黄銅鉱 (chalcopyrite) 八総鉱山 #0667

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第二次世界大戦後、1950年代後半に最盛期を迎えた八総鉱山産の黄銅鉱です。元は組標本の一部だったもので、番号ラベルが付いています。黄銅鉱の結晶は見られず、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱等と混ざり合っています。1~5枚目は背景をソフトウエア処理しています。

八総(やそう)鉱山は江戸末期には既に採掘記録があり、1876年(明治9年)に文部省が作成した国内鉱物資源調査報告書「各府県金石試験記」にも記載されています。明治時代に入り古河財閥創始者の古河市兵衛が鉱業権を取得しましたが、古河は前後して入手した足尾銅山で大成功をおさめたことから八総鉱山の開発には本格的に着手せず、1906年(明治39年)に池上仲三郎が鉱業権を譲り受け、1919年(大正8年)の休山まで採掘、製錬を行いました。1928年(昭和3年)久原鉱業に採掘権が移り、1933年(昭和8年)日本鉱業が所有し、日満鉱業の経営を経て、1946年(昭和21年)に休山しています。八総鉱山が本格的に操業されたのは終戦後で、住友金属鉱山が1949年(昭和24年)に買収して翌年に開発に着手、旧舘岩村側の旧八総鉱山と旧田島町側の旧滝ノ原鉱山を通洞坑で結び、旧田島町側に選鉱場を設け、以後主として銅山として経営され、ほかに鉛、亜鉛、硫化鉄を産出しました。最盛期は1956年(昭和31年)から1961年(昭和36年)までで、この期間の年間平均生産粗鉱量は約16万トンに達しました。この時期の従業員は500名以上で、家族を含めると約2,300名が居住していましたが、1970年(昭和45年)7月に終掘し、9月に閉山しました。

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