釧路・根室の簡易軌道 釧路市立博物館/発行

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 北海道の開拓時代は道路も十分でなく、泥炭地や火山灰地で開拓は困難を極めました。当時の北海道庁はレールでの輸送機関「植民軌道」を計画。1924年に厚床~中標津が開通し、その後、道東や道北各地で敷設されました。レール幅762ミリで運行組合が設立され、当初は馬車鉄道、その後ガソリンカーに変わり、地域の産業や貨物・旅客輸送を支えました。この資料集では、鶴居・標茶・浜中・別海・阿歴内(馬車)などが紹介されており、貴重な資料集です。

#簡易軌道 #馬車鉄道 #北海道開拓

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    T. S

    2022/01/26

    レールの規格まで…なんてマニアック。
    すごく興味深い資料ですね。気動車がどれも湘南顔なのが時代ですねw

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    tomas555

    2022/01/26 - 編集済み

     1947年・S22年に内務省が解体し翌年に簡易軌道は農林省の所管となる(運輸省ではなく)。農林省の機関委託事務として北海道知事が管理するという形に。のちに北海道開発局の所管となります。簡易軌道は「軌道法」ではなく「土地改良法」による軌道という位置づけです。その後は道路網の発達、車の普及によって役割を終え、1972年の浜中町営軌道の廃止で、約50年間の簡易軌道の歴史を終えます。通学の学生と酪農家の生産したミルクが同時に運ばれたり、脱線した車両を乗客みんなで押したりと、とてもユニークな社会基盤でした。

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    tomas555

    2022/01/28

     鶴居村役場近くの町営文化施設前に簡易軌道の保存車両が2両展示されています。国鉄新富士駅から接続し、かつての雄別鉄道(今はサイクリングロードとして一部利用されています)の路線とオーバークロスしてたのです。一部は釧路湿原の端を巡る遊歩道としても利用されています。鉄道遺構もかなりあるので探索も面白いです。以下が参考になります。

    https://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/100801turuisoneikidou.html

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