関西系のマッチが多く残っている理由

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日本で空襲に備えた演習が初めて行われたのは太平洋戦争が始まる13年も前の昭和3年だという。
場所は大阪で、その後は名古屋や軍事施設のある都市でも続々行われたらしい。
ドーリットルを除けば、本格的に日本が空襲されるのは昭和19年からなので、誰もあんなことになるとは思っているはずもなく、演習を記念したスタンプまで用意されていたこともあるほどだ。

さてこのマッチラベル。
どこの演習なのかは分からないが、こういう戦前ものを集めているとある偶然に気づく。
それは、

大阪、神戸といった関西系のものは、東京、横浜など関東系のものより多く残っている(ような気がする)

ということ。

実際、古物商などから入手するマッチラベルや絵葉書、各種広告類は関西系が多い。
なぜなのか。

これは完全な類推であって、データなんてあるわけもない話なのだが、京都が空襲を受けなかったことに関連があるんじゃないだろうか。
同じく古都・金沢も空襲を受けていないが、こちらも関東より関西に近いエリア。
もちろん、蒐集家が何より大事にコレクションを田舎に疎開させたということもあるだろうが、それにしても関西ものは残っているものが多くて目立つ。

当方のコレクションをものすごく大雑把に見てみると、東京系が25%、関西系が65%で、その他エリアが10%程度といった感じだ。
東京の古物商から入手してもスクラップブック1冊まるまる関西系というのは一度や二度ではない。

関西系はデザインの秀逸なものが多く、コレクションされる件数もかなりの数だったろうとは思うが、コレクターの数も人口に比例し、きっと関東の方が多かったと思うので、京都が空襲を受けなかったことは、それなりの影響があるんじゃないかなと思うのです。

なお、一番少ないのは外地系。
台湾や満州、朝鮮半島系はそれでも多い方で、一番希少なのは樺太系や南洋系ですね。

#マッチラベル
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#昭和レトロ

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