野球塔(絵葉書)

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野球塔

1934年、第20回全国中等学校優勝野球大会を記念して、大阪朝日新聞社が建設。

球場北東の松林に高さ30mの塔、20本の柱廊、直径35m・8段・2,500名収容の階段型観覧席を備え、柱には第1回大会から第20回までの優勝校・選手名ほか1枚ずつ銅製の銘板に刻まれていた。塔中部の立像は『伊達正男』がモデルである。

塔は近くに新設された鳴尾飛行場への離着陸の邪魔になると太平洋戦争中に撤去、銘板は軍に供出され、残りの列柱も空襲で崩壊、跡地も戦後、国道43号の拡張時に区画整理され無くなった。

鋳潰されなかった銘板のうち第2回・慶應義塾普通部のものが野球体育博物館に、第20回・呉港中のものが甲子園歴史館に保存されている。

その後、1958年(2006年撤去)・2010年に再建。

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