鉄道の遺跡を発掘せよ! かつての列車の乗車位置が最多!?アンコールワット級の遺跡!徳山駅 その②
前回のあらすじ 鉄道遺跡のアンコールワットと個人的に称している徳山駅。1番ホーム。つばめ、はと、月光、みどり、しおじ、なはを見つけた私はさらなる昔の乗車位置案内を発掘するため先へと進んだ。 徳山駅はまだまだ発掘していきますよ^_^ ホームまだまだ端に歩いていきます。 おっ あさかぜ 発見 寝台特急 あさかぜ 国鉄が1956年に東京 - 博多間に設定した寝台特急であり、ブルートレインの先駆けとして、また、東海道・山陽本線および九州内の代表格列車の一つとして知られた。1960年代には冷暖房完備の20系が新造投入され、国鉄を代表する花形列車として人気を集めた。20系客車は「日本最初のブルートレイン」として「あさかぜ」に投入された。また、関西圏を深夜に走行して東京と九州を直通させるダイヤは、以降の同様な直通列車の設定に大きな影響があったとされる。1970年代以降は、航空機・新幹線・高速バスが台頭したため、まずは優等旅客が航空機利用への転移によって減少しはじめ、国鉄運賃・料金の大幅な値上げなどによって利用者も減少していった。このため、東京 - 博多間の1往復が1994年に定期運転を終了し、2000年12月を最後に臨時列車としても運転を終了、東京 - 下関間の1往復も、2005年3月に廃止された。 そしてもふたつあさかぜ発見。しかしあさかぜのラウンジカー乗ってみたかったなあ ここで寝台特急あさかぜのよもやま話を * 客車で運行されていた あさかぜ だが、一時期は285系投入の話があったが、結局実現ならなかった。 * あさかぜの臨時便のスジを利用してた、臨時急行 玄海 があったが、この時使用された20系は元あさかぜの車両で、ホリデーパル といい塗装を真っ白にされジョイフルトレインに改造された物だった。あさかぜの車両はブルートレインに始まりホワイトトレインに終わった。1997年廃車。 * 大宮の鉄道博物館にある20系は あさかぜ である。 サボ 20系 あさかぜ 東京−博多 https://muuseo.com/azuazu257/items/493 Railwayfan 愛称板 20系 あさかぜ https://muuseo.com/azuazu257/items/378 Railwayfan 続いて、コレは豪華フルコースですよ! あさかぜ、さくら、みずほ、あかつき、音戸、そして、つくし3号。 オーナーが調査したなかでも、こういった集合体は初だと思います。 出島書き 寝台特急 さくら 「櫻」「さくら」の列車愛称は、鉄道省・国鉄・JRの歴史上においては、第二次世界大戦前の1923年に鉄道省が東京駅 - 下関駅間で運行開始した第3・第4特別急行列車に対し、1929年9月に公募により「櫻」(さくら)と命名したのが起源である。これは不景気により利用客が減少していた鉄道に活況をもたらそうと、鉄道省は当時欧米で広まっていた列車愛称を日本の列車にもつけて親しみを持ってもらおうと公募を行った。サクラが日本の事実上の国花であり、人々に好まれる花であることから、鉄道省が最初の列車愛称として採り入れたものだった。 「櫻」の愛称は終戦を挟んで1951年より1958年まで、国鉄が東京駅 - 大阪駅間で運行していた臨時・不定期特別急行列車の愛称として再登場する。このときは漢字ではなく、平仮名の「さくら」とされた。 「さくら」の愛称は1959年に国鉄およびJRが東京駅 - 長崎駅間を結ぶ夜行列車(寝台特別急行列車)の愛称として用いることになり、以後2005年までこの愛称が用いられることとなった。この間、1965年 - 1999年は佐世保駅発着の編成を併結していた。 同列車廃止後「さくら」の愛称は一旦途絶えたが、2011年3月に九州新幹線が全線開業することを機に、一般公募で さくら が選ばれた復活した。 寝台特急 あかつき 京阪神と九州を結ぶ夜行特急の祖であり、最後まで残った列車でもあった。1965年に新大阪駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)・長崎駅間の寝台特急列車として運行を開始。設定当初より東海道新幹線との乗り継ぎで東京と九州を結ぶ連携を持つ列車で、使用車両・設定種別ともに「関西ブルートレイン」のルーツと言われた。 1968年10月に佐世保駅発着列車が増発。2往復となり、これ以降1970年代中ごろまで非電化区間を有した鹿児島本線と長崎本線および佐世保線を直通する夜行客車特急の総称名として用いられた。 以降、1972年10月に1往復増発、1973年10月には6往復に増発、さらに1974年4月に増発して7往復が運行され、この時が「あかつき」の本数面での最盛期となった。 1975年3月、山陽新幹線の全通により、「あかつき」のうち西鹿児島駅・熊本駅発着列車を「明星」として系統分割し、京阪神対九州西部の列車として、長崎駅・佐世保駅、長崎駅、佐世保駅発着各1往復の計3往復となった。また、運行開始以降新大阪駅発着が基本となっていた関西ブルトレ群の中で、初めて大阪駅発着列車の設定も行われ、この改正で下りの長崎駅・佐世保駅行き、上りの佐世保駅始発の列車に関しては大阪駅発着となった。また、一部を本州直通ながら筑豊本線経由とし、1985年まで同線経由で運行をしたことから、同線では国鉄時代最後の優等列車ともなった。 1978年10月に2往復に、国鉄分割民営化直前の1986年11月1日には1往復に削減されたが、京阪神対長崎県の優等列車としての面目を保っていた。 2000年3月に佐世保駅発着列車が廃止されて「彗星」と併結運行されることになるが、2005年10月からは「彗星」の廃止により「なは」との併結が行われるようになったものの、2008年3月15日に廃止された。これにより京阪神対九州間のブルートレインおよび夜行定期列車は1965年の「あかつき」運行開始以来、42年半の歴史に終止符を打った。同時に長崎本線に乗り入れる夜行列車およびJR他社直通列車が消滅し、JR旅客他社の車両が定期列車でJR九州管内の在来線に乗り入れるのも終了した。 鉄道部品 サボ 20系 あかつき 長崎ー新大阪 https://muuseo.com/azuazu257/items/259 Railwayfan 寝台特急 みずほ 1961(昭和36)年登場。寝台特急「さくら」と共に、東京と熊本県、長崎県を結ぶ九州ブルトレの1つとして長らく活躍。鳥栖で熊本行き、長崎行きに分割されて運転されていた。しかし、1994年に定期列車として廃止となった。この頃を境に東海道系ブルトレの整理統合が進むことになる。 2011年九州新幹線全線開通時に みずほ が さくら とともに復活。再び姉妹は日の目を見ることができた。 ちょうど、みずほ の乗車位置案内を撮影しているころ、新幹線の みずほ が通り過ぎていきました。う〜ん感情深いなあ。 (写真はみずほではないです) 急行 音戸 寝台急行 安芸 の姉妹列車。 昭和36年のダイヤ改正に登場。大阪(後に新大阪)~下関間を結んだ寝台急行。東京発着である 安芸 と同様、呉線を経由する列車であった。 昭和50年に廃止 急行 つくし 大阪と博多を結んでいた伝統急行。東海道新幹線開業の1964年10月改正に、大阪~博多間の急行として登場。当初は客車列車で時あったが、1965年より、交直流急行電車475系が投入された。1975年に廃止。 愛称板 急行 つくし https://muuseo.com/azuazu257/items/383 Railwayfan この中の列車で何人か蘇った方はいらっしゃいますが、あかつき、あさかぜ、まして音戸、つくしは再び日の目を見ることはできるのでしょうか? これだけ来るとラーメン、うどん、そばをガッツリ食べた感触でもうお腹いっぱいなのですが、まだ先に行ける!と思いましたが、なんと、フェンスがあって、これ以上先には進めないようです。 く〜っしかしこの先はお宝の匂いがプンプンしますよ。 さて、徳山駅まだまだ終わりませんよ〜。お次は2.3番ホームに向かいましょう。 〜つづく〜