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『三原脩』『水原茂』サイン色紙
『三原脩』『水原茂』
高校から大学・プロと昭和野球史のライバルであり数々の逸話が残る両雄。
1951年巨人を追われるように西鉄ライオンズの監督となった三原脩は1956-57-58の『巌流島の決闘』と呼ばれた日本シリーズで3連覇を果たす。
1960年大洋の監督に就任し、水原巨人とペナントレースで合間見れる。6年連続最下位の大洋ホエールズを優勝、日本一に導き「三原魔術」の異名をとる。一方この年オフ、水原監督は巨人を追われ東映フライヤーズの監督となる。
晩年は三原がパ会長、水原がセ会長を画索するも実現することなく鬼籍に入る。水原茂(1982年没)73歳、三原脩(1984年没)72歳であった。
『三原 脩』(1911/11/21-1984/2/6)香川県仲多度郡神野村出身
監督通算 3248試合1687勝1453敗108分
優勝6回・日本一4回
野球殿堂(1983)
選手歴
香川県立高松中学校-早稲田大学-大日本東京野球倶楽部-東京巨人軍(1934-38)
監督歴
読売ジャイアンツ(1947-49)優1
西鉄ライオンズ(1951-59)優4日3
大洋ホエールズ(1960-67)優1日1
近鉄バファローズ(1968-70)
ヤクルトアトムズ(1971-73)
1973年日本ハムファイターズの創立に尽力し球団社長・相談役を歴任。
『水原 茂』(1909/1/19-1982/3/26)香川県高松市出身
監督通算 2782試合1586勝1123敗73分
優勝9回・日本一5回
野球殿堂(1977)
1942年応召、その後シベリアに抑留。
1949年7月20日に帰国。
1950年現役復帰する。
選手歴
香川県立高松商業学校-慶應義塾大学-東京巨人軍(1936-42,1950)
監督歴
読売ジャイアンツ(1950-60)優8日4
東映フライヤーズ(1961-67)優1日1
中日ドラゴンズ(1969-1971)
1971年三原がヤクルト監督に就任、水原は中日で監督。セ・リーグ最終日(10月9日)に両雄の最後の対戦となり水原中日が勝利した。ヤクルト・中日の対戦成績は12勝12敗2分であった。そしてこの年、水原茂はユニホームを脱いだ。
年代は不明(1960年以降?)両雄の連名サイン色紙は稀有。