戦艦 大和
大和は昭和12年11月に呉工廠で起工され昭和16年12月に完成した。この艦の建造に当たっては量において米、英より劣勢だった日本海軍が質の面でリードすることを主眼とし、世界一の超弩級戦艦を保有することによりこれに対抗しようとした結果だった。大和の特徴は、その巨砲にある。46センチ砲9門搭載艦は世界でも初めてであり、当時の列強の主力艦の主砲が40センチ砲であることからみても、大鑑巨砲主義のもとに作られた代表的な戦艦であった。従って、戦艦同士の戦闘の場合に限れば、世界最強の戦艦である。
大戦早々大和は連合艦隊長官旗艦としてミッドウェー海戦に参加、引き続きマリアナ海戦、比島沖海戦と転戦した。その後起こったサマール沖海戦では、46センチ主砲を敵の護衛空母群に浴びせ駆逐艦ホールを撃沈した。1945年4月6日、第二艦隊の旗艦として軽巡矢矧、駆逐艦8隻と共に沖縄本島の敵侵攻部隊の迎撃に向かった。しかし、翌7日、延べ1,000機にも及ぶ敵空母機の集中攻撃を受け、魚雷12本、爆弾5発以上を受け、ついに九州沖にて多数の乗員と共に海中に没し、大鑑巨砲主義の時代は終了したのである。
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