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もみぢ(100匁・40匁・20匁)
「もみぢ」は専売創始時の刻み銘柄の一つであり、また最も廉価な銘柄でもありました。 黒一色で描かれたもみじの葉は、灰色の地紙と相まって意匠全体を引き締めて、やや硬い印象を与えますが、木の幹と、流水の曲線がそれらを柔らげて、簡素な中に優美さ感じさせるものとなっています。 「もみぢ」は、発売当初より100匁、40匁、20匁の3種類の包装のみで5匁包装がなく、大容量の包装で販売されました。おそらくは、先行して発売された口付銘柄の廉価品である「山桜」同様、製造過程で発生する裁断片の再生品であったのだろうと思われます。 発売されてわずか2年のうちに各容量ともに廃止されますが、同時期に「山桜」が裁断片の不足にともなって廃止されており、同じ趣旨で廃止されたものと思われます。 ☆いずれも1905年10月25日発売開始~1907年3月31日廃止 ・100匁包装 終売まで40銭【画像1】 ・ 40匁包装 終売まで16銭 ・ 20匁包装 終売まで8銭
各容量とも横型 不明 1907年3月31日 1905年10月25日shirotanino
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サロン(40本入・50本入)
「サロン」は、は口付タバコの「かをり」とともに、専売制度創始25周年を記念して販売された記念銘柄の一つです。普及しはじめた洋風生活をイメージさせる、各種のアイテムをデザインしています。縦に伸びる直線を多用することで、缶そのものを「高く」見せる視覚的効果を狙っていることも特筆されます。 当初は、40本入でブリキ缶に直接印刷されましたが、一般銘柄としての再発売時には、50本入りに改装され紙ラベル貼に仕様が改められました。 記念銘柄であるということの他にはあまり情報が伝わっていませんが、同時期に発売されていたその他の両切銘柄と比較して高価格品であることがわかっています。オリエント葉3品種(ナイル・アルマ・オリエント)が、売価10本当たり37銭~23銭であったころ、「サロン」は10本当たり25銭で、バージニア葉を使用する明治以来の高級品であった「スター」が12銭です。サロンはその倍に相当することから、バージニア葉の比率を高めた高級品を目指していたのではないかと思われます。 それが理由であるかは判然としませんが、昭和恐慌後の高価格品整理の際に整理対象となり、製造中止となりました。 ☆25年記念(ブリキ缶直接印刷) ・1922年9月26日~ 40本入1円で発売開始 ・1927年2月4日 製造中止 ☆改装再発売(50本入りラベル貼り缶) 1927年2月4日~ ・50本入1円50円銭で発売開始【画像1】 ・部分拡大【画像2】 1931年8月20日製造中止
プリント缶→ラベル貼縦缶 不明 1922年9月26日 1931年8月20日shirotanino
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しらぎく(30グラム包)
オリジナルの「しらぎく」は、占領下の沖縄で「琉球煙草株式会社」の製品として1952年10月に発売されました。 当時の沖縄は、タバコ消費量の60%を刻み銘柄が占め、紙巻タバコ普及率はそれほど高くありませんでした。結果、琉球煙草は刻み生産に重点を置いたため「アメリカ占領地」という新しい市場を狙ってきた外国資本による販売競争に巻き込まれずに済みました。しかし次第にアメリカ統治による各種施策や、後発会社との競争などの圧力があり、新しい市場を求めざるを得なくなります。 一方で当時の日本専売公社は、「ハイライト」の爆発的売れ行きによる品不足と増産、そのための生産現場へのしわ寄せなど、労働問題が山積みでした。そのことと、本土内での刻み銘柄の退潮が、刻み専用工場を紙巻工場に転換する必要に迫らせるなど、恒常的な品不足状態にありました。 こうした沖縄と本土の状況がうまく噛み合った結果、原料引き渡しと製品買い付けを同時に行うことで代金を相殺し、実際の支払いは加工費用のみとする契約が締結されます。期間は1962年から4年間、110万キロが供給されることとなり、日本専売公社による刻み煙草製造量の約2割をまかなうものでした。 この委託期間内に先行銘柄である「みのり」が廃止になり、「みのり」製造ラインで発生する余剰生産物を再利用した「富貴煙」が原料供給難から廃止となります。 1963年4月~ ・60円で発売開始【画像1_3】 ・価格は「ききょう」と同じで代替品扱いとされた。 ・北陸・四国・関西地方では発売されなかった。
背面閉じ包装 不明 1963年4月shirotanino
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さつき(5匁包・15グラム包)
5匁包は1905年5月1日より5銭で発売開始 1907年4月1日~ 5銭5厘へ価格改正 1907年12月28日~ 7銭へ価格改正【画像1】 1917年12月1日~ 8銭へ価格改正 1919年8月6日~ 10銭へ価格改正 1925年11月7日~ 12銭へ価格改正【画像2_3】 1932年9月12日 ☆メートル法施行により5匁包より改装し9銭で発売開始【画像3】 1935年11月11日~ 10銭へ価格改正 1938年1月31日~ 11銭へ価格改正【画像4】 1939年11月16日~ 13銭へ価格改正 1940年10月下旬 廃止
背面閉じ包装 不明 1940年10月下旬 1905年4月1日shirotanino
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あやめ(15グラム包)
5匁包は1905年4月1日より4銭で発売開始 ・1932年9月12日 ☆メートル法施行により5匁包より改装し8銭で発売開始 【画像1】全景 【画像2】1938年1月31日~ 10銭へ価格改正 【画像3】出現時期不明 ☆専売局証票側面印刷 ・1939年11月16日~ 12銭へ価格改正 ・1940年10月下旬 廃止
背面閉じ包装 不明 1940年10月下旬 1905年4月1日shirotanino
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エアーシップ(10本入)
1910年5月に50本の缶入りが発売され、20年を隔てて1921年に10本入りの小箱が発売されました。小箱のデザインは缶のそれを書き換えたものでしたが、複葉機が単葉機に変更され、技術の進歩が意匠に反映されています。 この10本入り小箱の意匠作成者は現在に至るまで不明で特定されていません。 1921年5月21日~ 10銭で発売開始【画像1】 1925年11月7日~ ・12銭へ価格改正 ・「賣」の上部が「土」【画像2】 1933年以降 ・「賣」の上部が「士」【画像3】 ・薄く価格改正印が残っている 1936年11月11日~ ・15銭へ価格改正【画像4】 1938年1月31日~ 18銭へ価格改正(告知のみ) 1937年8月31日製造中止
シェルアンドスライド(小箱) 不明 1937年8月31日(製造中止) 1921年5月21日shirotanino
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富貴煙(100グラム包)
もとは清国向け輸出銘柄で、濃い黄色の市松模様に「福・禄・寿」の3文字をあしらい、煙管も中国風のものをデザインしていました。国内向け銘柄に転じてから、煙管のデザインも日本風に改められました。 「煙草製造創業三十年誌」には「各種刻煙草製造の際生出する短き刻を精撰・配合して製造せられたるものなり」とあり、つまるところ「お徳用再生品」でした。そうした製造上の事由もあり、発売開始以来一貫して低価格品の位置づけで、戦後再発売されてからは廃止まで価格改正は行われませんでした。 1947年6月28日~ 100グラムに改装して15円で発売開始。 ☆再発売当初は図案なし、品名ゴム印押捺対応 1953年10月~ 公社新証票・グラム表記に変更 【画像1-2】 1965年1月廃止 ◎専売公社名のある正規の価格表に品名こそ記載されていたが、「諸福祉施設等にのみ特別配給」の扱いとなっていたので、品物を実見したことのない人が多かったという逸話が残っている銘柄でもある ◎「みのり」の廃止に伴い、原料となる再生材料の供給が難しくなったことによって廃止される際、代替としてゴールデンバットを限度付で無償提供するなどの措置がとられた ◎1960年代に、アメリカ癌協会によってタバコの健康被害が問題視された際、日本でも発売中のタバコのニコチン含有量を調査したことがあったが、この「富貴煙」が1.8%で最も低いとの結果が報告されている。ただこれは、「再生品(屑部分)」であることによる皮肉な結果ではないかと思われる。
横型 不明 1965年1月廃止 1947年6月28日shirotanino
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さつき(150グラム包)
「さつき」は、意匠背景を黒に塗りつぶし、白抜きでさつきの花を描き、葉と枝に緑色を配するなど、少ない色数で蒔絵を思わせるデザインに仕上げてあります。当初は、葉の部分にも茶色で葉脈を印刷していましたが、のちに省略されました。色数が落ちて「深み」が無くなったという評もされましたが、淡色で日本画風を基調とする刻み銘柄の意匠の中では、異彩を放つ存在でもあります。 1932年10月1日~ ☆メートル法施行により40匁包より改装 85銭で発売開始 1936年11月11日~ 95銭へ価格改正【画像1】 1938年1月31日~ 1円5銭へ価格改正 1939年11月16日~ 1円25銭へ価格改正 1939年10月には製造中止 【画像2】本品は95銭で発売されて、2度の価格改正を経験している。横長スタンプが1円5銭への改正印、手書き文字が1円25銭への改正表示。約3年を経過しているが、品質はどうだったのか気になる。
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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あやめ(150グラム包)
銅版印刷の技術がもっとも冴えた意匠として、よく取り上げられる銘柄である。パターンとして描かれたあやめは、横線の幅を変えて濃淡を表現し、また円形内にあしらわれたあやめは線描と塗りつぶしの2種を用いて微妙な遠近をよく表現している。 【画像1】1932年10月1日~ 65銭で発売開始 ☆メートル法施行により40匁包より改装 ・1936年11月11日~ 75銭へ価格改正 ・1938年1月31日~ 85銭へ価格改正 ・1939年11月16日~ 1円10銭へ価格改正 ・1939年10月には製造中止 【画像2】部分拡大
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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はぎ(20匁包)
専売局発足とともに、刻みタバコは「福寿草」以下「もみじ」まで6品目が販売されました。「はぎ」は低価格品の扱いで、次いで「もみぢ」が最も廉価な銘柄として用意されました。 しかしながら「もみぢ」はごく短期間のうちに廃止され、その代替として「なでしこ」が新しく発売されました。 これらの銘柄の価格帯は12銭から8銭で、刻みタバコの中では低級品に属し、これら低級品はその他の刻み銘柄との区別のためか、当初は色つき用紙で包装されていました。 1905年4月1日~ 12銭で発売開始 ☆正面下部に証票印刷【画像1】 1907年12月18日~ 16銭へ価格改正、用紙を白紙に変更
横型 不明 1907年12月18日(用紙・価格改正) 1905年4月1日shirotanino
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白梅(150グラム包)
寒月の夜空と、それに咲く白梅という日本画的情景をみごとに線描でまとめた、タバコ意匠の傑作との評価が高い「白梅」。 専売制度開始以来の銘柄で、刻みタバコの最高級品ではありませんでしたが、愛好者が多かったことで知られています。作家幸田露伴(1867-1947)が逝去した際に、すでに製造されていなかった本銘柄を、小林勇(1903-1981、幸田露伴の担当編集者・女婿、のち岩波書店会長)が捜しまわったというエピソードがあります。 1932年10月1日~ ☆メートル法施行により40匁包より改装 1円25銭で発売開始 1936年11月11日 1円40銭へ価格改正【画像1】 1938年1月31日~ 1円65銭へ価格改正 1939年11月16日~ 1円90銭へ価格改正 1939年10月 150g入製造中止
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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なでしこ(40匁・150グラム包)
1906(M39)年8月1日~ 「煙草専売局」銘、濃灰色用紙包装。20銭で発売開始 1907(M40)年10月1日~ 「専売局」銘へ変更 1907(M40)年12月28日~ 24銭へ価格改正、白色包装紙へ変更【画像1】 1917(T06)年12月1日~ 26銭へ価格改正 1919(T08)年8月6日~ 30銭へ価格改正 1922(T11)年10月1日~ 28銭へ価格改正 1925(T14)年11月7日~ 32銭へ価格改正 1932(S07)年10月1日~ ☆メートル施行、150gへ改装【画像2】 様式改正時不明 専売局証票を左側面に変更 1939(S14)年11月16日~ 45銭へ価格改正 1939(S14)年10月製造中止 [1985 日本専売公社]
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1906年8月1日shirotanino
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はぎ(40匁包・150g包)
1905(M38)年4月1日~ 「煙草専売局」銘、セピア用紙にて24銭で発売開始 1907(M40)年10月1日~ 包装用紙を白紙に変更 1907(M40)年12月28日~ 30銭へ価格改正【画像1】 1917(T06)年12月1日~ 34銭へ価格改正 1919(T08)年08月6日~ 42銭へ価格改正 1922(T11)年10月1日~ 40銭へ価格改正【画像2】 1925(T14)年11月7日~ 45銭へ価格改正 1932(S07)年10月1日~ ☆メートル法施行により40匁包より改装【画像3】 出現時期不明 専売局証票位置変更【画像4】 1939(S14)年11月16日~ 55銭へ価格改正 ・1939年10月には製造中止
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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はぎ(15グラム包)
はぎ(15グラム包)。15グラム包は、30グラム包と大きさが同じで厚みの違いだけである。 【画像1】1932年9月12日~ 5銭で発売開始 ☆メートル法施行により5匁包より改装 ☆正面下部に証票印刷 【画像2】出現時期不明 ☆左側面に専売局証票 【画像1】1939年11月16日~ 6銭へ価格改正 ・1940年10月 廃止
背面閉じ包装 不明 1940年10月 1932年9月12日shirotanino
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はぎ(30グラム包)
はぎ(30グラム包)。専売開始以来、終戦直前まで生き残った銘柄である。 ・1939年9月1日~ 10銭で発売開始 【画像1】1939年11月16日~ 12銭へ価格改正 ☆左側面に証票印刷 【画像2】1943年1月17日~ 20銭へ価格改正 ☆底面に証票印刷 ・1945年1月 廃止
背面閉じ包装 不明 1945年1月 1939年9月1日shirotanino