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シンカリオンチェンジザワールド シンカリオン0
新幹線0系の先頭車が変形した始まりのシンカリオン。 頭部は新幹線0系のノーズを彷彿とさせる丸い形状をしている。「ゼロブレード」は二刀流、もしくはグリップを連結させた合体状態での2パターンで使用できる。 シンカリオン初の国鉄型新幹線かつ引退している新幹線からの選出。
シンカリオン タカラトミー 国鉄Railwayfan
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プラレール 新幹線開業60周年記念 0系新幹線ひかり1号&超特急ひかり号セット
東海道新幹線開業60周年とプラレール65周年を記念したセット。 1964年開業当時の0系新幹線ひかり1号と、同年に初の実車再現モデルとして登場したプラレールを現代風にリメイクした超特急ひかり号を再現したスペシャル仕様のセットとなっている。 当時のデザインをイメージした開業記念切符も付属。 3両編成でそれぞれ連結・切り離し可能、どちらも2スピードで電動走行、スイッチOFFで手転がし遊びが可能。開業記念切符1枚付き。
プラレール タカラトミー ひかりRailwayfan
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KATO 【2020-2】C56 160
C56 160はC56の最終号機で国鉄時代に各地で活躍の後、昭和47年(1972)に梅小路機関区へ転籍、その後は動態保存機として現在に至り、C57 1とともに一度も廃車扱い(車籍抹消)されていない蒸気機関車として有名です。 国鉄時代から全国各地へ出張運転を行い、北海道、東北、関東、北陸、四国のほか第三セクターでも運行されました。 昭和62年(1987)からはSL「やまぐち」号として山口線を中心に活躍、C57 1・DD51との重連運転が見られ、平成7年(1995)からは「SL北びわこ号」の牽引機として年数回運転が行われました。 平成30年(2018)にD51 200の本線復活と入れ替わる形で本線上での運転は行われなくなりましたが、京都鉄道博物館内で運転される「SLスチーム号」の牽引で現在も活躍を続けています。
鉄道模型 Nゲージ KATO SLスチーム号Railwayfan
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マイクロエース【A9859】キロ59・29 米子お座敷 ふれあいSUN-IN 登場時 3両セット
1980年代当時、余剰となっていたキハ58系を生かし、全国各地で気動車ジョイフルトレインが登場しました。 1986(昭和61)年に米子局ではお座敷気動車「ふれあいSUN-IN」をデビューさせました。 車体塗装はクリーム色をベースに車体裾に中国山地をイメージした緑帯が入れられ、日本海側を青色、中国山地側には赤色で巨大な「SUN-IN」の文字があしらわれた大胆なもので、大きな話題になりました。 1994(平成6)年から翌年に掛けてリニューアル工事が行われた結果、側面窓が固定化されたほか、2号車中央部の窓が通常の独立窓に復元されるなどの外見上の変化が生じました。 モデルはキロ29の側面窓が連続窓風仕上げだった登場時の姿となっています。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース ふれあいSUN-INRailwayfan
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マイクロエース【A9850】キロ59・29系 エレガンスアッキー 登場時 3両セット
1980年代当時、余剰となっていたキハ58系を生かし、全国各地で気動車ジョイフルトレインが登場しました。 お座敷気動車が好評なことから、洋風の内装を持つジョイフルトレインの改造が行われました。外見上では運転台寄りの客用扉が埋められて小窓が設置されました。外板塗装はクリーム色をベースに濃淡赤(朱色)の3色の帯を大胆に配したデザインが採用されています。 愛称は当時の秋田局のマスコットキャラクターにちなみ「エレガンス・アッキー」と名づけられました。 国鉄民営化後も和風の「おばこ(こまち)」とともに秋田支社の団体・臨時運用に活躍しました。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース エレガンス・アッキーRailwayfan
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マイクロエース【A9852】キロ59・29系・秋田お座敷・登場時 3両セット
余剰となっていたキハ58系を生かし、全国各地で気動車ジョイフルトレインが登場しました。 国鉄末期の昭和59年に秋田局にキハ58形2両、キハ28形1両を改造の上導入されたお座敷気動車は、秋田局管内の3大祭りにちなみ、それぞれ「花笠」、「竿灯」、「ねぷた」の号車愛称がつき同年2月から営業運転が開始されました。お座敷気動車が好評なことから、洋風の内装を持つジョイフルトレインの改造が行われました。 外見上では運転台寄りの客用扉が埋められて小窓が設置されました。外板塗装はクリーム色をベースに濃淡赤(朱色)の3色の帯を大胆に配したデザインが採用されています。 国鉄民営化後も和風の「おばこ(こまち)」とともに秋田支社の団体・臨時運用に活躍しました。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース お座敷列車Railwayfan
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マイクロエース 【A6102】8620型 18688 デフなし
明治時代末期に輸入された大形機関車の性能をおとさぬように小形軽量化して設計、製造されたのが8620形で、9600形とともに日本の蒸気機関車製造技術を確立した名機である。 北は樺太から南は台湾まで当時の日本全国どこででも見ることができた。 大正4年~昭和4年の16年間で672両作られた。18688はデフなし・箱型テンダーで長野機関区などで活躍した。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース 8620Railwayfan
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マイクロエース 【A6307】 C56-91 吉松機関区 お召指定機
C56は線路規格の低い簡易線用の機関車としてタンク式機関車C12を改良して1935(昭和10)年に誕生しました。 タンク式機関車の欠点であった石炭・水の搭載量を改善するためにテンダー式が採用されましたが、タンク式機関車と同様の扱いやすさが要求されたため、バック運転を特に考慮した形状のテンダーが外見上の特徴です。 C56の中で最も華やかな活躍は1972(昭和47)年10月に鹿児島県で行われた太陽国体開催に伴うお召列車牽引で、吉松機関区所属の91号機が本務機、宮崎機関区所属の92号機が次位補機を務めました。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース C56Railwayfan
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マイクロエース 【A2401】EF15-8 五つ窓
戦後最初に量産が開始された貨物用電気機関車で、昭和22年から13年間に202両が製造され、直流電化区間全般にわたって使用された。 製造年次により外観の変化が多く、主電動機やパンタグラフ、機器室窓数およびHゴム支持化などに違いが見られる。 その後続々と登場した新型機に道を譲り、国鉄がJRへ生まれ変わる前に全機が引退した。 8号機は昭和23年3月27日に日立製作所で製作され、昭和27年EF16-8に改造されたが昭和42年復元され、昭和54年に廃車になった。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース EF15Railwayfan
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KATO 【10-367】20系 「さくら」 基本・7両セット
戦前から親しまれた特急「さくら」の愛称を冠したのは、「さちかぜ」→「平和」と改称した長崎行の特急寝台列車でした。 当初は旧形客車で運行されましたが、昭和34年(1959)6月に「あさかぜ」に続いて20系化され、バックサインも「あさかぜ」の白地から桜をイメージしたピンク色が採用されて、新しい特急列車の登場をアピールしました。 翌、昭和35年(1960)7月、鹿児島行き特急「はやぶさ」の20系化の際は、同時に架線から集電して列車のサービス用電源を供給するカニ22が登場しました。 カニ22は、電動発電機(MG)を搭載して、直流電化線区では屋根上の2基のパンタグラフで架線から集電、MGで交流発電を行う新方式を採用しています(交流・非電化区間はディーゼル発電機を使用)。 当初「はやぶさ」用にデビューしたカニ22ですが、車体重量の都合で昭和38年(1963)12月、EF60 500番台の登場の頃から「さくら」や「みずほ」に使用されることが多くなりました。 商品はこの頃の「さくら」編成の仕様を基に模型化したものです。 電気機関車の次位にカニ22が連結されていると、パンタグラフが4基も連続した壮観な眺めとなり、当時の鉄道ファンの注目を集めました。
鉄道模型 Nゲージ KATO さくらRailwayfan
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マイクロエース 【A4290】C63-3 + 61系客車 「幻の普通列車」 7両セット
国鉄の蒸気機関車の新製は1950年で終了し、動力近代化の時代を迎えて蒸気機関車廃止が考えられていましたが、予算の都合や開発の遅れのため一時的に蒸気機関車の新製が考えられました。 そこで1955年に最新型の蒸気機関車として設計が具体化されたのがC63で、C58を改良して性能を向上させた機関車です。 設計は関係者の努力により短期間で完成し、製作開始の指示を待つだけになっていましたが、急速に進んだ電化とディーゼル化により製造は中止され、結局図面のみ完成した「幻の蒸気機関車」となってしまいました。 当セットは、C63が客車列車を牽引したと仮定した幻の客車列車セットです。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース C63Railwayfan
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マイクロエース 【A1289】国鉄 モハ43系+54系 スカ色 飯田線「さようならゲタ電」号 4両セット
鉄道省(のちの国鉄)では並行私鉄との競争が激化した1930年代に東海道線京阪神地区急行電車用に20m級2扉の電車を製造しました。 両運転台車がモハ42、片運転台車がモハ43と呼ばれ、同一グループとしてサロハ46、クロハ59、クハ58なども製造されました。のちにこのモハ42系をベースとして高速化に対応した流線型のモハ52系が誕生しています。 さまざまな改造や称号改正に伴う改番などが行われた結果、1953(昭和28)年以降は片運転台車をクモハ43、電動機出力が増強された片運転台車をクモハ53、制御車をクハ47と呼ぶようになりました。 これらの関西急電は1950年代から地方線区への転出が始まり、中でも飯田線には戦時中にドア増設改造を受けずに2扉のまま残った車両が多数集結し、3扉ロングシートとして登場したモハ40系をセミクロス化、出力を強化したクモハ54-100番台とコンビを組んだ編成も見られました。 1983(昭和58)年7月から8月にかけて飯田線の119系投入に伴う旧型国電の置き換え完了を記念して「さようならゲタ電」号が伊那松島~中部天竜間に3回運転され、多くのファンに惜しまれながら最後を飾りました。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース さようならゲタ電Railwayfan
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マイクロエース 【A1498】マニ30-2007
マニ30(二代目)は1978年から翌年にかけて6両が製造された現金輸送用荷物車です。 その用途から荷室部には一切の窓が無い点や特殊な無線装備を有することが外見上の特徴で、運用は公表されることなく「知る人ぞ知る」車両でした。 2003年を以て運用が廃止され、現在は小樽市総合博物館にラストナンバーの2012番が静態保存されています。 マニ30-2007は国鉄分割民営化後は関西地区を中心に使用され、貨物列車の端に連結される姿がしばしば目撃されたほか、特に四国地区ではディーゼル機関車が本車両のみを単独で長距離牽引する運用があった点が特筆されます。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース マニ30Railwayfan
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マイクロエース 【A6401】D52 403 御殿場線仕様
第2次大戦中の昭和18年に石炭輸送を船から鉄道に全面的に切り変える方針の元、1200tけん引が可能な機関車として誕生したのがD52だ。 設計ではD51形のけん引力よりも120%の性能が得られるはずであったが、戦局の悪化・製造方法の簡易化などの理由により実際には1000tのけん引力しか得られなかった。 403号機は昭和20年に製造され、最後は国府津機関区に所属し、殿場線の客車・貨物列車をけん引した。 回転式火の粉止・ATS装置などの改造が見られる。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース D52Railwayfan
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マイクロエース 【A7254】オロネフ10-2002
画期的な軽量構造で一世を風靡した10系客車は1960年代以降さまざまな派生系列が生まれました。 2等寝台車として製造されたオロネ10には緩急車が存在せず、2等寝台車のみで団体臨時列車を組成する際の便を考慮して給仕室を車掌室に改造することで1969年に4両、1974年に2両が登場、形式もオロネフ10となりました。 九州地区への団体観光用として使用された記録が残っていますが、通常のオロネ10と共通運用で急行列車に連結されていた写真も多く残されています。 モデルは宮原客車区に配置されていた2002番をモチーフとしてします。
鉄道模型 Nゲージ マイクロエース 国鉄Railwayfan