自己紹介及び朱印集めの傾向について
まずは朱印収集のキッカケから書かせて頂きます。 宗教的要素を含みますので、純粋にコンテンツとして朱印を楽しみたい方は ご注意ください。 私が19歳の折、母親が急逝し心の整理がつかないまま父親に勧められたのが 西国三十三ヶ所観音霊場でした。当時スタンプラリー感覚で各札所を 父親と二人で、時には友人と連れ立って、時には一人で周り 仏前で投げ銭し勤行の作法も知らず手を合わせて参拝終了。 朱印をチェックスタンプが如く、朱印帳に頂いて回りました。 当時、金髪ロン毛のヒョロッと色白の兄ちゃんでしたが、 各地で巡礼中のおばさんや老夫婦など、お声をかけて頂いて道中ご一緒させて頂いたりと、二十歳の自分には貴重な経験をさせて頂きました。 その後、20年近く朱印収集やらには一切興味なく、生活しておりました。 結婚後、妻の勧めで普東禅寺で座禅や作務の手伝いをしておりました。 前厄の年に、自らも精神的に追い詰められ、心身共に疲弊していましたが、 友人が事故で急逝したのを機に何かできないかと 考えた折に、西国三十三ヶ所のことを思い出し、調べていると写し霊場というものがあるのを知り、その夏に京都の洛陽三十三ヶ所を回りました。 洛陽三十三ヶ所を知ってから、各所に写し霊場があることがわかり、 地元の観音霊場を回る中で、地元の歴史などを深く知るきっかけとなりました。 そこから面白くなって、この三年ほど趣味の寺社巡りに朱印収集が追加されました。 四国八十八ヶ所は、母親が子供の頃大病になり、医者にも匙を投げられて、必死の思いで私の祖母が子供の母を背負い歩き巡礼し、どういう功徳かはわかりませんが こうして私がこの世にいるという事は、不思議な思いがしてなりません。 一度は、八十八ヶ所は回っておくべきかと思いました。 我々夫婦にはなかなか子宝に恵まれず、色々あり本当に色々あったある時、妻の枕元に観音様が立ちその後 妻の妊娠が判明し長男が生まれました。 数年後には、私の夢に観音様が現れて、長女が生まれる事を告げられ、長女が生まれました。こんな事おとぎ話くらいしか聞かんぞなんて思いつつ 妻の話など話半分でしか聞いておりませんでしたが、自分が体験してしまうと話は違います。仏教の教えや観音経について興味を持つようになりました。 仏道を勉強する中で、子供の存在が大きく育児を続けながら、 五戒や十善戒を利用すると比較的悩まずに家族生活がおくれることを知り 実行に移すこととしました。その中で、自己申告ではなくどこかに 認めてもらいながら進めようと思い立ち、三帰依、五戒、十善戒を授戒し法名(戒名)「法見」を授かりました。 あちこち観光に出歩くことは好きな私には「見る」は最適なのではないかと考えています。 朱印は御神体御本尊の写しやコピーであると申しますが、無節操に集めていては ただ、ただ、執着にすぎませんので、「行」として集めることとしました。 1000の観音さまの朱印を集めることを発願、請願は「全ての人が今よりちょっぴりでも幸せになること。」 これが満了した後は、数カ所の寺院に限定して仏道の理解を深める動きをしようかと思っています。 また若い頃より、したかった東海道五十三次を行くことにも合わせて、東海道の経路上に点在する、写し霊場の観音霊場を巡り大阪から東京までを結びたいと思っております。 (この大阪から東京を目指す写し霊場のラインナップは別途ダイアリーを作成します。) そして、一旦、全国区での千観音の朱印収集を達成させた後に、近畿圏を調査し 近畿地方(大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、三重、福井(嶺南地域)で、千観音の朱印収集満成したいと思っております。 これの達成を機に、朱印収集は西国三十三ヶ所のみを残し、全て辞める予定としております。 私の宗派としては、実家が「高野山真言宗」ですが、勉強や座禅している寺の系統が「臨済宗」となります。 幼少の頃、浄土真宗の檀家地域であったにも関わらず、祖母が真言宗式の信心をしており、その影響からか「南無大師遍照金剛」を幼児期から知っておりました。 苦手な宗派というのがありまして、「浄土真宗」系「日蓮宗」系が私がよく知らないだけなのかもしれませんが、参拝するにしろグッと緊張してしまいます。 思い返せば日蓮宗の信者さんにより、他宗派はウソ仏教であり云々といきなり相手の全否定から入る話を誰が聞くのだろうと常に思いつつハイハイとお帰り頂くことが何度かあったことによるものだと思います。 仏教とは宗教ではありますが学問でもありますので、知識だけでなく「智慧(ちえ)」でありますので、日本のなんとか「道」と同様に習熟度が上がるにつれ、同じ勧誘するにしろ、賢い方法をとるものだと理解しています。一般生活に迷惑をかけない方便を使うのも仏教的なアプローチのはずだと理解します。 そうはいっても、やはりご縁があり日蓮宗の寺院で御首題を頂く事もありますので、御首題が皆無という事でありません。 勝手知ったる参拝方法となる「真言宗系」が好きですね。 あまり仏教の理解は深まると色々なものがフラットなってきて、心穏やかではありますが、万物が本来仏性があり仏である為、仏像も不要になってきますので、仏像を見て感動するという事もなくなってきます。なので、この辺は俗っぽい方が芸術美術歴史として楽しめるので勿体無いなぁなんていう気持ちもあります。 #自己紹介 #収集傾向 #思い出 #参考