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Donruss Signature Significant Signatures Ernie Banks
1997年にリリースされたBaseball Card
Donruss Signature シリーズのErnie Banks Significant Signatureとなります。
アーニーバンクス紹介
アーニー・バンクス(Ernest "Ernie" Banks , 1931年1月31日 - 2015年1月23日)
シカゴ・カブス所属
(遊撃手、一塁手)
右投右打
1977年アメリカ野球殿堂入り
実働19年間
通算2528試合出場、2583安打、512本塁打、1636打点。
タイトル・表彰・記録
MVP:2回(1958年、1959年)
本塁打王:2回(1958年、1960年)
打点王:2回(1958年、1959年)
ゴールドグラブ賞:1回(1960年)
通称、Mr. Cub (ミスター・カブ)といわれ、カブスの看板プレーヤーであった。バンクスがつけていた背番号「14」は、シカゴ・カブスの永久欠番。1950年代~60年代を代表するスラッガー。
1958年、1959年と2年連続でナ・リーグMVPを受賞。カブス生え抜きのスラッガーとして絶大な人気を誇り、ロン・サント、ビリー・ウィリアムズらと共に1960年代のカブスを支えた。
出場試合数2528、打数9421、塁打4706などのカブスにおける球団記録を保持。シカゴではマイケル・ジョーダンが登場するまで、最高のスポーツ選手だった。
バンクスがカブス在籍中、チームは1度もワールドシリーズへ進出できず、どんなに個人が活躍してもチームが優勝できないことを、「アーニー・バンクス症候群(シンドローム)」と呼ぶようになった。
1931年1月31日
テキサス州ダラス生まれ。父も元野球選手であり、ニグロリーグのダラス・グリーンモナークスやブラック・ジャイアンツで投手や捕手の経験がある。
1948年
セミプロ球団アマリロ・コルツと1試合15ドルで契約。
1950年
ニグロリーグのカンザスシティ・モナークスと月給300ドルで契約。
1951年~1953年途中
兵役。
1953年途中
兵役からモナークスに復帰し、打率.386、20本塁打を記録。
1953年9月8日
シカゴ・カブスと契約金2,000ドルで契約。
1953年9月17日
カブス球団史上初の黒人選手としてメジャーデビュー。
1954年
ロイ・スモーリーに代わり遊撃手に定着し、全154試合に出場。打率.275、19本塁打、79打点を記録した。19本塁打は2007年にトロイ・トゥロウィツキーに更新されるまでナ・リーグ遊撃手新人最多本塁打記録。
1955年
リーグ3位の44本塁打を記録し、遊撃手としてのシーズン最多本塁打記録を樹立。内5本は満塁本塁打でリーグ新記録。
1958年
リーグ最多の129打点・47本塁打を記録し、遊撃手としてのシーズン最多本塁打記録を更新。同年、MVPを受賞。負け越したチームからのMVP選出は史上初。
1959年
リーグ初の2年連続でMVPを受賞。
1960年
ゴールドグラブ賞を受賞。
1961年6月23日
連続試合出場が717で途切れる。
1962年
一塁へコンバート。
1965年9月2日
通算400本塁打達成。
1970年5月12日
リグレー・フィールドで史上9人目の500本塁打を達成。
1971年9月26日
現役引退。
引退後はカブスのコーチを務める。
1977年
有資格1年目に得票率83.81%でアメリカ野球殿堂入り。
1982年8月22日
背番号「14」がカブス史上初の永久欠番に指定。
1999年
メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チームにて遊撃手として選出。
2000年
日本でのMLB開幕戦時に来日し、始球式を行う。
2015年1月23日
83歳で死去。