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英国 1ソブリン銀貨 2025年銘
英国で2024年に発行されたこのソブリン貨は、英国王立造幣局1100年の歴史で初めてのソブリン銀貨として発行されました。 ソブリン貨は、1489年に国王ヘンリー7世のもとで初めて金貨として発行されました。当時としては珍しく君主正面座像が描かれており、それがソブリンの名称の由来になったといわれています。17世紀まで発行された後に中断を挟み、1816年に金本位制の貨幣として復活することになりました。復活以降はベネデット・ピストゥルッチによる傑作「セントジョージの竜退治」デザインを採用し、それが今日まで続いています。復活以降のソブリン金貨は、1ソブリンが直径22mm、重量7.98805g、金品位91.67%の仕様となっています。額面の表示はなく、その諸元をもって1ソブリンとして通用します。 ソブリン銀貨の主要諸元は、ソブリン金貨と同一仕様とされました。発行枚数上限50,010枚(ケース入上限50,000枚)の通常プルーフ仕様のほか、年銘の左にプリヴィマーク( Jean Baptiste Merlen によるロイヤルアームズ200周年を記念したもの)が入ったプレミアムプルーフ仕様(発行枚数上限15,010枚)もあります。写真は通常プルーフ仕様です。
プルーフ 銀 英国Hokutosei
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ジンバブエ 5ZiG ニッケルメッキスチール貨 2024年銘
#ジンバブエ が従来のジンバブエ・ドルに替わって導入した新通貨ジンバブエ・ゴールド(ZiG)の貨幣です。2024年4月5日に発表され、同月8日に導入、同年5月1日に発行されました。元はデジタルトークンとして2023年4月に導入されたZiGですが、それに対応する貨幣として発行されました。ZiGの価値は2.5トンの金と1億ドルの外貨準備金に裏付けられており、これが事実ならば、ジンバブエは事実上、ZiG発行時唯一の金本位制採用国と目されています。 当初、1ZiG、2ZiG、5ZiGの貨幣3金種と紙幣が発行されました。導入当初は一部金種の貨幣が発行されていませんが、発行予定の貨幣がいずれも1ZiG未満の貨幣(1/2ZiG、1/4ZiG、1/10ZiG)であり、それらが発行されらとしても5ZiGはジンバブエの通貨ZiGでは最高額面の貨幣となります。貨幣の表側は共通デザインとなっており、ジンバブエの国章や国旗にも採り入れられたジンバブエ鳥が採用されました。裏側は金種により異なり、写真の5ZiG貨幣にはヴィクトリアの滝が採用されました。 ZiGは導入の発表が導入の3日前と直前であったこと、1か月近く貨幣が流通していない状態だったことから、混乱の最中での導入となりました。加えて、同国では長らく続いたハイパーインフレにより自国通貨そのものに対する国民の信頼が皆無であること、2024年夏の旱魃による食糧不足により早速ZiGもインフレに見舞われたことなどから、ZiG導入によりジンバブエの通貨の信頼はほとんど回復していない状況です。波乱の幕開けとなったZiGですが、紙幣とともに、今後が注目される貨幣といえましょう。
鉄・ニッケル ジンバブエ 未確定Hokutosei
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ジンバブエ 2ZiG ニッケルメッキスチール貨 2024年銘
#ジンバブエ が従来のジンバブエ・ドルに替わって導入した新通貨ジンバブエ・ゴールド(ZiG)の貨幣です。2024年4月5日に発表され、同月8日に導入、同年5月1日に発行されました。元はデジタルトークンとして2023年4月に導入されたZiGですが、それに対応する貨幣として発行されました。ZiGの価値は2.5トンの金と1億ドルの外貨準備金に裏付けられており、これが事実ならば、ジンバブエは事実上、ZiG発行時唯一の金本位制採用国と目されています。 当初、1ZiG、2ZiG、5ZiGの貨幣3金種と紙幣が発行されました。貨幣の表側は共通デザインとなっており、ジンバブエの国章や国旗にも採り入れられたジンバブエ鳥が採用されました。裏側は金種により異なり、写真の2ZiG貨幣にはグレート・ジンバブエ遺跡が採用されました。 ZiGは導入の発表が導入の3日前と直前であったこと、1か月近く貨幣が流通していない状態だったことから、混乱の最中での導入となりました。加えて、同国では長らく続いたハイパーインフレにより自国通貨そのものに対する国民の信頼が皆無であること、2024年夏の旱魃による食糧不足により早速ZiGもインフレに見舞われたことなどから、ZiG導入によりジンバブエの通貨の信頼はほとんど回復していない状況です。波乱の幕開けとなったZiGですが、紙幣とともに、今後が注目される貨幣といえましょう。
鉄・ニッケル ジンバブエ 未確定Hokutosei
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ジンバブエ 1ZiG ニッケルメッキスチール貨 2024年銘
#ジンバブエ が従来のジンバブエ・ドルに替わって導入した新通貨ジンバブエ・ゴールド(ZiG)の貨幣です。2024年4月5日に発表され、同月8日に導入、同年5月1日に発行されました。元はデジタルトークンとして2023年4月に導入されたZiGですが、それに対応する貨幣として発行されました。ZiGの価値は2.5トンの金と1億ドルの外貨準備金に裏付けられており、これが事実ならば、ジンバブエは事実上、ZiG発行時唯一の金本位制採用国と目されています。 当初、1ZiG、2ZiG、5ZiGの貨幣3金種と紙幣が発行されました。貨幣の表側は共通デザインとなっており、ジンバブエの国章や国旗にも採り入れられたジンバブエ鳥が採用されました。裏側は金種により異なり、写真の1ZiG貨幣にはグロリオサの花が採用されました。 ZiGは導入の発表が導入の3日前と直前であったこと、1か月近く貨幣が流通していない状態だったことから、混乱の最中での導入となりました。加えて、同国では長らく続いたハイパーインフレにより自国通貨そのものに対する国民の信頼が皆無であること、2024年夏の旱魃による食糧不足により早速ZiGもインフレに見舞われたことなどから、ZiG導入によりジンバブエの通貨の信頼はほとんど回復していない状況です。波乱の幕開けとなったZiGですが、紙幣とともに、今後が注目される貨幣といえましょう。
鉄・ニッケル ジンバブエ 未確定Hokutosei
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クロアチア 2ユーロ「都市景観・ヴァラジュディン旧市街」
#クロアチア では2024年より、同国内の都市景観をモチーフとした #2ユーロ 貨幣を発行しています。記念すべき初貨のテーマには、ヴァラジュディン市(旧市街)が選ばれました。 ヴァラジュディンはクロアチアで最も歴史ある都市の1つで、12世紀の末には現在の同市域が文献に登場しました。貨幣のモチーフはヴァラジュディン旧市街にある市立博物館の建物で、古くは要塞として使われていた建物です。ゴシック様式を今に残す建物ですが、かつてヴァラジュディンが要塞を主体とする防御的なつくりとなっていたことを示す貴重な遺構でもあります。同国の5クーナ紙幣のモチーフにもなっていました。
銅・亜鉛・ニッケル クロアチア 200,000枚Hokutosei
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ドイツ 5ユーロ「昆虫の不思議な世界・ヨーロッパミヤマクワガタ」
ドイツで発行された収集家向けの5ユーロ貨幣で、2021年発行分で完結した「地球の気候帯シリーズ」に代わる新シリーズ「昆虫の不思議な世界シリーズ」の第八貨です。2022年から2024年にかけて9種の貨幣が発行され、カラーコインとして発行されます。我々の自然環境を構成する昆虫の世界がテーマで、2023年の第二貨から特定の昆虫にスポットを当てています。第八貨のテーマには、「ヨーロッパミヤマクワガタ」が選ばれました。 ヨーロッパミヤマクワガタはその和名通り欧州全域に生息するクワガタの仲間で、幼虫はコナラの木の朽木を、成虫はコナラの樹液を摂食します。横幅が広く、域内外で人気の甲虫です。森林でみられることから、近年では環境や生物多様性の指標としても注目されています。コインのデザインにも、幼虫からの生息環境であるコナラの木が採り入れられました。 この貨幣は1箇所の造幣局(ミュンヘン造幣局)でのみ発行されたため、ミントマークは D しか存在しません。
銅・ニッケル ドイツ 非公表Hokutosei
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オランダ領東インド 2スタイバー銅貨
19世紀初頭のオランダ領東インドで発行されました。当時のオランダはフランス革命の波及やナポレオンの侵攻を受けて混乱の最中にあり、貨幣を含む植民地経営に回す余力がありませんでした。そこでオランダが目をつけたのは、日本が輸出していた竿銅という、現在でいうところの銅インゴットでした。その竿銅を使いやすい大きさに切り、刻印を打って使うことにしました。このような経緯で発行されたのが、写真の2スタイバー切銅型銅貨となります。 ただし、余力のなかったオランダの実情を反映してか、この切銅型銅貨は規格化された貨幣とは程遠い存在でした。竿銅を文字通り雑に切って造られたため、より低額面の1スタイバー銅貨より小型軽量の2スタイバー銅貨が現れることも少なくなかったようです。更に、同じ2スタイバー銅貨でも物によっては2〜5倍もの重量差がみられます。 製造経緯から、歴史の混乱期を物語る一資料としての意義もある貨幣です。
オランダ領東インド 不定 不定Hokutosei
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フランス 1/4ユーロ銅貨 パリ・ロサンゼルス五輪開催引継ぎ
2024年パリオリンピック閉幕後、ロサンゼルスへのオリンピック開催引継ぎを記念して発行されました。 2021年に発行された東京・パリのオリンピック引継ぎ記念貨幣と同様、関係する都市を象徴する風景を通じて、開催都市の移り変わりを表現しています。片面はパリをトリコロールのネイルアートが入った女性の手(左)、ロサンゼルスを男性の手(右)に見立て、バトンリレーで大会の引継ぎを表現しています。背景にはエッフェル塔、ロサンゼルスの街中にあるヤシの木とビル群が図案化されています。反対側はフランス国旗のトリコロールとアメリカの星条旗を図案化されています。 オリンピックメダルの色にちなみ、同デザインの10ユーロ銀貨、50ユーロ金貨、200ユーロ金貨も発行されました。
銅 フランス 1,000,000枚Hokutosei
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10円青銅貨(ギザあり)昭和28年銘
昭和26(1951)年に初めて製造され、翌年より発行された10円貨幣です。素材の騰貴により不発行に終わった10円洋銀貨に代わる形で発行されました。計画されながらも試作のみで終わった50円銀貨のデザインを流用しています。昭和33(1958)年銘まではエッジにギザがあり、ギザ十と呼ばれています。 デザインは、平等院鳳凰堂に唐草模様を配し、反対側は常盤木のリースを採り入れています。発行当初は高額貨幣で、特に平等院鳳凰堂部分が偽造防止のために精緻なつくりとなっています。素材が変色、指紋の焼きつき等の劣化著しい青銅であり、特に製造時期の古いギザ十の未使用貨は珍しく、高額で取引されています。
銅950/亜鉛40/錫10 466,300,000枚 23.5mmHokutosei
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旭日竜大型50銭銀貨 明治4年銘 後期
明治初期の新貨条例のもと、本位貨幣の金貨に対する補助通貨として発行された銀貨の一派です。旭日竜の通用名を印象づける竜と日章の図柄は日本貨幣の中でも屈指の出来で、今なお根強い人気を誇っています。 この50銭銀貨は当初より国内通用を狙って製造された銀貨で、(貿易1圓銀貨を除き)最高額面だけあり31mm超の大径となっています。 旭日竜大型50銭は明治3(1870)年銘と明治4(1871)年銘とがあり、明治4年銘には更に「大日本」の本字縦画末尾が跳ねる前期(跳本)と止め画になる後期(止本)とがあります。写真は明治4年銘後期です。下記発行枚数は旭日竜大型50銭全年銘が含まれます。
銀800/銅200 1,806,293枚 31.51mmHokutosei
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エストニア 2ユーロ「エストニアの国花ヤグルマギク」
エストニアを象徴する事物のシリーズの一環として、2023年の「エストニアの国鳥ツバメ」に続き発行されました。 ヤグルマギクは、ヨーロッパ原産の植物で、キク科の一年草です。1968年にエストニア国花となりました。元々エストニアでは小麦・ライ麦を主食とするようで、ライ麦畑の近くに咲くヤグルマギクは古くから親しまれているそうです。デザインは、コンペにより選ばれた Kaupo Kangro 氏のデザインが採用されました。ヤグルマギクの花は中央に八芒星をなし、それがコインにも刻まれ、幸運と愛の象徴としてエストニアの国柄と国民性を示すものとなっています。 発行枚数1,000,000枚のうち12,000枚は、コインカードに未使用貨を封入する形で発行されました。
銅・亜鉛・ニッケル エストニア 1,000,000枚Hokutosei
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フランス 2ユーロ「フランス・パリオリンピック・パラリンピック2024」
パリオリンピック・パラリンピックの開催年を記念して、 #フランス で発行されました。同国ではパリ2024のカウントダウンプログラムとして2021年より2ユーロ貨幣を発行していますが、そのシリーズとは別に発行されています。大会開催年の2024年は、カウントダウンプログラムの最終貨と写真の貨幣、2種類のパリ2024記念貨幣が発行されています。大会開催にあたり、パリ市内の小学生400万人に配布されました。 デザインは、マラソントラックを背景にエッフェル塔が走るコミカルなものとなっています。これは、エッフェル塔の複雑な格子を通じ、オリンピック・パラリンピックの壮大さと意義を強調するものです。また、大会やフランスの文化的背景を表現すべくノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院も配されています。下部にはパリ2024、オリンピック、パラリンピックそれぞれのエンブレムが配されました。 市中で流通している写真の貨幣ですが、未使用貨25枚ミントロール、同デザインの通常プルーフ貨、更にカラープルーフ貨も発売されました。いずれも発売開始日にフランス国立造幣局のHPがダウンし、復旧直後に全て売り切れる事態となりました。この貨幣の人気ぶりが伺えます。
銅・亜鉛・ニッケル フランス 24,000,000枚Hokutosei
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寛永通宝 踏潰 広永狭王寳
寛永通宝のうち、幕府の許可を得て設置された銭座ではない所で鋳造された、いわゆる密鋳銭にあたります。東北地方でまとまった数の踏潰銭が報告されていますが、鋳地は未だ判明していません。古くは秋田踏潰銭と呼ばれていました。 何と言ってもその外観が特徴で、鋳縮みを防ぐため、通用銭を叩いて延展法のごとく仕上げています。そのため、銭径が極めて大きく、銭文も潰されたような外観を呈しています。そのような踏潰の中でも広永は、永字のフ画、く画がともに幅広く輪に接しているのが特徴です。さらに、広永には寳字王画の幅が狭く、輪から離れる手変わりがあり、写真の銭はその狭王寳にあたります。
銅 不明 不明Hokutosei
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仙台通宝 小様
仙台藩が、天明4(1784)年より鋳造した貨幣です。発行した藩内に限り通用した、いわゆる地方貨に属します。主に一般通用していた寛永通宝と容易に区別するため、撫角形の貨幣となっています。 元々、仙台藩は、幕府許可の下で銭座を設置し、寛永通宝の銅銭(仙台、石ノ巻)、鉄銭(石ノ巻)を鋳造していました。しかし、天明の大飢饉により、藩財政が逼迫していました。そこで、仙台藩では、5年の間という条件の下で許可を得て、鉄銭を鋳造することになりました。その銭が、仙台通宝です。大量に発行されましたが、素材の悪さから敬遠されただけでなく、寛永通宝の銭差に仙台通宝を紛れ込ませる不正が横行し、幕府がこれを取り締まる御触書を出す事態にまで至りました。また、寛永通宝に対する相対的価値が下落していき、5年の鋳造許可が満了するのを待たずに、天明7(1787)年に鋳造停止になってしまいました。 製造とともに小型化していき、収集観点からは大様、中様、小様と分類されています。
鉄 仙台 天明年間Hokutosei
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箱館通宝 大様
安政3(1856)年に、松前藩限り通用という条件で発行された貨幣です。明治初頭の函館改称前の銭で、銭文は「箱」館通宝となっています。円形に角形の孔を有する当時の銭貨にあって、孔も丸形となっている点が特異です。 天領だった蝦夷地では、和人とアイヌとの交易には本州から流入した寛永通宝鉄銭が使われ、幕府も銭貨を浸透させようとしていました。しかし、文政4(1821)年に蝦夷地が松前藩に復帰すると、松前藩は銭貨の使用を禁止し、交易は物々交換によることとなりました。松前藩の下で行われた場所請負人による交易の独占により、アイヌの人々の生活は困窮してきました。安政2(1855)年に再度蝦夷地が天領になると、箱館奉行所が開設され、交易の便を図る目的から鉄銭の鋳造が企図されます。箱館奉行所が幕府に鉄銭の鋳造を上申し、その許可を得て安政3(1856)年に蝦夷地唯一の銭座が設置されます。この銭座で量産されたのが、箱館通宝です。この銭は特にアイヌから歓迎されましたが、後に天保通宝や文久永宝などの銅銭が流入すると、鉄銭である箱館通宝は次第に敬遠されるようになりました。 銭文は、当時の箱館奉行定役 太田為之助の書によるものです。次第に小型化されていき、収集観点からは大様、中様、小様と区分されます。写真は銭径が大きい大様にあたります。箱館通宝を鋳造した銭座跡は、現在の函館公園内にあります。
鉄 蝦夷地尻澤辺村 安政年間Hokutosei