大分府内城

0

人生初の、、
大分・・・市内へと飛びw

大分駅大きいな~
九州のターミナル駅でよく見る、アミュプラザも入ってる♪

駅前には大友宗麟とザビエルの像…
そう来たか~😁

さながら渋谷駅ハチ公前のごとく、
17:00にザビの前でね!
とかやるんでしょーか。

そんな大分駅から歩いて15分くらいのトコに、
この府内城はあります。

の前に、
ご城印は駅ナカの観光案内所にて。
立派な領収書までいただき(3枚目)

ご城印でこんな領収書もらうのって、、
はじめてだよ笑

ココ、大分城とは言いませんで、
府内城(ふないじょう)と呼ばれます。

どんなお城だったかは2枚目を…
→で端折るんかぃw

中は広場のようになっており、
特に施設はない様子。もしかして、ほんの手前までしか入ってないかも、と思いつつ💧
6枚目は古写真。

周囲の地番を見ると、
府内町◯丁目、府内薬局、府内店などと
府内を使った地名が多く。

郷土の歴史を感じる、
そんな発見が面白いです😊

その晩は、市内出身で帰省中の友人と居酒屋へ。

関あじ関さばのブランドで知られる、
“佐賀関(さがのせき)”もそう遠くない。

ということでゴリゴリ歯ごたえの魚介に、
フグ刺し(肝つき)、
豊後鳥の新鮮さといい♪😭ウマスギル

こーゆーのが当たり前とは!
友人たちの、舌が肥えるわけだ😂

府内ナイトは、
ここでは当たり前なほど、敷居の低いフグや海鮮で盛り上がるんでしたw

市内には大友氏館…
というのが再現されてあったものの、
スルーして宿題になっちゃいましたが💦

府内という呼び名は、
大友氏が守護だった頃からの名称だそう。

当時、この府内城はなかったものの…
その名に大友一族の名残りを感じさせ。

この地で大友宗麟とザビエルは会見。
南蛮交易の花開いた、ここが大友氏の本拠地だったわけなのです。。。

https://muuseo.com/collectoiz/items/647

臼杵城
大分県臼杵(うすき)市にある臼杵城址。 2枚目は丹生島城(にうじまじょう)、 違うお城じゃありませんで😆 臼杵城の、かつての呼ばれかただとか。 →パンフ見ていま知るという爆) 今では陸続きになってるこの城山が、 戦国時代は島だったとか! 現地へ行くと確かに…海がすぐソコw ここを治めたのは、 大友宗麟(おおともそうりん)という戦国武将。 大友宗麟… うん、名前くらいは聞いたことあるかも? けど日本人の中では、 埋没しちゃってるキャラかもよ⁇😂 ・・・な宗麟さんですが、 視点を西洋に向けてみると… 文献では、とても知られた人物だったよう。 はい、キリシタン大名の大友宗麟… 当時“豊後(大分)の王”!として知られてた。 1枚目、藩主を務めた稲葉氏・家紋の右にある“RCO”は、 洗礼名フランシスコをあらわした宗麟の印章。 これにはキリスト教圏だった、 ヨーロッパの事情が反映されてもいます。 宣教師のイメージ戦略なのもありかと。 つまり、キリシタンだった宗麟は “西洋カトリック世界に受けの良い” “西洋価値観に映える” として多大に紹介され。 実際、大友氏の勢力は 九州で大きかったこともあり…。 そしてポルトガルやスペインの宣教師たちがやって来るのも、九州がまず最初。 フランシスコ・ザビエル→鹿児島上陸など。 そうして豊後の王・宗麟がお出迎え~♪ 宣教師たちは薩摩や長崎や大分へ、 九州から西日本へ、 京の都へ上りそこから先は… あまり行ってないはず。。💧 西洋人の知る戦国時代の日本とは、 西日本~関西の範囲なのです。 日本人のイメージだと、 信長・秀吉・家康あたりが上がるけど、、 ヨーロッパでは、大友宗麟ってなるわけか、、 ってこと思い、この切手(5枚目)見ると👀 これは… 九州やキリシタン大名、 宗麟始めとする、人物が影響したイメージなのだろか⁈ を想像しちゃいます。 ヨーロッパで知られた日本人イメージが、 やがてディズニーへ?🤣 というヒントに繋がるコメントを下さった、 tomonakaazuさん、グリーン参るさんに感謝いたします。。 https://muuseo.com/collectoiz/items/619
https://muuseo.com/collectoiz/items/647

Default
  • File

    T. S

    1 day ago

    大分空港からホバークラフトに乗りましたか?

    返信する