壬申の乱

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672年、天智天皇の太子大友皇子の即位を不服として皇弟・大海人皇子が反逆した古代日本最大の内乱である。いわば皇位継承における下克上であり、天皇家が権威、武力双方を掌握していた時代ならではで、今では考えられない戦いでもある。また、反逆側の大海人皇子側が勝利して下克上が成功するなど、日本史上稀な結果になったという意味でも重要な戦いである。
671年、時の天智天皇は、同母の弟である大海人皇子に天皇の位を継がせようとしていたが、大海人皇子自身がこれを断り、天智天皇の実子である大友皇子を推挙し、自身は出家し吉野宮(現在の奈良県吉野)に引き籠った。672年1月、46歳で天智天皇が崩御し、まだ24歳であった大友皇子は、即位して弘文天皇を名乗ったが、時同じくして出家していたはずの大海人皇子は、吉野を出立し、美濃、近江、伊勢、伊賀各地の豪族と会談し反乱を起こすように説得にあたる。これに対し弘文天皇を立てる近江朝廷は吉備や筑紫、はては東国まで動員を命令しこれにあたった。こうして、近畿一帯全てを巻き込んだ皇位を巡る反乱が始まったのである。結果は反乱側の大海人皇子が勝利し、即位して天武天皇を名乗ったのである。
一旦即位を断った大海人皇子が何故心変わりしたのか?いったい何があったのか?今でも日本史上最大の謎である。
「壬申の乱」は、1983年、アドテクノスが制作、朝日出版社が刊行したシミュレーションゲームブックスの5冊目の付録として発表されました。発売当時はそのテーマの地味さから人気がなかったのですが、日本ゲームデザインの鬼才高梨俊一によるそのデザインは、プレイしたらわかるその先鋭的なシステム、僅かな歴史資料を基に深く考察された再現性、テーマの重要さからじわじわと評判になり、2004年発売のゲームジャーナル12号の付録として再録されています。
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