(C812-C813)近代美術シリーズ 第2集 初日カバー

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発行日 1979.6.25

 「炎舞」は明治の日本美術院派の影響を受けた画家、速水御舟(1894~「1935)の作である。この作品は彼が主観的な実写を求めた時代に描いたもので、写実を深くつき進め幻想性に達した名作と言われる。

 「もたれ立つ人」は万鉄五郎(1885~1927)が二科展へ出品した彼の代表作の一つである。万鉄五郎は高村光幸太郎らと新芸術運動を展開し、大胆なフォープ的傾向の「裸体美人」を描いて異才を発揮した。

額面・種類 
  50円 2種
図案    
  ①炎舞
  ②もたれ立つ人
原画構成者  
  ①②菊池 吉晃
版式・刷印 
  ①グラビア5色
  ②グラビア4色 凹版1色
印面寸法  
  ①②よこ27×たて48ミリのたて型
シート   
  ①②よこ5×たて4 -20面構成
発行数   
  ①②2,800万枚

■速水御舟肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/36

■万鉄五郎肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/37

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速水御舟 ≪炎 舞≫(1925年) 「近代美術シリーズ初日カバーコレクション」
1979年6月25日発行 速水御舟 明治27年(1894)8月2日東京浅草に生まれる。旧姓蒔田、本名英一。大正3年母方の姓速水を継いで、御舟と号した。明治41年松本楓湖の安雅堂画塾に入り、巽画会、紅児会に出品して頭角をあらわした。大正3年同門の先輩今村紫紅を中心に結成された赤曜会に参加、また再興院展に出品をつづけて、6年第4回院展の「洛外六題」で同人に推された。ひとつの表現が完成すると、一度それをぶちこわして、また新しい研究に着手したが、はじめ今村紫紅の圧倒的影響から出発し、ついでデューラーに関心を寄せ、徹底した写実による細密描写と、中国院体画の写生に共鳴した主観的な写実へ移り、さらにそれらに琳派風の装飾感を加味して、写実と装飾の融合をめざした。自己の画風の確立に厳しい精進を重ねた画家で、それぞれの時期に、「洛北修学院」「強の舞妓」「炎舞」「名樹散椿」「翠苔緑芝」など優れた作品を残している。昭和10年3月20日40歳で、業半ばで歿した。 #切手 #初日カバー #FDC #近代美術シリーズ #速水御舟
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万鉄五郎 ≪もたれ立つ人≫(1917年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
万鉄五郎 明治18年(1885)11月17日岩手県東和町土沢に生まれる。明治36年上京、早稲田中学に編入学し、このころ白馬会研究所で長原孝太郎にデッサンを学んだ。明治40年東京美術学校に入学、在学中に平井篤成、山下鉄之助らとサブサント会を結成した。これは日本でもっとも早く後期印象派を接取した研究団体と考えられている。明治45年卒業制作に「裸体美人」を提出して東京芸術大学を卒業。同年新しい芸術運動を目指したヒョウザン会に参加して「女の顔」「煙突のある風景」などを出品、注目された。大正3年一時帰郷土沢で制作したが、5年再び上京、以後院展洋画部、春陽会、二科会展に「もたれ立つ人」「羅布かづく人」「ほほ杖の人」など、フォーヴィズムやキュピスムを独自に消化した個性的な作品を発表した。大正8年病気治療のため神奈川県茅ケ崎に転居してからは、江戸期文人画にも関心を寄せ、「山村点景図」「夏景松林図」など南画を表現主義的にとらえようとする作品を試みている。昭和2年5月1日茅ケ崎で歿した。 #切手 #FDC #近代美術シリーズ #万鉄五郎
https://muuseo.com/stamp_collection/items/37

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