方鉛鉱 (galena) 神岡鉱山 #0122

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劈開面が比較的に新鮮で、まだ輝きを保っています。(1~4枚目は背景をソフトウエア処理しています。)

神岡鉱山は、約2億5千万年前にできたとされる飛騨片麻岩の中に含まれる結晶質石灰岩を火成岩起源の熱水が交代したスカルン鉱床で、亜鉛、鉛、銀、石灰を産しました。神岡鉱山の採掘は奈良時代養老年間(720年頃)には既に始まっており、1589年(天正17年)、豊臣秀吉により飛騨に封じられた金森長近の家臣糸屋彦次郎(後の茂住(もずみ)宗貞)が鉱脈を発見、金山奉行として茂住鉱山、和佐保銀銅山を経営しました。江戸時代には飛騨地方は天領(幕府領)となり、明治維新後の1874年(明治7年)に三井組が栃洞(とちぼら)坑を買収、1889年(明治22年)には茂住坑を取得して神岡鉱山全体の経営を握りました。三井組とその後身である三井鉱山、三井金属鉱業は神岡鉱山の近代化を進め、1968年(昭和43年)には栃洞坑に国内初のトラックレスマイニング法(トロッコなどの軌道を使用せず、坑道を全て斜坑でつなげる採掘方法)を導入するなどして大規模採掘を続け、神岡鉱山は東洋一の鉱山とも呼ばれました。2001年(平成13年)に閉山するまでの総採掘量は、約130年間で7,500万トンに達したとされています。その一方で、閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムを原因とし、富山県神通川流域で大規模な公害病被害(イタイイタイ病)が発生し、多くの人々が長年にわたり苦しみました。なお、茂住坑跡地に東京大学宇宙線研究所により、ニュートリノ観測装置であるスーパーカミオカンデが設けられています。

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