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1967 5TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON (GP ITALIA)
孤軍奮闘もイタリアGP勝利ならず クリス・エイモン FERRARI 312 1967年フェラーリはエース格の ロレンツォ・バンディーニが火傷で死亡 代わりのマイク・パークスも重症事故 前年度フェラーリで勝利をあげた ルドビコ・スカルフィオッティも離脱 残されたエイモン1人体制で戦った 出走レース7回中入賞6回(表彰台4回)で迎えた フェラーリ地元R9イタリアGP 新たに4バルブ化したエンジンを投入 この年脅威となったFORD DFVエンジンに対抗した 予選は2列目4番手スタート 決勝はトップ争いには絡めず 最終的には4周遅れの完走扱い7位で終了 このGPは皮肉にも前年でフェラーリを離脱 HONDA RA300の初戦となった ジョン・サーティス(イギリス)が リードラップ1周で劇的な勝利をあげている モデルはBRUMM R9イタリアGP仕様 予選4位→決勝7位 ドライバーレス 4バブル化によりエンジン出力は公称410馬力 エイモンはフェラーリ時代のイタリアGPは 出走 2年ともポイント獲得ならなかった 1967年イタリアGP優勝 HONDA RA300↓ https://muuseo.com/FW12C/items/1668?theme_id=34513
241117 C.AMON 1967 2FW12C
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1953【WORLD CHAMPION】 BRUMM FERRARI 500F2 A.ASCARI 〖🏆5〗
🔲🔲🔲1953🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI 500F2 🟥🟥A.ASCARI🟥🟥 🔲🔲🔲全9戦🔲🔲🔲 【出走】8回【PP】6回 【優勝】5回【FL】5回 アルベルト・アスカリ 史上初の連覇 インディ500の欠場を除くと 前年度より出場レース9連勝を達成 モデルはBRUMM LIMITED1.000 フェラーリ500F2のマシンに アスカリの写真が貼られた特別モデル
241028 A.ASCARI 1953 5回FW12C
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1969 12TH BRUMM FERRARI 312 C.AMON (GP SPAIN)
資金難フェラーリ 1台エントリー クリス・エイモン途中離脱 1969年フェラーリは資金難で市販車部門が 経営安定のためフィアット傘下に入る状況 スクーデリア・フェラーリはエンツォが 立て直しを図り1台のみのエントリー クリス・エイモンはフェラーリ3年目 R2スペインGPでは予選2位 決勝は途中トップに立つと2位に 40秒以上の差をつけ独走状態であったが エンジンが壊れまたも初勝利ならず モデルはBRUMM R2スペインGP仕様 予選2位→決勝リタイア 前年度より導入されたリアウイング 試行錯誤が続く中でスペインGPは 高い位置に設置し一定の効果を得た 勝てそうで勝てなかったドライバー クリス・エイモンの最も勝利に近かった グランプリのモデル #1969年
240612 C.AMON 1969 15FW12C
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1950 11TH BRUMM ALFA ROMEO 158 R.PARNEL
初代F1親子ドライバー レッグ・パーネル F1初戦で3位表彰台 ALFA ROMEO 158 レッグ・パーネル イギリス出身 1950年 F1の開幕戦となった記念すべきGPの エントリしたー21名のドライバーの1人 アルファロメオの4号車で出場 3F(ファリーナ ファジオーリ ファンジオ) に次ぐ予選は4位 アルファロメオが上位独占 決勝はファンジオのリタイアもあり パーネルは3位でフィニッシュ 決勝もアルファロメオが表彰台を独占 パーネルのアルファロメオは1戦のみ その後1954年までイギリスGP中心に F1でスポット参戦を続けたが 表彰台はこの3位が1度限り パーネルの息子 ティム・パーネルも 1962年にF1で2度の決勝進出があり 所謂F1親子ドライバーの初代がパーネル レッグ・パーネルはその後自身の名前の プライベートチームを結成し ジョン・サーティス クリス・エイモン マイク・ヘイルウッド ピアス・カレッジなどが 同チームでF1参戦している モデルはブルム 1950年のF1開幕戦 イギリスGP仕様 予選4位→決勝3位表彰台 2020年にF1開始70年を記念して 発売されたモデル 限定70台
240315 R.PARNEL 1950 70FW12C
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198019TH BRUMM FERRARI 312 T5 J.SCHECKTER
失意のワールド チャンピオン シェクター引退 FERRARI 312 T5 1980年前年のチャンピオンから一転 失意のシーズンとなったジョディ・シェクター チームメイトはジル・ヴィルヌーブ 開幕から3戦連続リタイア後 R4アメリカWESTでシーズンチーム初5位入賞 しかしこれがシェクターのシーズン唯一の入賞 連覇どころか前年度チャンピオンが まさかの入賞1回 ランキング19位 R13カナダGPではキャリア唯一の予選落ち 失敗作の最後の312Tシリーズ5に失望 シェクターは30歳の若さでF1引退となった モデルはBRUMM R6モナコGP仕様 予選17位→決勝リタイア リアアスクル前にミドルウイングを装備 フロントは横幅の狭い特別仕様のウイング リアウインウは極端に前方に設置されている シェクター最後のマシンとなったカーNo.1 🏁ジョディー・シェクター (南アフリカ) 【決勝出走数】 112回 (入賞53回-表彰台33回) 【予選最高位】 PP( 3回) 【決勝最高位】 優勝(10回) 【ファステストLAP】 ( 5回) 【WORLD CHAMPION】1979年
240309 J.SCHECKTER 1980 1FW12C
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1950【WORLD CHAMPION】BRUMM ALFA ROMEO 158 G.FARINA〖🏆3〗
🔲🔲🔲1950🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 ALFA ROMEO 158 🟥🟥 G.FARINA🟥🟥 🔲🔲🔲全7戦🔲🔲🔲 【出走】6回【PP】2回 【優勝】3回【FL】3回 F1初代ワールドチャンピオン ジュゼッペ・ファリーナ イタリア出身 記念すべき開幕イギリスGP シルバーストーン サーキット ファリーナは予選PPから優勝 ファステストラップも記録し 所謂F1ハットトリックを初戦で達成 キャリア1度きりのハットトリック その後2勝しアルファの3Fとよばれた ファンジオ ファジオーリを破り 見事 初代ワールドチャンピオン獲得 モデルはBRUMM アルファロメオ158のマシンに ファリーナの写真が貼られた特別モデル
240304 G.FARINA 1950 3回FW12C
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1952【WORLD CHAMPION】 BRUMM FERRARI 500 A.ASCARI 〖🏆6〗
🔲🔲🔲1952🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI 500 🟥🟥A.ASCARI🟥🟥 🔲🔲🔲全8戦🔲🔲🔲 【出走】7回【PP】5回 【優勝】6回【FL】6回 フェラーリ初のワールドチャンピオン R3よりフェラーリ500を投入 6連勝 6連続FLの圧勝 (PP5回) アスカリ1度目のチャンピオン モデルはBRUMM R6ドイツGP仕様 PP→FL→WIN フォーミュラ2のレギュレーションが適用 アスカリはこの勝利で2戦を残し 自身とフェラーリの初タイトル獲得 当該GPはカーナンバーがすべて3桁で 割り当てられ F1では珍しNo.101
240211 A.ASCARI 1952 6回FW12C
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1957 【WORLD CHAMPION】 BRUMM MASERATI 250F J.M.FANGIO 〖🏆4〗
🔲🔲🔲1957🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 MASERATI 250F 🟥🟥J.M.FANGIO🟥🟥 🔲🔲🔲全8戦🔲🔲🔲 【出走】7回【PP】4回 【優勝】4回【FL】2回 ファンジオ最後の5度目 マセラッティ唯一のチャンピオン モデルはブルム 開幕戦アルゼンチンGP仕様 予選2位→決勝WIN #1957年
231223 J.M.FANGIO 1957 2回FW12C
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1968 10TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON
クリス・エイモン フェラーリで キャリアベスト2位 FERRARI 312 F1 1968年エイモンはフェラーリ2年目 チームメイトは前年度クーパーでデビューの ジャッキー・イクスが抜擢される エイモンは開幕戦南アフリカGPで4位 R2スペインGP 予選で初PP獲得 チーム欠場のR3モナコを挟み R4・R5と出場3戦連続でPPを獲得 エイモンの生涯獲得PPは5回 R7イギリスGPでは予選3位から プライベータの雄J・シフェールに敗れるも 自身初の2位表彰台を獲得する しかしその後は5戦連続リタイア 途中イクスは初優勝含む5戦連続入賞と 明暗が分かれる結果となった モデルはBRUMM GP仕様の表記は無いが 1968年はカーナンバーは固定でなく GPごとの登録の為 GPで異なる エイモンがカーナンバー9で出場したのは R5オランダ R9イタリア R10カナダ 海外のサイトなどではこのモデルを R5オランダGP仕様としているが このGPの決勝の映像を見ると リアウイングが装着されている為 リアウイングの無い当モデルは 何GPのモデルなのか詳細は不明 それでも1968年のエイモンの フェラーリで唯一2位の年のマシン というだけで個人的には満足です
230914 C.AMON 1968 9FW12C
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1963 【WORLD CHAMPION】 BRUMM LOTUS 25 CLIMAX J.CLARK〖🏆7〗
60年前の WORLD CHAMPION フライング・スコット ジム・クラーク 1度目のWORLD CHAMPION LOTUS 25 1963年全10戦中 【PP】7回 【優勝】7回 【FL】6回 【表彰台】9回【完走】10回 【グランドスラム】3回 (PP➡FL➡全ラップリーダー➡優勝) ジム・クラークの生涯グランドスラム8回 未だに破られていない歴代1位の記録 2位 6回 ルイス・ハミルトン 3位 5回 アルベルト・アスカリ 5回 ミハエル・シューマッハ チーム ロータス(通算7回) 初のコンストラクターズチャンピオン 当アイテムMuuseo登録日2023年3月4日は J・クラークの生誕日(1936年3月4日)
230304 J.CLARK PLANEX COLLECTION 6回FW12C
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1969 TEST BRUMM FERRARI 312 C.AMON
モデルはBRUMMのFERRARI 312 ラジエータ付エアスポイラー仕様 フェラーリV型12気筒エンジンの信頼性が低く エイモンは6戦中5戦リタイア R4オランダGPの決勝3位が唯一の完走 翌年からの新しい水平対向12気筒エンジンの トラブルも頻発したことで業を煮やし エイモンはフェラーリを途中離脱 皮肉にもこのエンジンが翌1970年後半から フェラーリに勝利をもたらす モデルはBRUMMのFERRARI 312 ラジエータ付エアスポイラー仕様 エイモンのフェラーリでの約2年半の成績は 27戦 予選 PP3回 決勝 2位1回 3位5回 入賞10回
230215 C.AMON 1/43 FERRARIFW12C
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1981 13TH BRUMM FERRARI 126CK TURBO D.PIRONI
リジェよりフェラーリ移籍 ディディエ・ピロー二 FERRARI 126CK 1981年フェラーリは引退した J・シェクターの後任として フランス出身のD・ピロー二を起用して G・ヴィルヌーブとコンビを組んだ フェラーリ初のターボエンジン搭載で あったが熟成に苦しみ入賞は4回 4位1回 5位3回で表彰台は無しに終わる 年間順位は13位 9P FL1回 TMのG・ヴィルヌーブは2勝を含む 表彰台3回の年間順位 7位と 差をつけられたものの 予選に関しては後半7戦で ピロー二が4度上回るなど徐々に 互角の戦いをするようになり 運命の翌1982年を迎える モデルはR13イタリアGP仕様 予選8位→決勝5位入賞 ピロー二がフェラーリで走行した 唯一のイタリアGP モンツァ #F1-1981年 #FERRARI #BRUMM #F1
D.PIRONI 1回 28 1/43FW12C
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1982 7TH BRUMM FERRARI 126 C2 P.TAMBAY 〖🏆1〗
RN-463
P.TAMBAY 27 1/43 FERRARIFW12C
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1984 6TH BRUMM FERRARI 126 C4 R.ARNOUX
キャリア最後の表彰台&ファステスト ルネ・アルヌー FERRARI 126 C4 1984年アルヌーはフェラーリ2年目 チームメイトはエンツォが熱望したとも 言われているイタリアン ミケーレ・アルボレート マシンはフェラーリ126シリーズの最後C4 ポスルズウェイト作で前作126C3を カーボンモノコック化したマシン R3ベルギーGPで予選2位→決勝3位 フェラーリが予選フロントロー独占 決勝ではアルボレートがフェラーリでの初勝利 アルヌーは2位2回 3位2回の表彰台4回 入賞9回 終盤でアルボレート(30.5P 4位)に逆転され シリーズランキングは27P 6位 R9アメリカGPの決勝2位が キャリア最後となる15回目の表彰台 R13オランダGPのファステストラップが キャリア最後となる12回目であった 翌1985年もフェラーリに残留も 開幕戦のみ出場でその後謎の離脱 モデルはBRUMM R3サンマリノGP仕様 予選6位→決勝2位 この後126C4は開発の方向性が失われ ホイルベースやサス形状など次々変更 かなりの迷走でアルヌーは成績下降も チームはコンストラクターは2位で終えた
R.ARNOUX 1984 2回 28FW12C