不安が入り混じったこの年、吉田拓郎の最高傑作『元気です。』は生み出された[1]。アルバムリリースは第1次田中角栄内閣発足から二週間後のことだった[1]。

それまでフォークを取り上げなかった一般紙までも「フォークの吉田の初アルバム」と書きたてた[2]。拓郎がエレックレコードのようなマイナーレーベル時代に出したアルバムは、そういう世界ではまだ"ないもの"に等しかった[2]。

拓郎は、この年6月の四角佳子との結婚式でマスメディアからの取材を拒否し、さらにテレビ出演を拒否をし続けた時期で、セールス・プロモーションは、ほとんど行われなかったが[3][4]、リリース直後から話題をさらい、1ヵ月で40万枚を売り上げ、アルバムを手にした若者たちは、この年の夏、取り憑かれたように聞き、没入した[1]。

シングルとは別ヴァージョンの「旅の宿」を収録。ヒットしたシングル曲を別アレンジヴァージョンでアルバムに入れるのは当時は異例だった

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