樺太にあった楽天

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炭鉱や製紙工場に鉱泉もあって賑わっていた樺太の知取(しるとる)町。
当時の地図を見ると碁盤の目のように整然とした街で、製紙工場ができてからは樺太東海岸最大の工業都市に躍り出て、昭和16年時点での人口は1万8000人ほどだったようです。
昭和20年時点では国民学校8校、中等学校も2校あったとされます。
樺太鉄道樺太東線(からふととうせん)の知取駅は昭和2年の開業時には日本最北端で、北海道への玄関口・大泊港駅から250キロの距離がありました。
駅名の読み方は当初は「しるとる」ではなく「しりとり」だったそうです。

このマッチラベルは知取の町にあった「楽天」という酒場のもの。
所在は「知取神社通り」とありますが、知取神社ができたのは昭和4年とのことなので、それ以降の時代のものと推測されます。
工場もあり賑わいのある町でしたし、神社の近くには競馬場もあったようなので、この酒場も繁盛していたのではないでしょうか。

知取神社は現在、基礎部分だけが残っているそうです。

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