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- 5F 1/72スケール ヒストリカルフィギュア(CASER MINIATURES社編)
- 第二次世界大戦 ドイツ軍歩兵 "行進" 1/72フィギュア CAESAR MINITURE
第二次世界大戦 ドイツ軍歩兵 "行進" 1/72フィギュア CAESAR MINITURE
CAESAR社の面白い着眼点が垣間見れるアイテムです。閲兵式、パレード等でもよく見るような行進スタイルのポーズがメインです。
中には当時のドイツ軍らしくグースステップ(ガチョウ足行進)で歩調を刻む姿勢も!
また、装備もオーバーコート着用の冬季野戦服仕様と標準的な仕様とがあります。ジオラマビルダー向けの良品だと思います。
並べると非常に壮観です。
兵士 11ポーズ 計38体セット。
fanta
2023/03/29 - 編集済み着眼点…たしかに~😁
たぶん初めて見ますね、こういう感じのは。
当時のドイツ軍ならでは、の統率ぶりで行進が浮かぶような。
グースステップってどんなのだろう…
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toysoldier
2023/03/30fantaさん
ありがとうございます!
説明にも書いちゃいましたが、所謂ガチョウ足行進ってやーつです!
ビシッ(・へ・)
https://youtu.be/YSvS4LY26Yg
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fanta
2023/03/30沿道からも市民が敬礼送ってますね。
ヒトの脳は、こういう統一感に酔いしれたり、仲間意識の圧力に弱いらしいのですが💧
親衛隊の黒制服とか。。。
私も黄色い声送ってたかもしれません爆🤣
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toysoldier
2023/03/30fantaさん
うーむ、集団心理ってやつでしょうか。
皆が熱狂していると自分も高揚感の波に飲み込まれ、一緒に騒いでしまう‥
太平洋戦争中の日本でも軍部、新聞と市民が暴走という側面もありますしね。
親衛隊の魅力的なシルエットがドイツは勿論のこと、世界の不安定な情勢にマッチしてしまった最悪の状況なのでしょうか。。
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pigpig3
2023/04/03 - 編集済み第二次世界大戦で思い出したのですが、私の出身校の先輩(8回生)に大戦の末期にペリリュー島の指揮官として活躍した中川州男元陸軍中将という方がいらします。また、この期(8回生)は軍人が多く、海軍省の最後の法務局長で連合艦隊・法務長も務めた由布喜久雄元海軍法務少将や海軍機関学校出身の提督で最終ポストが佐世保軍需部長だった広瀬藤蔵元海軍少将、真珠湾攻撃の際の第8戦隊の機関長を務めた松島悌二元海軍大佐、広瀬少将と松島大佐は旧制中学も海軍機関学校も同期だったようです。その他にも中川千代吉元陸軍大佐などがいます。この次の9回生からは5名が陸軍士官学校に進学されていました。鹿児島連隊の課長などを務めた品川琢磨(最終階級が中佐か大佐か不明です。)などです。また、3回生には島本鉄次元陸軍少将、4回生には吉岡頼勝元陸軍大佐、5回生には島田乙彦元陸軍大佐、13回生には海軍T事件と呼ばれるトラック島を米軍に攻撃され多数の輸送船を失った出来事の際に海軍省中央から調査員として派遣された池上二男元海軍大佐がいます。池上大佐と同期には戦時中高雄警備府参謀などを務めた小山重人元海軍中佐もいます。いずれも私の憧れの方たちなので書いてみました。
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toysoldier
2023/04/03pigpig3さん
ありがとうございます!
とても偉大な御校のOBエピソード、ありがとうございます(_ _)
中川州男元陸軍中将、由布喜久雄元海軍法務少将、広瀬藤蔵元海軍少将、松島悌二元海軍大佐‥
他にも海軍T事件での池上元海軍大佐等、私も勉強不足で把握は出来ていないとはいえ、、、
名だたる方々が卒業生とは驚きです。
偉大な先人方が卒業生であり憧れの対象とは。まさしく羨望の眼差しです。
素晴らしきご経歴に敬礼!
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pigpig3
2023/04/03 - 編集済み丁寧なご返信ありがとうございます。この際なので本棚から卒業生名簿を取り出して第二次世界大戦に関わった人物をもう1度調査してみました。軍人関係では先程取り上げた人物以外に1回生(明治41年卒業)からは第六師団・兵器部長も務めた下田充元陸軍大佐や海軍の主計将校だった中江嘉作元海軍主計大佐がいます。また、河口嘉勝元海軍少佐は当時の宇垣軍縮の煽りを受けて少佐で退役になったと書かれていました。(当時の母校の校友会報に)2回生からは南庄太郎元陸軍中佐や山内真喜雄元陸軍中佐などがいますが、山内元陸軍中佐は日中戦争で戦死されたとの事です。3回生からは鶏知重砲兵連隊長を務めた西依辰馬元陸軍中佐がいますが、1940年5月に現役のまま、死去したようです。5回生からは日中戦争に従軍した大広秀次元陸軍少佐がいますが、この人は少佐で予備役に編入されたようです。また、この期からは終戦時歩兵第52旅団長だった藤本末夫元陸軍大佐も卒業生です。また、10回生には両角昇元海軍主計大佐、13回生には小倉連隊の幹部として各地を転戦した坂口元男元陸軍中佐がいました。間違いがなければ明治41年の第1回卒業生から大正6年の第10回卒業生までで約30人程が陸士や海兵に進学しているようです。文官の方では1回生に逓信省の官僚で初代・航空局長官を務めた藤原保明氏がいます。9回生には外務省の革新派官僚として知られ、アメリカ局第二課長やスイス公使、仏印公使、仏印総督府・総務長官などを務めた塚本毅氏がいます。10回生には台湾総督府の官僚で戦時中、高雄州・知事や台北州・知事、台湾新聞社長を務めた坂口主税氏、13回生には大東亜省の文書課長や内務書記官などを務め、中国地区統監府・官房参事官として赴任中に被爆死した川本邦雄氏などがいます。また、面白い所ではマレー語の権威として知られ、日本がマレー地区などに進出する際に日本軍にマレー語の指導に当たった上原訓蔵元陸軍教授や日本軍の南方軍に農業の指導に当たった片山佃元九州帝国大学教授もいます。上原教授は2回生、片山教授は11回生です。その上原教授と同級生に零戦のジュラルミンの開発者の五十嵐勇元東北帝国大学教授がいます。また、20回生には元海軍技術中佐で海軍の原子爆弾の開発にも携わった村田勉工学博士がいます。この村田博士の研究作として特攻隊機(桜花)や戦艦大和に搭載した重鎮爆弾があります。以上よろしくお願いいたします。
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toysoldier
2023/04/04pigpig3さん
卒業生名簿を取り出してまでの調査、恐れ入ります。時代的にもやはり軍隊への道に進まれた先輩方が多くいらっしゃるようで‥
さらに活躍もされ名も知られているともなると、誇らしいことですね。
第一回卒業が明治41年!ということは歴史も長く、それだけでも十分に素晴らしいことだと思います。
ほうほう、文官でも著名な方がいるとは‥
教授や博士等の日本の技術面、学術面を支えた方々もおるようでその多方面さに驚きです。
ジュラルミンの開発者の五十嵐勇元東北帝国大学教授!!凄いですね!
改めて感嘆です。
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pigpig3
2023/04/04 - 編集済み27回生に松浦九州男元陸軍少佐という方がいます。この方は終戦時、関東軍・暗号課長でした。満州に侵攻して来たソビエト軍の捕虜となり、その後、東京裁判で瀬島龍三氏などと共にソビエト側の証人として証言台に立たされています。主に日本軍の人体実験などの供述だったようです。ソビエトに協力したからか、日本への帰還は早かったのですが、その後、罪の意識に苛まれ、自殺されたと書かれていました。(母校の校友会報に)戦争の悲惨さを感じるエピソードではあるかと思います。また、11回生に古庄康光という人物がいます。この人は広島高等師範学校出身の満州の通化市にあった女学校の校長でした。通化には満州国皇帝の溥儀が新京から脱出して来ていたようです。そのため、ソビエト軍がいち早く進行してきました。その際に起きたのが通化事件です。ソビエト軍が11回生の古庄康光氏が校長をしている通化市の女学校の生徒を人質にし、解放する代わりに古庄氏の妻が人質となり、結局、古庄氏の妻は殺害されてしまったという悲惨な事件です。戦後、母校の校友会報によると古庄氏は長崎県の島原市の教育長を長年にわたり務めた様です。やはり、これも戦争の悲惨さを表すエピソードかもしれません。
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pigpig3
2023/04/05この様な戦争が終わると人間(日本人)は2通りに分かれるのかもしれません。1通りは戦争に対して痛切に反省し、やや自虐的になる人たちです。その代表者が12回生の初代・日中友好協会・理事長の宮崎世民氏かもしれません。(因みに世民氏の弟は15回生で戦時中、蒋介石との単独会見を何度も実現した宮崎世龍元朝日新聞・編集委員です。)また、21回生の岡村一郎元熊本医科大学・教授(熊本大学名誉教授)は昭和20年8月9日に長崎に原爆が投下された際に国の命令で被爆者の調査に派遣された様です。その際に目の当たりにした惨劇から熱烈な平和主義者となった様です。その岡村教授と同級生で21回生の地福光雄元陸軍法務少佐(弁護士)は社会党の支持者となり、社会党から市長選にも出馬したようです。また、34回生の元富士銀行・重役の蔵土義文氏は学徒出陣が始まった際に東京帝国大学の学生でした。戦後の校友会報にこの様な一文を寄せています。「どうしても東條首相の演説を聞く気にはなれなかった。今でも思い出すのも嫌だ。」
逆に全てでは無いにしても戦争を肯定的に捉える人もいるようです。21回生の江上義男元新京医科大学・教授は戦後も数年間、中国政府から医療技術の発展のために残留を要請された様です。そのためか、校友会報にこう書いてあります。「この戦争のお陰で医療が進歩したと思う。戦争は医療を発展させることが出来る。」また、31回生の徳永春夫・元海軍兵学校・文部教官は後に熊本県の県立高校・校長会長となりますが、最後まで保守的だった様です。その同級生で31回生の品川敦元海軍大尉は終戦前夜、海軍省からの命令で皇室護統作戦(源田実氏を長に皇室を連合軍から守る作戦の様です)の一員に選ばれました。その様な事もあってか校友会報に「天皇陛下の存在は絶対だ。」と言うような文章を寄せています。40回生の花吉洋一元県立熊本高等学校長はご自分が戦争でご苦労をされたにも関わらず、退職後、日本会議の熊本県の副会長として熱心に活動されていました。
また、戦争で特殊な体験をされた方もいるようです。21回生の池田勝元熊本県教育委員会・指導室長は戦中は朝鮮の師範学校の社会科の先生でした。戦争が終わり、引き上げの際に教え子から「あなたの教えた歴史は嘘ばかりだ。」と罵られたと証言しています。35回生の田邊哲夫元熊本県・県立高校・校長会長(元熊本高等学校長)は出征の1日後に自らが居た基地が米軍の空爆で壊滅し、もし出征が1日遅れていたら戦死していただろうと自らの著書で述べています。長文、失礼しました。
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pigpig3
2023/08/03私は先輩の軍人の名前は存じ上げていますが、どの役職が主要な役職なのか詳しくはありません。解る限りで教えて頂きたいのですが、私の高校の先輩に田中三雄海軍中佐という方がいます。その方の経歴に軍令部勤務や海軍省人事局勤務と言うものがありました。また、池上二男海軍大佐は連合艦隊参謀や軍令部部員、海軍省航空本部第一課長、海軍技術会議議員などがあります。広瀬藤蔵海軍少将と松島悌二海軍大佐は海軍大学校教官や特別演習審判官などがありました。そのようなポストはエリートポストなのでしょうか?
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pigpig3
2023/08/04もう1度調査してみましたが、他に歴任したポストは田中三雄海軍中佐は大本営海軍参謀、池上二男海軍大佐は海軍省軍務局勤務、由布喜久雄法務少将は大本営報道部附などがありました。
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toysoldier
2023/08/08pigpig3さん
お返事遅れました!
失礼しました!
先輩方は海軍での重要な役職に就かれた方が多かったようですね、誇らしいことですね。
中佐、大佐は勿論のこと軍令部や大本営参謀とか中枢機関のポストを担ったというのは中々に素晴らしい経歴だと思いますm(__)m
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